2023年大河ドラマ「どうする家康」は、
言うまでもなく徳川家康の生涯を追うストーリーです。
3月5日現在の放送では、永禄6年(1563)の三河一向一揆との戦いに苦戦する家康が描かれています。
この戦いの際、家康方に“柴田康忠”という者がいました。
一向一揆の合戦に奮闘したことがきっかけにより、
家康の家臣として歴史に名を残していく人物です。
『譜牒余禄』によると、永禄6年当時「孫七郎政忠」と称していた康忠は、
一向宗の信者だったのに、家康の前で浄土宗に改宗します。
そして、対する三河一向一揆に矢で立ち向かうのです。
康忠は矢の名人だったようです。
この人物の面白いのは、自身の矢に「孫七郎」という自分の通り名を書き記したことでしょう。
槍や刀で戦えば、その実績の証拠として首級があります。
しかし、矢働きには、わかりやすい証拠をあげるのはいささか困難が伴います。
そこで、康忠は矢に自分の名を書き記すことで、
自身の武功を敵にも味方にも知らしめることを企図したのでしょうか。
腕のいい彼は、たちまち相手に手傷を追わせます。
命を落とす者も続出し、敵方も舌を巻かざるを得ません。
敵ながら、あまりにも感心したらしく、
「孫七郎」と書かれた矢63本を、わざわざ家康の元へ送るのです。
これを知った家康は、康忠の奮闘に感じ入りました。
苦戦を強いられていただけに、康忠の武功は励みになったのでしょう。
褒美として、家康の「康」の字を与えるのです。
のみならず、敵の戦力を削いだ63本の矢にちなみに、
康忠の旗印を「六十三」の文字にするよう直々に指示。
これにより、「政忠」から「康忠」に改めた彼は、
文禄2年(1593)5月26日に没するまでその名を使い続けのでした。
その後も、康忠は家康の家臣として数多くの戦場を駆け巡ります。
一度は家康の不興を買ったようですが、
天正18年の小田原合戦で「御赦免」されたということです。
同19年、康忠は「武蔵国足立郡羽生領」の内5千石を家康から拝領されます(「古文書集」)。
文書には「羽生領」とありますが、
同領における柴田康忠の支配を示す史料は、いまのところ確認されません。
『譜牒余禄』に「其後武州羽生城江被差遣、同国菖蒲・喜才ニ而御知行拝領仕候」とあるため、
拝領したのは羽生領ではなく、菖蒲領と騎西領の内の5千石だったようです。
大河ドラマ「どうする家康」に、この柴田康忠が登場するとは思えません。
(織田信長の家臣柴田勝家はすでに登場していますね)
おそらく、本多正信との対決が重点的に描かれるのでしょう。
とはいえ、『譜牒余禄』が伝える矢の逸話はなかなか興味深いものです。
「脇役」とまで言わずとも、ちらりと描かれる可能性はあるでしょうか。
2023年大河ドラマの主役は、何といっても神君・徳川家康。
ささやかな期待を各所に込めることのできる歴史的人物であり、
回を追うごとにますます目が離せなくなっていくでしょう。
言うまでもなく徳川家康の生涯を追うストーリーです。
3月5日現在の放送では、永禄6年(1563)の三河一向一揆との戦いに苦戦する家康が描かれています。
この戦いの際、家康方に“柴田康忠”という者がいました。
一向一揆の合戦に奮闘したことがきっかけにより、
家康の家臣として歴史に名を残していく人物です。
『譜牒余禄』によると、永禄6年当時「孫七郎政忠」と称していた康忠は、
一向宗の信者だったのに、家康の前で浄土宗に改宗します。
そして、対する三河一向一揆に矢で立ち向かうのです。
康忠は矢の名人だったようです。
この人物の面白いのは、自身の矢に「孫七郎」という自分の通り名を書き記したことでしょう。
槍や刀で戦えば、その実績の証拠として首級があります。
しかし、矢働きには、わかりやすい証拠をあげるのはいささか困難が伴います。
そこで、康忠は矢に自分の名を書き記すことで、
自身の武功を敵にも味方にも知らしめることを企図したのでしょうか。
腕のいい彼は、たちまち相手に手傷を追わせます。
命を落とす者も続出し、敵方も舌を巻かざるを得ません。
敵ながら、あまりにも感心したらしく、
「孫七郎」と書かれた矢63本を、わざわざ家康の元へ送るのです。
これを知った家康は、康忠の奮闘に感じ入りました。
苦戦を強いられていただけに、康忠の武功は励みになったのでしょう。
褒美として、家康の「康」の字を与えるのです。
のみならず、敵の戦力を削いだ63本の矢にちなみに、
康忠の旗印を「六十三」の文字にするよう直々に指示。
これにより、「政忠」から「康忠」に改めた彼は、
文禄2年(1593)5月26日に没するまでその名を使い続けのでした。
その後も、康忠は家康の家臣として数多くの戦場を駆け巡ります。
一度は家康の不興を買ったようですが、
天正18年の小田原合戦で「御赦免」されたということです。
同19年、康忠は「武蔵国足立郡羽生領」の内5千石を家康から拝領されます(「古文書集」)。
文書には「羽生領」とありますが、
同領における柴田康忠の支配を示す史料は、いまのところ確認されません。
『譜牒余禄』に「其後武州羽生城江被差遣、同国菖蒲・喜才ニ而御知行拝領仕候」とあるため、
拝領したのは羽生領ではなく、菖蒲領と騎西領の内の5千石だったようです。
大河ドラマ「どうする家康」に、この柴田康忠が登場するとは思えません。
(織田信長の家臣柴田勝家はすでに登場していますね)
おそらく、本多正信との対決が重点的に描かれるのでしょう。
とはいえ、『譜牒余禄』が伝える矢の逸話はなかなか興味深いものです。
「脇役」とまで言わずとも、ちらりと描かれる可能性はあるでしょうか。
2023年大河ドラマの主役は、何といっても神君・徳川家康。
ささやかな期待を各所に込めることのできる歴史的人物であり、
回を追うごとにますます目が離せなくなっていくでしょう。