クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

年末のごあいさつ

2016年12月31日 | ウラ部屋
早いもので大晦日を迎え、
今年の1月1日に「文殊寺と高見城」について取り上げたのがつい昨日のことのようです。

今年も色々な出会いがありました。
人に限らず、多くの史跡とも顔見知り合いになりました。
続けていると不思議と結びつく縁があるようです。

大晦日はどのように過ごされているでしょうか。
僕は夕方になると妙に落ち着かなくなります。
不安と焦燥にかき立てられるからでしょうか。

その一方で、期待と翌年に託す想いがあります。
終わりは始まりを含んでいるもの。
気持ちを落ち着かなくさせるのは、
年明けと共に人もまた変わっていくからかもしれません。

ちなみに、僕は「出がらし茶」のことを「出がしら茶」と言っていました。
年の瀬に妻の指摘によって気付きました。
いつから「出がしら茶」と言っていたのか。
しばらく前からだったのか、
それともその日たまたまそう口にしたのか……。

出がらしと出がしら。
似ているようで全然違う。
この手の勘違いは多くありそうです。
年を迎えると共に、自分を新しく改めていきたいものです。
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何気ないところに旧流路が眠っている? ―見沼代用水路―

2016年12月28日 | 利根川・荒川の部屋
「藤間橋(行田市)を下っても何もないよ」
高校生の頃、そんな言葉を聞いたことがある。

ふむ。
確かに何もない。
いや、高校生にしてみれば興味を引くものは何もない。
服やCDを売っているお店があるわけではないし、
飲食店もない。

が、見方を変えれば風景は変わってくるもの。
興味が変われば景色は激変する。

何もない……
わけではない。
ある。
色々ある。

神社仏閣があれば、用水路の起点もある。
橋の傍らに佇む供養塔や石仏。
行人塚や控えの土手など、
案外豊富に点在している。

むろん、大人になってもその手のものに興味を覚えない人は多くいる。
それが悪いわけではない。
僕は郷土史に興味を持ってから目に留まるようになったが、
見慣れた景色でも新しい視点で更新されていくのが結構楽しい。

「ある」の一つに数えられるのは旧流路跡。
見沼代用水路は江戸期に掘削され、その流れは健在だ。
でも、最初からコンクリートで護岸されていたわけではない。
かつてはいまほどスマートではなかった。
クネクネと蛇行していた。

見沼代用水路の一部は星川であり、古代の荒川に比定される。
用水路を掘削したことに違いないが、元々流れていた星川を利用している。
だから蛇行していても何らおかしくはない。

現在の形に整備される中で、蛇行している箇所はショートカットされた。
旧流路である蛇行の流れは田んぼに利用されるか、
あるいは沼として1部現存しているところもある。

藤間橋から少し下ったところにも、旧流路跡を見ることができる。
そこは田んぼとして利用されているが、
土手の跡が残っている。
大きく蛇行して流れていたらしい。

ちなみに、藤間橋から少し上ったところには旧流路の一部が沼として現存している。
田島橋も藤間橋も整備後にできた橋だ。
江戸時代から架かっていたわけではない。

景色としてはすこぶる地味。
意識しなければ目に留まることはない。
目に留まったとしても何の変哲もない田んぼ。
思わず足を止めてしまう……ということはまずないだろう。

でも、「旧流路」の視点で見れば立ち止まってしまう。
何もないわけではない。
山羊座のせいか、物理的な大幅の変化は好みではないが、
静かに更新される景色に熱さを感じる。


埼玉県行田市
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羽生の小さな落し堀に心ときめく?

2016年12月26日 | 利根川・荒川の部屋
羽生市砂山に存在する小さな堀。
古川落。
この小さな流れに心ときめくものがある。

自転車で古利根川巡りをしていたのは20歳を過ぎた頃。
この手のものに心ときめかせ、
図書館で調べては再び足を運んだ時間は充実していた。

同世代に話しても賛同を得られるのは難しい。
だから行動するときは1人。
ときたま誰かと一緒のことがあっても、
相手は「強制的につれてこられた」感が満載だったのを覚えている。

1人でも古利根川やそこに点在する史跡と出会ってはワクワクしていた。
あれは新しい世界が始まる予感の何ものでもない。

地味で年寄くさいとの声もあったが、ときめくのだから仕方がない。
誰に何を言われようと、心の琴線に触れるものは変えられない。
それによって失ったものもあった気がするが、
性分だから避けようもない。
無理に何かに合わせても、長続きはしなかったに違いない。

1人たたずむ砂山の落し堀。
時代の流れは速さを増している。
歴史は古くなり、同時に更新され、新たな年輪を刻んでいる。
20代は遠ざかっても、ときめきはいまも変わらない。
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羽生のイルミネーションが見られる場所は?

