くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

神足裕司って何様?: 大嶽親方の責任の取り方

2010年06月30日 | Weblog
神足裕司さんは、「すべての権利を手放す」という親方なりの責任の取り方だったとみる。一方で、復帰が絶望的になった今、こうした責任の取り方は、「損得計算が見え、子どもっぽい虫の良さがある」とも指摘した。親方がインタビューで琴光喜をかばう発言をしたことについても、子どもっぽさがあるという。

以上抜粋だが、このハゲだるま何様のつもりというか、いささか上から目線じゃないか、人の腹の底を見透かしたような気になって?

大嶽親方、すなわち元関脇貴闘力。若貴時代を支えた「脇役」の一人だった。個人的には好きなタイプの相撲取りではなかった。
子どもの頃から、四つ相撲を得意として技のうまさを見せる力士が好きで、あの「黄金の左」と双葉山ですら適わないと風格のある土俵入りで印象深い輪島や、近年では私生活のまずさや実像における人格はメディアが作り出したイメージとはかなりかけ離れている(悪い意味で)と言われている若乃花(貴の兄)等が好きだった。「おしん横綱」と呼ばれた隆の里も好きだった。一方、突き押し相撲を得意とする力士は、取り口の見目も美的によくなく、ましてや突き押しをかわされて前のめりに負けた時の無様さといったらみるに絶えず、一時期将来の大関候補と目された麒麟児や現尾車の琴風、近年では引退した出島や雅山の類を応援する気になったことがない。贔屓目がまったくないせいか、出島、雅山が横綱はおろか大関の地位を維持することも難しく、いずれ陥落するであろうとの私の予感は的中した。大受がその好例であるが、子どもの頃から相撲を見てきた経験則からいって、そうなるだろうと思ったのだ。

それはさておき、貴闘力、取り口から贔屓の力士ではなかったが、見ていて気持ちの良い力士であったことには違いなかった。

あのガチンコで知られた力士が、今賭博問題で渦中の人となろうとは。しかも、どうやら相撲界に彼の生き残る術はないらしい。
おそらくタニマチ筋が新たな食いぶちを紹介して何とか生きていくのであろう。しかし、相撲界を追われるこれからの人生は失意の余生となるに違いなく、しかも博打好きという宿痾を抱えた人である。再び身を持ち崩すのではないかとの不安を払拭することはできない。

る反小る」が、私はあの涙に「演技」はないと信じたい。彼が語った内容がすべて真実か否かは知らぬ。賭博と暴力団のつながりの可能性に
思いが至らなかったというのは、相撲界とその世界との昔からの接点を考えると、にわかには信じ難い。が、琴光喜の今後を案じる彼の涙だけは信じても良いのではないだろか。

だからこそ、あのハゲだるまの人の心の奥底まで見透かせるのだと言わんばかりの高慢ちきな物言いが、特に損得計算が「見え」という断定的な物言いが、むしょうに鬱陶しく、いまいましい。

お前は「ネ申」か?と言いたくなる。

ただ、そういう知ったかぶりでもしないとメシを食えないというのが、コラムニストというこの世の中別にあってもなくてもいいような、もしかしたらある意味ヤクザ屋や相撲取りよりも存在価値の無い連中の現実なのかもしれない。ということで、大目に見てやるべきなのかな? そうでもしないと「ハゲだるま、○○で逮捕: 生活苦による犯行」などということになっても本人はともかうも世間が迷惑するし、私生活やら仕事やらでどうやら火病ってしまった半島役者のように電気コードで自分の首絞められるのもはた迷惑なことだし、ましてやサンミュージック所属の某女性アイドル歌手のように頭から豆腐を出して死なれてしまうかもしれないから。
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