今年も春が来て、“城沼落とし”は桜の花に彩られていた。
城沼落としとは、羽生城址(埼玉県羽生市)の北側を流れる排水路のこと。
この排水路も城址と言えるかもしれない。
が、「武陽羽生古城之図」や「浅野文庫蔵諸国古城之図」所収の絵図を見ると、
城の北側は沼に覆われているから、天然の沼が堀替わりになっていたことになる。
桜並木の南側に建つのは曙ブレーキ工業の工場である。
井泉に住む同級生の家へ遊びに行くとき、横目に移る工場は城のように見えたのを覚えている。
城沼落とし沿いには、かつて「くるみ」というお好み焼き屋があった。
1994年の春、そこで中学の部活の同窓会が開かれたことがある。
誰が主催したのか聞いてみると、無関係な部活の同級生が1人で企画したという。
しかも、当人は不参加。
なぜ彼が主催したのか、30年が経ったいまも謎である。
4月6日の城の日に法要が行われていた伝堀越館跡。
井泉の同級生が教えてくれた「かつみ」というラーメン店。
城沼落とし沿いには炉端焼きを売りにする居酒屋があって、
彼はそこへバイトを申し込んだ。
が、断られて店を出てきたのは、高校生ではハードルが高かったらしい。
「くるみ」近くには服屋があったらしいが、私は行く機会を失ってしまった。
その土地に眠る記憶が浮かび上がっては、桜の花びらのように散っていく。
羽生城史の記憶はない。
現存する史料の断片から歴史の流れを読み解き、知識として知っているだけ。
懐かしさもないし、夢枕に羽生城主である広田直繁や木戸忠朝が立ったこともない。
むろん、羽生城将も……。
羽生城が軍事施設として機能していた頃、領内にはどのくらいの桜があったのだろう。
当時を生きる人々の目に、その桜はどのように映ったのか。
環境も価値観もまるで異なるとすれば、同じ桜でも見え方は別ものに違いない。
ただ、春を迎える想いは同じだったろうか。
見る景色も生き方も全く違う。
でも、何かがつながっている。
歴史は断絶するものではない。
例え、か細くてもつながる糸がある。
記憶と歴史。
いまを生きる我々が紡いでいる糸は、
どのような未來へつながっていくのだろう。
城沼落としとは、羽生城址(埼玉県羽生市)の北側を流れる排水路のこと。
この排水路も城址と言えるかもしれない。
が、「武陽羽生古城之図」や「浅野文庫蔵諸国古城之図」所収の絵図を見ると、
城の北側は沼に覆われているから、天然の沼が堀替わりになっていたことになる。
桜並木の南側に建つのは曙ブレーキ工業の工場である。
井泉に住む同級生の家へ遊びに行くとき、横目に移る工場は城のように見えたのを覚えている。
城沼落とし沿いには、かつて「くるみ」というお好み焼き屋があった。
1994年の春、そこで中学の部活の同窓会が開かれたことがある。
誰が主催したのか聞いてみると、無関係な部活の同級生が1人で企画したという。
しかも、当人は不参加。
なぜ彼が主催したのか、30年が経ったいまも謎である。
4月6日の城の日に法要が行われていた伝堀越館跡。
井泉の同級生が教えてくれた「かつみ」というラーメン店。
城沼落とし沿いには炉端焼きを売りにする居酒屋があって、
彼はそこへバイトを申し込んだ。
が、断られて店を出てきたのは、高校生ではハードルが高かったらしい。
「くるみ」近くには服屋があったらしいが、私は行く機会を失ってしまった。
その土地に眠る記憶が浮かび上がっては、桜の花びらのように散っていく。
羽生城史の記憶はない。
現存する史料の断片から歴史の流れを読み解き、知識として知っているだけ。
懐かしさもないし、夢枕に羽生城主である広田直繁や木戸忠朝が立ったこともない。
むろん、羽生城将も……。
羽生城が軍事施設として機能していた頃、領内にはどのくらいの桜があったのだろう。
当時を生きる人々の目に、その桜はどのように映ったのか。
環境も価値観もまるで異なるとすれば、同じ桜でも見え方は別ものに違いない。
ただ、春を迎える想いは同じだったろうか。
見る景色も生き方も全く違う。
でも、何かがつながっている。
歴史は断絶するものではない。
例え、か細くてもつながる糸がある。
記憶と歴史。
いまを生きる我々が紡いでいる糸は、
どのような未來へつながっていくのだろう。