くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

学校給食と子供のアレルギー: 私がそんな子の親だったら、

2013年03月18日 | Weblog
学校に異論がないのであれば、お弁当を持たせる。学校が責任をもって給食を提供してくださるというのであれば、心苦しくも、お願いすることになると思うが。

でも、はやり学校や、先生、給食室の方々のことを思えば、何百人もいるなかで我が子のためだけにというのは気がひける。

だから、こちらから特別食をお願いすることは絶対しない。

夫婦共稼ぎで朝はそんな時間がない? じゃあ、子供なんか端から作るな、犬猫じゃあるまいに!

お弁当はコストパフォーマンスが悪い? 頭を使え! 金がなきゃ働け、稼げ! 酒タバコやってるなら、やめろ、金浮くぞ!

一人だけお弁当では、子供がかわいそう、いじめられるかもしれない? その可能性は否定できない。でも、そういう時こそ、学校、教師、親の力量が問われる。そうなったらなったで対応する。そこから子供たちは学ぶ、いや学ばせなければならない。

むしろ、特別扱いされるのが当たり前という認識を子供が持ってしまうことこそ、私は親として、恐ろしく思う。自分にはアレルギーがある、自分は事情があって他の子とは同じにできない(無理にすれば命を落とすかもしれない)、という現実をまずは直視させるべきで、その現実を呑み込ませたうえで生きていくことを学ばせるべきだ。

これは障害児にも言えることではないのだろうか。

健常児と同じ教室に、という親の願望はわかるが、それはエゴにもなりうるし、我が子にとっては負担にもなり得る。健常児にとって必ずしもプラスになるとは限らない。アメリカでの例だが、インテグレーションは必ずしも教育上の効果を期待して採られた手法ではない。ペンシルベニアのケースと記憶するが、そもそもは財政事情にあった。少数者のために別個の教室、設備を設ける余裕がないという状況で生まれたものだったとのこと。障害児の親は我が子ばかりではなく、他の子に対しても思いをめぐらすべきだ。障害者だから配慮されて当然との思いがあるとすれば、それは甘えであり、傲慢というものだ。むしろ、我が子のこと以前にその他大勢の利害に思いをめぐらすべきだ。

食物アレルギーの問題に話を戻すならば、そうした問題を持つ子供の親はどうしているのだろうか? 我が子のためだけの給食が出されて当然と思うか、心苦しくも学校の好意に甘えているのか。すべてとは言わないが、ほとんどの親が後者であると私は信じたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国人実習生8人殺傷事件 | トップ | アスリートには屁たれや女々... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事