クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

時代の速さとともにつまらなさも加速する? ―金木書店の閉店に想ふ―

2023年09月13日 | 近現代の歴史部屋
2023年の春、浦和にあった古書店・金木書店が閉店した。
寂しいの一言に尽きる。
浦和へ行く楽しみが1つ減った。

金木書店で『新編埼玉県史 資料編6』を購入したその足で大学へ行ったのは懐かしい思い出。
分厚いその本はバッグの8割のスペースを削り、重量も相当なものだった。
でも、手に入ったことが嬉しくて、よせばいいのに電車の中で立ち読んで、
周りの乗客に迷惑がられた。
他県の資料集や『武蔵国郡村誌』を歯抜けで買ったのも金木書店で、
あるとき幼い息子をつれて行くと、電車の本をプレゼントしてくれたのを覚えている。

古書店は年を追うごとに数を減らしているのではないだろうか。
僕が学生の頃は、町ごとに1店舗の割合で存在していた気がする(町の規模によるが)。

埼玉県羽生市にも、1979年生まれの僕は3軒の古本店舗があったのを知っている。
駅前「サンクス」の2階に1軒、建福寺から駅前通りを挟んだところにもう1軒、
そして、うなぎ屋「えもり」のそばにも小さな古本店があった。

放課後、うなぎ屋近くの店をよく訪れた。
部活へ行く前のちょっとした気晴らしで、本当は居場所が欲しかったのかもしれない。
漫画と文芸書が半々の割合で売られていて、
『月下の棋士』の隣に新書版の山田風太郎や近代文学全集が並んでいた。

建福寺の北向こうの店には、高校の同級生と一緒に訪れたことがある。
そのとき彼は、「掘り出し物」というホラー漫画を購入していた。
いつもクールな彼が、そのときばかりは興奮冷めやらぬ様子だった。
前から探していた本だったらしい。
かねてからマニアックな男だと思っていたが、その真髄を垣間見た気がした。

そんな彼は、いまは図書館学を専門に大学の准教授になっている。
あの日、彼の横顔に垣間見た「ただ者でない」感覚は、
ゆっくりと時間が流れていた古本店の記憶とともに、忘れられないものになっている。

社会人になって営業の仕事をするようになったとき、
行った先の町の古本店を訪れるのが楽しみだった。
あの頃、大宮や浦和には古本店が数店舗あり、
しかも人文系の硬派な本が棚に並んでいた。
『武州羽生金石文集成』や『利根川と淀川』、
『太宰治論』や『エクリ』などが手近なところにあって、
店に入って背表紙を読むだけで刺激になったし、勉強になったものだ。

大量に本を買い込んでしまい、そのまま帰社するわけにいかず、駅前ロッカーに預けたこともある。
買った本があまりに重くて、袋の底が抜けたことも……。
東大宮駅前や熊谷寺・県立熊谷図書館近くにあった店、
行田の清善寺前や、久喜の十字路の角にあった店。
久喜はその対角線上に個人経営の魚屋があったが、現在はいずれも面影はない。

金木書店は、古本店に親しんできた北埼玉の人間にとって、
いつの間にか最後の砦のような感覚になっていたのだと思う。
その店が閉店となり、大きな喪失感を覚えずにはいられない。
時代がまた一つ終わってしまったような……。

確かに、いまはインターネットで何でも買える時代である。
足を棒にして探し歩いた本も、ネットで検索すれば瞬時にヒットする。
無論、ヒットしない本もあるが、
コンスタントに検索しているとやがて市場に現れてチャンスが生まれる。
ついこの間も、十年越しにようやく市場に現れた本を大枚はたいて購入したばかりである。

ネットがなければ、そのチャンスには巡り合えなかっただろう。
オンライン出版も徐々に浸透してきており、絶版本は比較的購入しやすくなっている。
もう探し回る必要はない。
その時間を読書に充てられる。
執筆にも充てられる。

でも、
でも、である。
こんな時代でもやはり店舗に入って本を見て回りたい。
探し物以外の本と出会いたい。
直接手に取って、重さ、デザイン、文字の大きさ、紙の質と厚み、組版などを実際に目にしたい。

どんどん便利になっている一方で、つまらなさも加速してはいないだろうか。
自分が楽しみにしていたものが姿を消していく。
アーケードゲームもほとんど見られなくなったし、
『イニシャルⅮ』に登場するようなスポーツカーは絶滅危惧種となり、
電気自動車が通り過ぎていく。

釣り場だった沼地は埋め立てられ、あるいは柵に囲われ立ち入り禁止の看板が掲げられる。
細くてデコボコの感じのいい古い道は二車線道路に整備され、
利根川の土手ですら生まれ変わろうとしている。
カブトムシがたくさんいた里山や古木は伐採され、
人を寄せ付けないマニアックな史跡は公園として整備される。
お化けも心霊写真もとんと出なくなった。

