クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

不思議な現象なのは……

2015年11月28日 | ウラ部屋
立て込んでいる。
優先順位をつければ1番進めたいもの、
進めるべきものが後回しになってやきもきする。

物事はどうして集中してやってくるのだろう。
思えば不思議な現象だ。
落ち着いているときは落ち着いている。
バランスよく訪れれば時間配分も問題ないのに、
立て込むときは次から次へと舞い込んでくる。

気が付けば11月ももう終わり。
年末も目に見えている。
年内には片を付けたいものが2つある。
それまでこの部屋は静かになるかもしれないが、ご了承ください。
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“世界キャラクターさみっとin羽生”でどんな思い出ができた?

2015年11月25日 | はにゅう萌え
11月21日、22日と開催された「世界キャラクターさみっとin羽生」。
今年も大盛況の内に終わる。
例えば100年後、このイベントはどのように語られているのだろう。
そんな歴史的視点で見てしまうほどの盛況ぶりだ。

約45万人が会場を訪れたという。
かつてない規模である。
羽生の歴史の中で、短期間でこれほどの人数が集まったことはあっただろうか。

会場に足を運ばれた方、
楽しい思い出はできただろうか。
22日は曇り空だったが、
天候に恵まれ、雨に降られることはなかった。

キャラクターとたくさん写真を撮った人、
グッズを多く買い込んだ人、
ライブを楽しんだ人、
ご当地グルメを満喫した人など、
楽しみ方はさまざまなだと思う。

ぼくは成人式以来に再会した同級生がいた。
首の長いK君からその消息を聞いていたものの、
実際に会うのはおよそ15年ぶりだった。

変わっていない。
ひと目で彼だとわかる。
ただ、子どもを連れて来ており、
見た目はあまり変わっていなくても、
短くはない歳月は流れたらしい。

その後、LAPIS(ラピス)さんという方と出会う。
キャラクター“与一くん”の公認アテンドで、
あまりに好きすぎて、那須与一をモデルにした大鎧を作ってしまったという。
業者に依頼したのではない。
全て手作りらしい。

今年の1月には朝日新聞に取り上げられたようで、
好きこそものの上手なれを体現している方だ。
熱い。
好きな気持ちは摘んではいけない。
社会に迷惑をかけるものでなければ、とことんやればいい。
そうすると何かが拓けていく。
色々な縁が生まれる。

ラピスさんには、ある歴史の種を教えてもらった。
面白そうな種だ。
この種を少し調べてみたい。

45万人もの人出で賑わったのだ。
ほかにも様々な縁があったのだろう。

気付かずに通り過ぎた昔の知人もいたかもしれない。
将来、何かの形で出会う人ともすれ違ったかもしれない。
この日をきっかけに出会った人は何人いただろうか。
あるいは新しく知ったことは何かあっただろうか。

世界キャラクターさみっとin羽生は2日間の開催だった。
そこには多くのドラマと可能性を秘めている。
今回の再会と出会いに感謝。


七変化したムジナもん




2011年のさみっとで撮影した“与一くん”
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本日も世界キャラクターさみっとin羽生やってます

2015年11月22日 | お知らせ・イベント部屋
今日も引き続き「世界キャラクターさみっとin羽生」が開催される。
足を運ばれる方、
羽生水郷公園でお会いしましょう。
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“世界キャラクターさみっとin羽生”に行きませんか?

2015年11月20日 | お知らせ・イベント部屋
いよいよ明日に迫った“第6回世界キャラクターさみっとin羽生”。
11月21日(土)、22日(日)の2日間に渡って開催される。
場所は羽生水郷公園(羽生市三田ヶ谷751-1)だ。
今回は約380体のキャラクターが羽生に集まるという。

このさみっとの開催で、羽生市の知名度はどれだけ上がっただろう。
少なくとも、ぼくは「羽生ってどこ?」と問われることはなくなった。
住みよさランキングでは埼玉県内で2位になり、
全国でも73位と高順位に食い込んでいる。

21日(土)の主なイベントは、
「羽生キャラクターズコレクション」。
22日(日)は、「キャラクターがお祝いする結婚式」となっている。

そのほか、各地方のご当地グルメも食べられるし、
市内物産も手に入れることができる。
楽しさ満載だ。
ぜひ羽生に来て、キャラクターとともに秋の1日を彩ってほしい。
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慈光寺の“国宝”を見に行きませんか?

