くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

勘三郎の死: 村上湛氏に同意する

2012年12月06日 | Weblog
私にとって歌舞伎の楽しさとは、その古典性にある。

中村屋の死に際してマスコミやコメンテーターは、多聞に彼のしたことの新奇性に言及するが、中村屋の真骨頂は古典への伝統への敬意、父である先代先人たちの芸への敬慕ではなかったのか、と思う。

つまり、彼こそが歌舞伎の古典性を重視してきた人なのだ、と思う。まさに保守の人であり、コクーンも、平成中村座でのさまざまな試みも、古典を追及し保守することこそがその真の目的だったのでないのか。

そう思えばこそ、学生時分から歌舞伎の古典性を愛した私は、中村屋には先代同様に注目し、その芸を高く評価していた。

惜しい、残念という言葉だけでは言い表せない喪失感、無念。

中村屋なしで新しい歌舞伎座のこけら落としを迎えなければならないという現実から逃れたい気持ちにさえなる。

これから彼の芸がいかに進化していくのか、あれも、これも見たかったが、どれも思いつくのは古典ばかりだ。

ただただ、嗚呼というほかない。おそらく、当分は、あるいは永遠に彼の死によって空いた穴を埋めることはできはしないだろう。

中村屋のいない歌舞伎、少し前に覚悟はしたが、そんな日がこうも早く来ようとは・・・。


合掌
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