好きだったものが真っ先に消えていく。
多分そんなことはないのだろうが、そういう感覚を否めない。
新しく出会う面白いものがあっても、つまらなさがそれを凌駕する。
ずっといたかった居場所は崩れ、変わらないでほしかったものは変貌を遂げる。
時代が進んでキラキラしているはずなのに、どこかくすんでいるような……。
古書店がなくなった町は、何か大切な色彩が消えてしまったような……。

ところで、古書業はやっていても店舗経営をしていないというパターンもある。
羽生市内にもそのような企業がある。
だから、古書の炎が消えたわけではない。
いつか違う形で現れるのかもしれない。
メタバースショッピングはその片鱗に思える。
ただ、岡田奈々さんが1976年に歌った「青春の坂道」のような光景はもう見られない。
近い将来、「立ち読みをする君」と会うのはメタバースの古本店だろうか。

 淋しくなると訪ねる 坂道の古本屋
 立ち読みをする君に逢える気がして
 心がシュンとした日は 昔なら君がいて
 おどけては冗談で笑わせてくれた
(「青春の坂道」作詞:松本隆 作曲:森田公一)
コメント (2)
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その水路には魔物が棲んでいる? ―加須市にて―

2023年09月11日 | 利根川・荒川の部屋
水路に入ってはいけない。
そう訴える看板がある。

埼玉県加須市で見付けた看板。
インパクトがある。
足が止まり、目が釘付けになった。

水路には、この世ならざる者が棲んでいる。
だから入ってはいけない。
近付いてもいけない。
目があったら最後。
引きずり込まれてしまう……。

この夏も、痛ましい水の事故が全国各地で相次いだ。
特に子どもに関する事故のニュースはもうなくなってほしい。
夏が終わっても、水の事故が少しでも減りますように(合掌)。


ゲーム「魔界村」に出てきそうな……
水路にはこの魔物が棲んでいる?


この世の人ならざる者が足を引っ張ろうとしている。
これでは水路に近付けない。
他方、「ボケて」に使われそうな……


一応歴史的なことに触れておくと、
この看板と出会った地域は、「堤」という小字が確認される。
堤の大部分は消え去ったが、ほんの一部だけ名残りと言えそうなものがある。
『新編武蔵風土記稿』には、「高一丈、騎西・幸手二ヶ領水溢の為に設く」と記されている。
神社境内には明治43年の大水を伝える水害碑が建っており、
“水”と関わりが深い地域と言えるだろう。
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埼玉に“たたりめ堂”が現れた? ―さいたま文学館―

2023年09月09日 | ブンガク部屋
埼玉県桶川市の“さいたま文学館”で、「番外編 たたりめ堂」が開催されている。
「銭天堂」の悪役でおなじみの“よどみ”の店である。
首都圏初の番外編らしい(令和5年9月24日までの開催)。

たたりめ堂では、代金として支払うのは“悪意”。
そこに入り込んだ客は自らの“悪意”を払って駄菓子を買う。

はっきり言って好みである。
なぜなら、悪意はとても人間くさいから。
欲望、妬み、恨み、執着と、駄菓子をとおしてその人の人間性があらわれる。
最初は悪意しかなかったが、途中で芽生えた善意と葛藤があればなお良し。
その心の有り様を描くのが「文学」だと思う。

個人的には、たたりめ堂の“眠れませんべい”にインパクトを覚えた。
こんなのがあったら買ってみたいかもしれない。

はて、支払わなければならぬ悪意とはなんだろう。
自分も人間。
悪意がないとは言えぬ。
紙に書いたらいくつ出てくるだろう。
よどみに気に入られるものはあるだろうか。

さいたま文学館で展示されている“たたりめ堂”へ行き、自分の心を覗いてみるといい。
“知らなかった自分”と出会えるかもしれない。
そこから “文学”が発生し、形にしてさいたま文学館へ投稿すれば、
それは同館が得るもう一つの「報酬」となるだろう。

ところで、アンチ“たたりめ堂”の方は安心されたし。
紅子が経営する“銭天堂”とその商品も展示されている。
ホーンテッドアイスやドクターラムネキットとか……。
たたり堂と違ってほんわかムードである。

不思議な力を秘めた駄菓子をどう使うかは買ったその人次第。
幸運が訪れることもあれば、痛い目にあう可能性もゼロではない。
買った商品と使い方次第でその後が分岐するという意味で、
黒服のセールスマンを彷彿とさせる。

結局のところ、人の欲は自身を成長させもすれば、破滅へも導く。
欲はなかなか捨てられぬもの。
欲を出しすぎるから現実世界でも痛い目にあう。
何事においても、ほどほどがちょうどいい。
と、わかっているのに欲が出る。
知っていても欲望が背中を押してくる。
それが“人間”というものだろう。


たたりめ堂内(さいたま文学館)


眠れませんべい(同上)


銭天堂の厨房(同上)
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