2016年12月24日 | はにゅう萌え
現在、羽生市民プラザの前庭はイルミネーションに彩られている。
毎年恒例の幻想的な風景だ。
クリスマスに、
あるいは年末年始に立ち寄ってみてはいかがだろうか。

イルミネーションは午後5時から午後10時まで。
1月31日(火)まで点灯している。
記録の1ページにイルミネーションで飾ろう。
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満々と水を湛えない沼は? ―星子沼―

2016年12月22日 | 利根川・荒川の部屋
星子沼は、豊野台テクノタウンの中にある(旧大利根町・現加須市)。
沼は公園の一部になっていて、周囲は工場が建ち並んでいる。

沼と言っても水はない。
いや、湿地なのだろう。
一面に葦が生い茂っており、
満々と水を湛えている姿ではないということだ。

それでいて、コンクリートで護岸されており、
自然なのか人工的なのかよくわからない「沼」だ。
星子沼に釣りに行こうという人は、まずいないだろう。

すぐ隣には中川が流れている。
また、「加須商工会大利根支所」が隣接している。
テニスコートもあり、「沼」とのギャップを感じる。

星子沼の大きさは小規模だ。
その周囲は整備されているから、ウォーキングは可能。
緑がたくさんあり、ちょっと息抜き程度に歩くには最適かもしれない。

水が見えない星子沼。
大雨が降ったあとならば、水を湛える姿が現れるのだろうか。
自然系の学芸員はこの沼をどう見るのだろう。
歴史や由来など、何かと気になるところである。


星子沼公園(埼玉県加須市)
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埼玉県内でトリを務めるのは羽生の酉の市?

2016年12月20日 | はにゅう萌え
2016年も開催される羽生の酉の市。
12月25日(日)の午後5時から始まる。

場所は古城天満宮の境内(羽生市東5丁目)。
ブレーキ会社の東側に位置する神社だ。
羽生城址の石碑も建っている。

この酉の市は、100年以上も前から行われているという。
毎年12月25日のクリスマス開催というのも面白い。
埼玉県内の酉の市では、最も遅いのではないか。
すなわち、トリを務める羽生の酉の市だ。

境内では熊手が販売される。
古城天満宮の札やお守りも購入できるのではないか。
大いに“幸”を引き寄せよう。
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幼な子を“文殊寺”に連れて行くと…… ―増田館―

2016年12月17日 | 城・館の部屋
2016年も暮れとなり、
ご挨拶をかねて埼玉県熊谷の“文殊寺”に参拝。
三箇日に比べれば境内は落ち着いている。

この文殊寺は学問の神様として知られている。
境内には合格祈願の書かれた絵馬あり、
本堂には千羽鶴がいくつも掲げられている。

そんな文殊寺は、かつて“館”として機能した時期があった。
居館したのは増田氏とされる。
が、詳細はよくわかっていない。
享徳の乱の時代に築かれたとするが、果たしてどうだろうか。
ちなみに、文殊寺の中興開基は「増田重富」となっている。

境内の裏手に足を伸ばせば、
館を偲ばせる堀跡が残っている。
往古は深く張り巡っていたのだろうが、
現在は子どもの足でも上り下りできる深さと幅になっている。

落ち葉が積もっているせいか、堀に下りるとフカフカしている。
息子も一緒に連れて行けばおぼつかない足取り。
風に吹かれて舞い転がる葉っぱに笑っていた。

そういえば文殊寺の仁王様(阿)を見ても笑っていた。
仁王様の何が息子の心をくすぐったのだろう。

近くには2匹のネコが休んでいた。
サムライの化身にしてはのんびりしている。
眠そうな目で僕らを見ていた。

お寺と館跡。
すぐ隣には立正大学の敷地が広がっている。
年明けには多くの受験生たちが参拝に来るに違いない。
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雑木林に包まれた富士山の香りのする古墳は? ―舟山古墳―

2016年12月15日 | 考古の部屋
銀象嵌円頭大刀や人骨などが横穴式石室で確認された“筑波山古墳”のほど近くに、
“舟山古墳”がある(群馬県板倉町)。

前方後円墳と目されるが、現在は墳丘の一部しか残っていない。
現在の舟山古墳は生い茂る樹木で覆われており、
遠景で墳丘を確認することはできない。

江戸時代、ここは富士信仰の場として使われていたらしい。
塚を富士山と見立て、登った人が多くいたのだろう。
食行身禄や冨士嶽神社と刻された石碑が、
古墳の麓に建っている。


群馬県板倉町
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その看板は子ネコの悲劇を伝えている? ―コトノハ―

