クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(55) ―木戸忠朝の亡骸Ⅰ―

2008年09月27日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
羽生城主“木戸忠朝”が戦死、あるいは自害したのなら、
その亡骸はどこに葬られたのだろう。
嫡子“木戸重朝”もまたしかりである。

羽生城からほど近い場所に建つ“源長寺”は、
忠朝の開基と伝えられる。
戦乱によって源長寺は荒廃したが、
忠朝の遺臣“鷺坂軍蔵”(不得道可)が再興した。
亡き主君の菩提を弔うためであろう。

同寺には羽生城主の墓碑と伝えられる石塔がある。
本堂の裏にそれは3基あるのだが、
文字は磨耗して判読できない。
冨田先生は中央を忠朝の供養碑と捉えていた。
しかし、昭和に撮影されたとおぼしき写真と見ると、
現在とは墓碑の並びが異なる。
整備のときに動いたのだろうか。

なお、現在本堂の棟瓦は三階菱の紋が施されているが、
古瓦は梅鉢紋だという。
時代の移り変わりによって羽生城の記憶は薄れ、
伝承や口碑が入り乱れるようになったのだろう。

ちなみに、同寺には中興開基した鷺坂軍蔵夫妻の肖像画を所蔵している。
鷺坂軍蔵は徳川の時代が幕を開けると羽生城代となった。
城主は“大久保忠隣”である。
さらに言えば、軍蔵は忠朝の遺臣であって子どもではない。
戦乱の波に巻き込まれ、羽生自落を目の当たりにした軍蔵は、
文禄4年2月18日に没したという。

この男なら、忠朝がどこに眠っているか知っているはずである。
忠朝の兄“広田直繁”の消息もまたしかりだ。
鷺坂軍蔵は羽生城主の死の謎を解くキーマン的存在と言える。
(続く)


鷺坂軍蔵(不得道可)の肖像画(羽生市指定の文化財)

※最初の画像は源長寺の山門(埼玉県羽生市藤井上組)
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9月27日生まれの人物は?(世界観光の日・女性ドライバーの日)

2008年09月27日 | 誕生日部屋
9月27日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

大槻文平 (財界人)
アーサー・ペン (映画監督『俺たちに明日はない』)
アイ・ジョージ (歌手)
辺見庸 (作家)
武田徹 (評論家)
大杉漣 (俳優)
今野敏 (作家)
岸谷五朗 (俳優)
川相昌弘 (野球)
羽生善治 (将棋棋士)
八嶋智人 (俳優)
伏石泰宏 (俳優)
小野伸二 (サッカー)
朝青龍明徳 (相撲)
室山真理子 (漫画家『あさりちゃん』)
正津勉(詩人)

この日起きた事件は以下のとおりです。

イギリスで世界初の蒸気機関車が開通(1825)
栃木県の渡辺はま氏が、日本人女性初の自動車運転免許を取得。以後この日は“女性ドライバーの日”(1917)
初の地下鉄(銀座線)起工式(1925)
日独伊三国同盟調印(1940)
昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問(1945)
日本最長の有料橋・琵琶湖大橋開通(1964)
皇室史上初めての天皇の海外訪問 (1971)
横浜ベイブリッジ開通(1989)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“とらえどころのないヒーロー”とのことです。
誕生花は「風船葛」(ふうせんかづら)、花言葉は「あなたとともに」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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