2015年11月17日 | お知らせ・イベント部屋
埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催中の「慈光寺 ―国宝 法華経一品経を守り伝える古刹―」を見に行っただろうか。
11月23日(月)まで開催されている。

副題のとおり、国宝の法華経をはじめ、
古刹ならではの資料が展示されている。
展示室入口には大きくていかにも古そうな仏像が出迎えてくれる。
本展示は以下のように構成されている。

第1章 由緒を伝える文化財
第2章 大般若経(安倍小水麻呂経)  
第3章 観音堂 坂東札所九番
第4章 守り伝えた人々
第5章 法華経一品経

慈光寺の法華経一品経は明治39年に指定され、
埼玉県内の国宝の中では最も早い。
展示の最後に保存に係る行政文書が展示されていたが、
宝物もさることながら、それを守ろうとした人々の仕事を見るのが個人的には好きだ。

埼玉県内に国宝は5件ある。
その内の1件が今回の展示で見ることができる。
この機会にぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
(展示終了は平成27年11月23日まで)
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今日は「ふるさと歴史散策~井泉地区を歩く~」の開催日ですが…

2015年11月15日 | お知らせ・イベント部屋
本日開催される「ふるさと歴史散策~井泉地区を歩く~」。
(羽生市立郷土資料館主催)
雨で中止になるかもしれませんが、
晴れることを祈っています。
参加される方は現地でお会いしましょう。
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羽生から出土した“口琴”は世界最古か?

2015年11月12日 | 考古の部屋
11月11日付の新聞各紙(「埼玉新聞」「朝日新聞」など)で、
羽生から出土した“口琴”の話題で賑わった。

羽生の“屋敷裏遺跡”から出土したこの口琴は全国でも3例目。、
国内最古の可能性があるという。
いや、世界最古の口琴との声もある。

ビッグニュースではないか。
こんなすごいものが羽生の地中に眠っていたのだ。

ちなみに、口琴とは楽器だ。
振動音を口の中で響かせて音を出す
全国で3例の出土しかない口琴の全ては、
現在のところ埼玉でしか出土していないというからミステリーだ。

屋敷裏遺跡を発掘調査したのは数年前。
埼玉県の埋文事業団による調査だった。
市内はほとんど調査のメスが入っていない。
また、川の氾濫により遺物が深く眠っており、
なかなか姿を現わさないという背景がある。

だから、タイムカプセル状態と言っても過言ではない。
いまからおよそ40年前、
さきたま古墳群の稲荷山古墳から「今世紀最大」と言われた鉄剣の文字が発見され、
話題をさらった。
当時のような興奮がまた全国を駆け巡るかもしれない。

この口琴は、11月14日~19日にかけて、
熊谷市船木台の県文化財収蔵施設で展示される。
この大きな発見を目の当たりにしたい。
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“清水卯三郎”をテーマにした講演会が開催される?

2015年11月10日 | ふるさと人物部屋
五代才助こと“五代友厚”をイギリス軍艦から救出し、
埼玉の熊谷に匿った“清水卯三郎”。
パリ万博に商人として参加し、
“水茶屋”を開き、外国人たちの話題をさらった。

帰国後は西洋文化を積極的に日本に取り入れ、
文化面から国を豊かにしようと尽力。
大阪万博が開催される遥か前に、
日本国内での万博開催の建白書を提出したのも卯三郎だった。

実は、羽生市立郷土資料館では、
この「郷土の偉人に学ぶ」と題して、
清水卯三郎の生涯と足跡を辿る“講座”が開催される。
講師は“今井博昭”氏。
昨年の末に出版された『歴史に隠れた大商人 清水卯三郎』の著書である。

演題は「日本の近代化に貢献した商人 清水卯三郎」。
12月6日(日)の開催である。
会場はワークヒルズ羽生の大会議室で、
郷土資料館のすぐ南側の建物だ。

清水卯三郎の注目度は年々高まっている。
歴史に埋もれた人物だからこそ、新たな見直しが必要だろう。

郷土の偉人は郷土の誇りでもある。
また、卯三郎の視点で見たとき、
新たな歴史の捉え方もできるかもしれない。
色々な可能性を秘めている人物だ。
ぜひ参加されたい。

<ふるさと講座「郷土の偉人に学ぶ ~清水卯三郎~」>
日時:平成27年12月6日(日)午後1時30分~3時30分
会場:ワークヒルズ羽生大会議室(羽生市下羽生1014-1)
講師:今井博昭 氏
定員:80名(申込順)
参加費:無料
申込方法:11月14日(土)~11月29日(日)までに、郷土資料館へ(048-562-4341)※毎週火曜日と11月26日は館内整理日のため休館
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鎌倉街道上道攻めは期末テストに似ている?

