くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

在外日本人社会: 補習授業校、永住組や日系人は「お荷物」な存在

2008年06月27日 | Weblog
補習授業校の本来の存立目的は、在外子女が帰国後の学校環境に可能な限り順調な適応を可能にするためのものである。

はずなのだが、在籍する生徒のすべてが帰国を前提した子供たちばかりというわけではない。つまり、米国の場合でいえば、中には今後日本には帰らず永住権ないしは市民権を持ち、米国で今後の人生を送ることが想定されている子供たちや、片親が米国人でやはり今後の生活の場は米国であろう子供たちも少数派ながら在籍しているのだ。

率直に言って、こうした永住組や日系人(つまり片親を日本人に持つ米国人)の存在は、補習校においては、決してプラスの存在ではないのだ。むしろ、「お荷物」なのだ。彼らの存在は、すべてがすべてというわけではないが、他の生徒にとっても、彼らの親にとっても、教員を含めた学校側にとっても、決して有難い存在ではないのだ。

その理由の一つが、彼らの日本語能力である。これまた、すべてがすべてというわけではないが、米国での生活が長いがために、あるいは普段の生活言語が英語であるがために、日本語能力が著しく低いというケースが目立つ。その結果、他の帰国を前提とする生徒と一緒に机を並べながら、授業にはついていくことはできない。教員はほうっておくこともできず、他の生徒に与える以上のケアをそうした生徒に対して施さねばならない。しかし、週一回という補習校では、時間的な制約もあるし、週一回しか教師を務めない現地採用教員にとっては、負担以外の何者でもないのだ。

二つ目が彼らの学習意欲、態度である。これは日本語能力とも関係しているのだが、日本語ができないために、授業がわからない。となれば、やがて学習意欲もなえ、授業態度にもそれが出てくる。宿題もできないから、やってこない。そうした生徒がクラスにいると、それこそ「腐ったミカンの方程式」的な悪影響が出てくるおそれがあるのだ。いや実際にそうで、うちの子供によれば、「●●君(英語名の永住ハーフ君)、先生が何言ってるんだかわからないみたいなんだよね」、とか、「一人だけ違うことしているんだよ」ということだったそうで、そのために費やされる時間と教員の労力は無駄以外の何ものでもない。

三つ目が彼らの保護者の態度である。そういう生徒の親に限って、クレーマーというか、現地的にはごく普通のことなのかもしれないが、はっきりとものを言うというか要求の多い親が多い。そして、そうした親たちは多分に補習校の本来の教育目的を理解していない。つまり、「あなた方のお子さんを対象とした学校ではないのですよ」ということを理解していないのだ。なかには、補習校イコール日本語学校と勘違いしている親もいるようで、補習校に行かせれば、日本語が何とかなると思っているようなのだ。普段自分たちは家庭で英語を使っておいて、週一回のみ日本語環境に子供を置いたところで、さほどの効果が期待できるものでもないし、そもそも、補習校は日本語を「母国語」としない子供を対象にした場ではないのだ。また、どういうわけか永住組や現地人との結婚組は、時間にルーズなのだ。とにかく遅刻が多い。私も、何度がボランティアの安全当番を朝からしたことがあるが、毎回ほぼ同じメンツが遅刻を繰り返していた、しかも悪びれる様子もなく。

迷惑な存在なら学校側も入学を拒否すればよいのだが、そこが日本人的というか、そこまで思い切った態度には出れないらしいのだ。米国にある補習校のなかには、
日本語能力を入学条件にしているところも少数ながらあると聞く。それは補習校が帰国子女を対象にしたものであるという本来の目的に鑑みて正しいやり方だと思う。日本語が十分でなかったり、生活態度や物の考え方が「日本人ではない」子供や親の存在は、日本への帰国準備の場としての補習校にとって、毒になることはあっても薬になることはないのだ。日本語能力を入学基準とすることは、人種や国籍による差別でも何でもないのだから、より多くの補習校がそうした方式を採用すべきではないのだろうか。

今後、永住組、ハーフ日系人組の入学は増え続けるであろう。もちろん、彼らが多数派になることはなかろうが、数が増えれば、単純に考えて上述のような問題が、補習校やそこに通う多数派の子供たちや親たちを悩ますことになるのだ。

永住組や日系人の側も、補習校という場における自分たちの立場というものを、もう少し自覚すべきなのだ。

と、彼らに諭したところで、耳を傾けるわけもないか・・・。ミーミーミーの人たちが多いからね。さもなくば、堂々と遅刻を繰り返すなんてこと、普通の日本人には恥ずかしくてできませんから。

ちなみに、我が子が通っていた補習公校は、今年度から、日本語できない組ちゃんたちに対しては、入学許可を出す前に、子供との面接をして日本語をチェック。あまりにひどいときには、保護者に「当校では面倒みかねます」とはっきりと告げることになったとのこと。派遣教員が一人しかいないから、そういう生徒の面倒までは負いかねます、文科省から言い渡された本来業務ではありませんと。今年からやってきた校長先生がはっきり公言されたとか。エライ! 

でも、それでも食い下がる親はいるそうだが、そんなに日本語教育に執心しているんだったら、もっと早くから家庭でも日本語で親子の会話をしておけば良かっただろうに。学齢に達して週一回では、遅すぎる。もう手遅れ。といっても、そういう親に限って、自分では何もせず、他人にたよって子供の日本語を何とかしようとする。まあ、この親にしてこの子ありなんです、結局のところ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福田康夫、国家に仇なす男 | トップ | 人種差別批判に潜む「人種差... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事