クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“羽生城”へ行きませんか?(47) ―「即時自落」の花崎城―

2008年09月13日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
上杉謙信の大輪在陣のとき、
羽生には北条氏政だけでなく“北条氏繁”の姿もあった。
岩付城代の氏繁は、羽生城攻めが主な担当である。
当然の出陣であった。

氏繁が羽生へ向かうと、
「即時自落」したのは“花崎城”(埼玉県加須市)である(「並木文書」)。
5月4日付けで白河義綱に宛てた書状の中で、
氏繁はこう綴っている。

 然而羽生被寄馬候処、近年向岩付取立候号花崎地、即時自落

岩付城の向城として取り立てられた城とあるが、
これは岩付城というより、“鷲宮城”であろう。
鷲宮城とは目と鼻の先の距離である。
鷲宮城は北条方であり、
城主大内氏は鷲宮神社の神主でもあった。
前年の天正元年には、氏繁から羽生城攻めの協力を求められている。

花崎城は境目の城であった。
城主が在城し領地を支配する性格のものではなく、
戦闘のときにだけ利用されたのだろう。
鷲宮城の支城として、“畝堀”や“障子堀”を張り巡らせ
自然要害を利用した小さな城であった(『花崎遺跡』)。
実際に上杉謙信が初めて関東に出陣した頃、
木戸忠朝が先陣となって鷲宮城と花崎城を攻めている。

羽生城がいつこの花崎城を取り立てたのか定かではない。
おそらく越相同盟が決裂し、謙信と北条の衝突が再び激化し始めた頃であろう。
これまで羽生城は、皿尾―羽生(永禄年間)、
館林―羽生(元亀年間)というように、
2つの城をもって土地を守る体制であった。

元亀年間に館林城へ移った“広田直繁”が謀殺され、
館林城が長尾顕長の手に渡ったとき、
謙信は花崎城を取り立てそこに羽生城将を置いたと思われる。
それは木戸重朝か菅原為繁か、あるいは……

天正元年の北条氏繁による羽生攻めの際に、
花崎城がどんな動きをしたのか何も伝わっていないが、
同2年4月には「即時自落」している。
花崎城兵は羽生城へ籠もり、防戦に加わったのだろう。

謙信が羽生に到着すれば、
花崎城もすぐに回復できるはずだった。
しかし、謙信は雪解け水で増水した利根川に阻まれ、
やむなく撤退するのである。
(続く)


花崎城跡(埼玉県加須市)。現在、城跡の一部は公園になっている。


同上


同上


同上


同上


現在、花崎城の目印は埼北自動車学校。
東武伊勢崎線の車内からも見ることができる。
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9月13日生まれの人物は?(世界の法の日・乃木大将の日)

2008年09月13日 | 誕生日部屋
9月13日生まれの人物には次の名前が挙げられます。

杉田玄白 (蘭方医)
アルノルト・シェーンベルク (作曲家)
クララ・シューマン (ピアニスト)
ジャクリーン・ビセット (俳優)
大宅壮一 (ジャーナリスト)
山田洋次 (映画監督)
志賀正浩 (DJ・司会者)
芦原すなお (小説家)
島木譲二 (お笑い芸人)
伊藤比呂美 (詩人)
玉置浩二 (ミュージシャン・俳優)
SION (シンガーソングライター)
三原じゅん子 (俳優・歌手)
サンコンJr. (ミュージシャン)
旭天鵬勝 (相撲)
小田エリカ (俳優)
松坂大輔 (野球)

この日起きた事件は以下のとおりです。

陸軍大将乃木希典夫妻が明治天皇に殉死。以後この日は“乃木大将の日”(1912)
講談落語協会が艶笑物・博徒物などの口演禁止(1940)
伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻文書として基礎される(1950)
立川飛行場拡張のための強制測量実施(1955)
大阪万博博覧会が閉幕(1970)
棟方志功死去(1975)
ダイエーが南海を買収。ダイエーホークス誕生(1988)
コンピュータ・ウイルス日本上陸(1988)

『誕生日事典』によると、この日生まれた人物は、
“どんな障害も乗りこえる人”とのことです。
誕生花は「ブッドレア」、花言葉は「恋の予感」

参照文献
高木誠監修/夏梅陸夫写真『誕生花366の花言葉』大泉書店
主婦と生活社編『今日は誰の誕生日』主婦と生活社
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
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