先日、台湾に家族旅行したことを書いた。
台北滞在中、短い間ではあったが、改めて認識させられたことがある。
改めてというのは、以前にもそう感じたからである。
それは「余裕」という点である。
何の余裕なのか?「空間」の余裕である。
まずは、公共交通機関であるが、MRTと呼ばれる台北市内及び近郊を結ぶ鉄道の座席。車両は、シーメンスと川崎製の両方を見た。それはさておき、我が国の地下鉄や鉄道に比べ、座席に余裕がある。構造上、我が国の一般的な車両に比べ不便を感じる点をなくはなかったが、一人当たりの座席の幅が広い。
同じことは、バスにも言える。市内はかつての日本の大都市もそうであったように非常に多くのかつ複雑な路線によって結ばれている。使い慣れれば、このうえなく便利である。以前は中国語を解しないとキツいという外国人客には難点もあったが、最近は、車内前方に漢字とローマ字で次の停車駅を知らせる電光掲示板を持つバスが増え、しかも現地語に加え英語のアナウンスも入るようになっている。すべてのバスがそうなっているわけではなく、故障していることも少なからずあり(この点は相変わらずの台湾らしさである)、そうなると運転手のアナウンスに頼るしかなく、なかにはアナウンスすらしてくれない運転手もいるのだが、ここが台湾人の親切さ、降りる駅についたら教えてくれるよう頼めば教えてくれる。運転手でなくとも、最寄りの乗客に頼んでも良い。もちろん筆談Okだ。大体の人が助けてくれる。中には無愛想な人、特に女性に多いが、表情だけで判断してはいけない。無愛想でも声をかければほとんどの人が助けてくれる。
話がずれたが、その市内バスも、総じて座席は横にも、前にも広い。もっとも、最新式バスでないと、日本に比べかなり乗り心地は悪い。しかも以前よりはましになったといえ、運転が相変わらず荒い。そうした日本にはない問題もあることにはあるが、スペースという点では、台北のバスに軍配が上がる。
列車もそうだ。台湾新幹線の座席は決して狭くて座り心地も悪い。自強号の座席の方がはるかに良い。700系をもとにした日本の新幹線を導入したとのことだが、座席に関しては、どうも日本の新幹線に劣る。そして、その日本の新幹線もグリーン車を除けば、自強号に劣る。
アパートの広さも、総じて、日本の方が狭い。台北にはさまざまな集合住宅がある。朽ち果てたような汚いものもあれば、デザイン的には日本にはないよ言うな凝ったものもある。もっとも、デザインは人ぞれぞれで、私は台湾の高級アパート(マンション)のデザインは、欧米の建築物を意識し過ぎかつ成金的で嫌いなのだが。ただ、外見的には汚いビルでも、中は思いのほか新しい阿アパートも結構あり、日本よりは広めである。
なぜなのだろうか?
そういえば、以前、李登輝が、台湾地震の際に日本がよこした仮設住宅は台湾のそれよりも狭かったということを、どこかで述べていたことを記憶している。
台湾も人口過密な国である。台北に関して言えば、その化密度は日本の大都市にそん色かそれ以上にはずだ。それなのに、公共交通機関や居住スペースに余裕を持たせてあるというのはどうしたことか。
日本人は貧乏性なのか?
それとも、人にやさしくないのか? 人の快適さというものへの追求心が弱いのか?
台湾人の親切さとスペースの余裕には関連性があるのではないのか? 台湾人の精神的余裕、逆にいえば日本人の精神的余裕のなさ、貧困に起因している違いではないのか?
ふとそんなことを改めて考えてしまった、先日の台湾家族旅行であった。
台北滞在中、短い間ではあったが、改めて認識させられたことがある。
改めてというのは、以前にもそう感じたからである。
それは「余裕」という点である。
何の余裕なのか?「空間」の余裕である。
まずは、公共交通機関であるが、MRTと呼ばれる台北市内及び近郊を結ぶ鉄道の座席。車両は、シーメンスと川崎製の両方を見た。それはさておき、我が国の地下鉄や鉄道に比べ、座席に余裕がある。構造上、我が国の一般的な車両に比べ不便を感じる点をなくはなかったが、一人当たりの座席の幅が広い。
同じことは、バスにも言える。市内はかつての日本の大都市もそうであったように非常に多くのかつ複雑な路線によって結ばれている。使い慣れれば、このうえなく便利である。以前は中国語を解しないとキツいという外国人客には難点もあったが、最近は、車内前方に漢字とローマ字で次の停車駅を知らせる電光掲示板を持つバスが増え、しかも現地語に加え英語のアナウンスも入るようになっている。すべてのバスがそうなっているわけではなく、故障していることも少なからずあり(この点は相変わらずの台湾らしさである)、そうなると運転手のアナウンスに頼るしかなく、なかにはアナウンスすらしてくれない運転手もいるのだが、ここが台湾人の親切さ、降りる駅についたら教えてくれるよう頼めば教えてくれる。運転手でなくとも、最寄りの乗客に頼んでも良い。もちろん筆談Okだ。大体の人が助けてくれる。中には無愛想な人、特に女性に多いが、表情だけで判断してはいけない。無愛想でも声をかければほとんどの人が助けてくれる。
話がずれたが、その市内バスも、総じて座席は横にも、前にも広い。もっとも、最新式バスでないと、日本に比べかなり乗り心地は悪い。しかも以前よりはましになったといえ、運転が相変わらず荒い。そうした日本にはない問題もあることにはあるが、スペースという点では、台北のバスに軍配が上がる。
列車もそうだ。台湾新幹線の座席は決して狭くて座り心地も悪い。自強号の座席の方がはるかに良い。700系をもとにした日本の新幹線を導入したとのことだが、座席に関しては、どうも日本の新幹線に劣る。そして、その日本の新幹線もグリーン車を除けば、自強号に劣る。
アパートの広さも、総じて、日本の方が狭い。台北にはさまざまな集合住宅がある。朽ち果てたような汚いものもあれば、デザイン的には日本にはないよ言うな凝ったものもある。もっとも、デザインは人ぞれぞれで、私は台湾の高級アパート(マンション)のデザインは、欧米の建築物を意識し過ぎかつ成金的で嫌いなのだが。ただ、外見的には汚いビルでも、中は思いのほか新しい阿アパートも結構あり、日本よりは広めである。
なぜなのだろうか?
そういえば、以前、李登輝が、台湾地震の際に日本がよこした仮設住宅は台湾のそれよりも狭かったということを、どこかで述べていたことを記憶している。
台湾も人口過密な国である。台北に関して言えば、その化密度は日本の大都市にそん色かそれ以上にはずだ。それなのに、公共交通機関や居住スペースに余裕を持たせてあるというのはどうしたことか。
日本人は貧乏性なのか?
それとも、人にやさしくないのか? 人の快適さというものへの追求心が弱いのか?
台湾人の親切さとスペースの余裕には関連性があるのではないのか? 台湾人の精神的余裕、逆にいえば日本人の精神的余裕のなさ、貧困に起因している違いではないのか?
ふとそんなことを改めて考えてしまった、先日の台湾家族旅行であった。
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