くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

坂本龍馬は過大評価され過ぎではないだろうか?

2010年04月08日 | Weblog
私は、どういうわけか坂本龍馬に興味がないというか、大した魅力を感じない。

いきざまそのものもさることながら、薩長同盟や船中八策等も人気の秘訣であろう。

が、薩長同盟については、私個人は坂本の功績を否定する気は毛頭ないが、やはり薩長双方に西郷と木戸という人物を得たことが大きいと思う。

八策はそもそも、坂本のオリジナルではない。

歴史にIfがあったとすれば、などという子供じみた番組でも坂本を扱っていたが、私は、かりに暗殺されていなかったとして、ファンが考えるような「活躍」を維新後の坂本ができたかというと、疑わしいと思う。

政府に身を置けば、権力闘争の真っただ中で、清濁を嫌というほど併せのまねばならなかったであろう。そうした事態に直面して、坂本が新政府から身を置いたとして、それによって一体いかなる道が開けたというのだろうか。

岩崎の三菱や大倉商会等に見るように、商売に未知を求めたとして、政治から完全に決別しえたであろうか。大成するためには、政府との密接な関係を築くことが不可避であったのであないだろうか。つまり、政商としての顔を持たざるを得なかったであろうし、例の番組がいったところの「軍国主義」に加担してこそ富と名声を手に入れることができたのであはないだろうか。政府並びに政治への関与なしに、富をなしたとして、そこにはおのずと限界があり、三菱のようなことにはなり得なかったであろう。

かりに坂本が自由民権運動に道を求めたとして、やはり最終的には、大隈や板垣のように政府のなかに入っていかないことには、自らの政治的プレゼンスを高め、考えを実現することは不可能であったのでないだろうか。さもなくば、在野のまま、言論人、思想家としての道を歩むしかなかったのではないだろうか。

福沢のような道という選択もなかったわけではなく、大隈は政治に直接関与しつつ早稲田をも育てたが、坂本が果たして福沢のような教養人であったり、大隈ほどの切れ者であったかといえば、私にはそうは思えないのだ。

勝のような要領の良い生き方もできなかったようなに思える。

商売でも一線に立たず(立てず)、政治の中枢には身をおかず、ましてや言論界や教育界で名を成すほどの教養人でもないとすれば、案外、維新以降の坂本は歳月を経るとともに、在野のまま「過去の栄光」のみで、さいしたることもせず、またしようともせず、天寿を全うしたのではないだろうか。

こういう言い方をしたら坂本ファンに怒られるかもしれないが、あそこで劇的に死んだことが、坂本にとってはもしかしたら不幸中の幸いだったのかもしれない、と私は思ってみるのだが・・。

もっと言えば、もし坂本ファンの多くが持ちがちなイメージ通りの人物だったとしたら、坂本はあまりにも当時の国内外環境のなかにあって、ナイーブ過ぎて、日本を「危機」から救うだけの現実的な才覚を持ち合わせまま、理想論だけを振りかざす無才の士として、歴史のひのき舞台から退場を迫られたのではないだろうか?

例えば司馬が描くような人物だとして、坂本って、そんなにスゴイか?と、私は思ってしまうのだが? 絵空事のような人物に見えて、どうも、私にはオモシロクナイ人間なのだが・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 党名からわかる「たちあがれ... | トップ | 武田鉄也の勝海舟: 「龍馬... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事