2015年11月08日 | ウラ部屋
不安は行動の原動力。
と、思っている。
その感情が行動にかき立てる。

9月の終わりに実施された鎌倉街道上道の見学会(群馬県立歴史博物館友の会主催)。
題して「鎌倉街道上道沿いの城館を訪ねる」。
埼玉県西部の笛吹峠から北に位置する上道沿いの城館を巡るという内容だ。

講師依頼を受けてから少しずつ準備を進めてきた。
が、不安がある。
2年前に同会から依頼された講演とはいささか違う。

果たして、埼玉の歴史と魅力が詰まった鎌倉街道沿いの城館をうまく案内できるのか。
アドリブはきくのか。
きちんと説明ができるのか……
心配の種は尽きるどころか、
芽吹いて花が咲いていた。

不安をどう払拭させるか。
まずは関連書籍や資料を洗い出す。
関係する論文を読む。
カードを作成する。

インプットしただけではまだ不十分。
自分の言葉でアウトプットして、
足りない部分を補強していく。
文章に書いたり、実際に話したりすることで、
次第に自分の中で消化されるのがわかる。

今回巡ったのは雉岡城、鉢形城、菅谷館、
笛吹峠、杉山城、畠山重忠の墓碑の6か所だ。
準備を進めながら思い出したものがある。
それは、学生時代の期末テスト。

それぞれが教科みたいなものだ。
1限目は雉岡城、2限目は鉢形城、3眼目は菅谷館……といったように、
試験科目のように立ちはだかる。

学生時代のように教科書、参考書、問題集で対策。
教科書にあたるのは通史や一般書。
参考書は、資料集や発掘報告書。
あとは大胆な論考を展開する論文や、
研究ノート的な論文になるだろうか。

問題集はない。
これについては、その方面にある程度詳しい人に会ったり、
一緒に巡ったりするのがいい。
その人から投げかけられる質問や気付いた点が、
そのまま問題集代わりとなる。
自分では思いもしなかった視点や発想で問われるほどありがたい。

最初は“点”で調べ、最後に“線”でつながっていく。
今回は鎌倉街道上道というライン。
大人の勉強は、点では終わらないのが醍醐味だと思う。

進めていくと、不安が楽しみに変わる到達点がある。
楽しみに変わればしめたもの。
当日は待ち遠しくさえなる。
聴く方だって、不安にびくびくしている講師より、
楽しんでいる方がいいだろう。

準備にはきりがないから、ある程度の見切りは必要だ。
少々の図々しさがあってもいい。
考え抜くのも大切だが、
それが義務と化して自由な発想がなくなり、
考えが堅くなるのは好きではない。

見学会において、講師はあくまでも案内役だ。
メインは史跡。
とはいえ、講師の説明の仕方や観点によって別物に見えるから不思議だ。
見学会や講座は生きものであり、
講師の人柄が自ずと出るからなのだろう。

今回の見学会で自分の役がうまく果たせたかは自信がない。
参加者は勉強熱心な方が多く、
鋭い質問も矢弾のように飛んでいた。
反省点もあるし、ああすればよかったこうすればよかったと思う点もある。

でも、ぼく自身楽しめたし、
準備期間も新たな知見を得られて面白かった。
宵時の城跡を走って風邪を引いたり、
テストに追われる学生時代を思い出すこともできたし……

今回も多くのことを学ばせていただきました。
このような機会を与えて下さり、ありがとうございました。
また、50名近い参加者と、
色々と段取りをしていただいた事務局の方々に改めて御礼申し上げます。
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羽生の画家“小林三季”の作品が展示されている?