2016年12月13日 | コトノハ
とある場所で見付けた看板。
「こネコ捨てるな カラスに喰われた」

この場所で悲しい出来事があったらしい。
看板はそれを伝えると同時に、
捨て猫禁止を呼びかけている。

いまはネコブームかもしれない。
書店へ行けば、よく見かけるのはネコの写真集。
ネコカフェなんてものもある。
ぼくの身の回りにもネコ好きは多い。

そんなネコ好きがこの看板を見たら、きっと悲しむに違いない。
そっと花を供える人がいてもおかしくない。
あるいは仇をとろうとするだろうか。

この看板を書いた人も、子ネコの死に心を痛めたのだろう。
「カラスに喰われた」という事件を具体的に伝え、
その悲劇を表している。

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幼な子を“小倉城”に連れて行くと……

2016年12月10日 | 城・館の部屋
小倉城は埼玉比企郡ときがわ町にある。
丘陵の上に存在し、石垣がある城としてよく知られている。
石垣と城はセットのようなイメージがあるが、
戦国期の関東の城では珍しい。

宵時に辿り着いた小倉城。
雨もぽつぽつ降っていた。
本郭まで行くのはやめようかと思ったが、
一旦登り始めるともう止まらない。
どんどん登ってしまう。

息子もノリノリで登っていく……
というわけではなく、
のっけから「抱っこ」の声。
息子を抱えて小倉城を登る。

険しい山道ではないが、
幼な子を抱いての城攻めは息が切れる。
持久走なみの息の切れ方だったかもしれない。
何度か歩を止め、休み休み登った。

日はどんどん暮れていく。
宵闇が静かに忍び寄る。
そんな中、親子2人で城を登る姿はいささかホラーだったかもしれない。

小倉城は謎も多い。
城主が誰だったのかも定かではない。
後北条氏の重臣“遠山右衛門大夫光影”とする説があれば、
松山城主だった“上田氏”という説もある。
誰が何の目的で築城したのか……。

小倉城は国指定文化財になっている。
本郭は木が伐られ、ちょっとした広場のようになっている。
息子のテンションは上がることはなく、
地面を見ながら歩いていた。

帰路もまさかの「抱っこ」。
確かに、幼な子を一人歩かせるにはいささか急な道だ。
息子を抱えて宵闇に包まれた道を歩く。
誰かとすれ違うこともなく、人の気配もない。
しかし、ふと振り返れば……


小倉城(埼玉県比企郡ときがわ町)



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1人で食べる“もんじゃ焼き”の味は?

2016年12月06日 | グルメ部屋
1人お好み焼き、
1人焼き肉、
1人鍋……

B型、山羊座、動物占いがペガサスのせいか、
幼い頃から1人で行動することにさほど抵抗感がない。
部活も、集団より個人競技の方が性に合っていた。
「孤独」ではなく、「孤高」に憧れる。

そんな僕の、とある感想。
1人で全く盛り上がらなかった食べ物。

それは1人もんじゃ焼き。
1人お好み焼きは全くOK。
それなのに、1人もんじゃになるとなぜかテンションが下がる。

もんじゃ焼きを1人ヘラで突いても、
妙な虚しさが通り過ぎていく。
2回やっても両方ともダメ。

コツを掴んでいないだけかもしれない。
あるいは、注文したもんじゃの具が悪かったのか。
締めではなく、最初に食べてもいいかもしれない。
(後日周囲に聞いたら最初に食べる人が多数だった)

グツグツと鉄板の上で湯気を立てるもんじゃ焼き。
鉄板の上で城の縄張り図なんかを描いて……。
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名前がかっこいい“沼”が蓮田にある? ―山ノ神沼―

2016年12月04日 | 利根川・荒川の部屋
名称がかっこいい「山ノ神沼」。
埼玉県蓮田市にある。

一般的に連想する「山」はない。
周囲は平地が広がり、近くには元荒川が流れている。
古くから水田の灌漑用水として使用されてきたという。
その成り立ちは定かではないが、
形からして川の流路跡を連想する。

山ノ神沼は整備され、現在は憩いの場となっている。
一時悪化した水質も改善。
動植物が多数見られ、豊かな自然環境が形成されている。

散策する人がいれば釣りをしている人もいる。
ベンチで休んでいる人や、体操している人、
池の畔はゆったりとした時間が流れている。


山ノ神沼(埼玉県蓮田市)
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羽生の下村君には隠れ画がある?

2016年12月02日 | はにゅう萌え
羽生市立村君小学校のそばには埼玉用水路が流れている。
この用水路沿いの歩道を歩くと、
地面に埋め込まれたかわいい絵が目を楽しませてくれる。

動物、魚、植物とそれぞれだ。
通学する小学生たちを楽しませるためのものでもあるのだろうか。

車で走っては気付かない。
歩くと出会える絵たち。
まるで隠れ画のよう……。
親子で歩いてみると楽しいかもしれない。
村君地区の心憎い演出だ。


埼玉県羽生市下村君にて










埼玉用水路
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