クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

毛呂山町の“鎌倉街道上道”を歩くは鎌ぶらか?

2024年06月29日 | 歴史さんぽ部屋
毛呂山町に残る鎌倉街道上道を歩く(鎌倉街道B遺跡)。
掘割の遺構が残り、里山が周囲の風景を隠してくれるから、
鎌倉時代へ想いを馳せやすい。

里山の中、ポコポコと盛り上がる土山は川角古墳群。
苦林宿の可能性が高い“堂山下遺跡”は、現在大類グランドとなっているが、
室町時代の集落跡の記憶が眠っている。
石で組まれた井戸跡などが検出され、職人がいたことを示唆する遺物も出土したという。

蔵骨器や板碑が出土した崇徳寺跡や、
高さ約3mの延慶3年(1310)の銘を持つ板碑。
越辺川に面した交通の要衝地として栄えた往古の賑わいを感じさせてくれる。

この毛呂山町の鎌倉街道上道は、令和4年度に国の史跡に指定された。
多くの関係者が尽力したのだろう。
毛呂山町歴史民俗資料館も街道に近接して建っているから、
親子で訪ねる人も少なくないに違いない。

平日休み、一人で歩く鎌倉街道上道。
大幅に略せば「鎌ぶら」か。
この頃は穏やかな気持ちで史跡巡りができる。

ところで、休日の多くは銀座へ行くという人と知り合った。
「銀ぶら」である。
歴史に無関心というその人は、間違っても「鎌ぶら」はしないのだろう。

とはいえ、往時における堂山下遺跡は、銀座のような賑わいだったかもしれない。
おいしいグルメや買い物、居心地のいい空間でおしゃべり……。
とすれば、毛呂山町の鎌倉街道の遺構を歩くのも、
「銀ぶら」のようなものかもしれない。


埼玉県毛呂山町


堂山下遺跡


延慶板碑


崇徳寺跡
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