2015年11月05日 | お知らせ・イベント部屋
10月31日(土)~12月6日(日)にかけて、
羽生市立郷土資料館において“田舎教師と明治期の羽生展「小林三季」を開催している。
前期に引き続き、“後期”の開催だ。

「小林三季」と書いてなんと読むか?
「こばやしさんき」と読む。
“みき”と読みそうになるが、“さんき”である。

ただ、この名前は画名。
本名は“丈之進”という。

そう、この人物は画家なのだ。
明治20年に現在の羽生市大字上村君で生まれた三季はその後画業に邁進し、
昭和46年3月30日に死去した。
三季は古典小説からヒントを得た人物画や絵巻物を得意とした。

実はこの小林三季、
小説『田舎教師』の主人公のモデル・小林秀三の教え子としても知られる。
『田舎教師』とは、言わずと知れた田山花袋の小説。
小林秀三の日記を元に書いたこの小説は、
花袋の代表作の一つに数えられている。

三季は、雑誌「文芸倶楽部」の挿絵に心を奪われ、
また秀三の豊かな感受性に少なからずの影響を受けたらしい。
後年、「田舎教師絵巻」を描いている。

ちなみに、三季は小説には登場していない。
また、秀三と同じ苗字だが、縁戚関係があったわけではなかった。

このたび羽生市立郷土資料館では、
改めて小林三季に焦点を当てた展示を開催している。
三季の作品を大々的に展示するのは、平成元年以来だろう。
三季が描いた掛け軸等が展示されている。

ただ、「小林三季展」ではない。
常設「田舎教師と明治期の羽生展」の一部展示替えとなっている。
それでも、約30年ぶりに小林三季の作品が展示されることは、
大きな意義があると思う。
改めて郷土の画家に目を向ける機会となるだろう。

<田舎教師と明治期の羽生展 「 小林 三季 」>
開催期間 10月31日(土)~12月6日(日)
会館時間 午前9時~午後5時
場所  羽生市立図書館・郷土資料館展示室
入館料  無料
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五代才助を救助した人物とは? ―清水卯三郎―

2015年11月02日 | ふるさと人物部屋
NHK連続テレビ小説「あさが来た」には、
“才助”という人物が登場する。
のちの“五代友厚”だ。

この才助はかつて埼玉に来たことがある。
観光ではない。
イギリス軍艦を出て、埼玉の吉田家に匿われていたのだ。

匿った人物がいる。
それは埼玉県羽生市出身の“清水卯三郎”だ。
薩英戦争の気運が高まるさなか、卯三郎は通訳としてイギリス軍艦に乗船。
そのとき、捕虜となっていた船奉行の松木弘安と五代才助と船内で顔を合わせたのだ。

かねてより、松木と清水は顔見知り合いだった。
まさかこんなところで会おうとは、
夢にも思わなかっただろう。
歴史の不思議なめぐりあわせを感じずにはいられない。

清水卯三郎は両者の釈放に尽力する。
その甲斐あって釈放に成功。
が、船を下りれば薩摩藩から厳しい追及を受けることは想像に難くない。
そこで卯三郎は、しばらくほとぼりが冷めるまで、2人の身を隠すことにした。

仲介役となった卯三郎は奔走する。
「今の世になくてはならぬ人なり」と卯三郎は訴える。
その熱が通じたのだろう。
縁戚関係のあった熊谷の吉田家に匿ってもらうこととなった。

かくして、松木弘安と五代才助は埼玉の地を踏む。
両者はしばらくその地で過ごすのだった。
ときに文久3年(1863)、
卯三郎35歳の出来事だった。

清水卯三郎は「商人」の肩書きを持つが、
そのスケールは計り知れない。
パリ万博で「水茶屋」を出し、大いに成功させているし、
帰国後は西洋文化を積極的に日本に取り入れている。
特に、歯科器材を輸入したのは卯三郎が初めてだった。

また、身分に関係なく、多くの者が文字を読めるようにと、
かな文字を推奨した。
ゆえに卯三郎はかな文字論者の一面を持つ。
文化人である。

近代化が進む日本で、どうすれば国が豊かになるか?
卯三郎は文化の面から国の発展に寄与しようとした。
商人の立場で動いていたが、それは私利私欲のためでなく、
日本の将来を考えての活動だった。
国内における万国博覧会開催の建白書を提出するのも、
端的にそのことを示している。

あまり表舞台に立つことのない清水卯三郎だが、
歴史のあちこちでさりげなく姿を現わしている。
そして、その後の影響に大きくかかわる出来事の関与している。

もしもイギリス軍艦内で松木弘安と五代才助が卯三郎と会わなかったのならば。
もし、卯三郎が両者の救出に尽力しなかったならば……
歴史に残る2人の名は、
いまとは別の形となっていたかもしれないという想像を禁じ得ない。

清水卯三郎は明治43年1月20日に死去。
東京で亡くなったが、
卯三郎の墓碑は現在羽生市内に移されている。
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