くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

中国の未来を予測するということ

2011年06月11日 | Weblog
最近ある大学の先生と御話を聴く機会を得た。

会話のなかで「中国の今後」が話題に上ったのだが、この先生おもしろいことをおっしゃっていた。

「いわゆる『中国』という土地ないしは『中国大陸』と共産党支配の国家ないしは政治体制を指す『中国』を必ずしも
等式化して考えてはいけない」と。


先生いわく、現在ただ今の共産党支配の政治体制は、いずれ変革ないしは解体を迫られるだろうと。但し、東欧のような短期間の劇的な変化や「革命劇」は期待しない方がよいと。いわゆる中長期的な視野において、必ず現体制は変化ないしは崩壊を迫られると。共産党指導部が中央、中央において改革開放、経済成長の過程ですっかり利権集団化してしまっている以上、既得権益とそれにあやかれないその他大勢との軋轢が今後さらなるものになることは不可避で、もうこれを「政策」という人為的なもので解消することは不可能だと。

体制の維持が、経済成長自体と「格差」、「バブル」と不可避に一体化してしまっている現在の状況はもう手がつけられない状態にあると。

しかし、今後進んでいくであろう中国国家体制の混迷のみをもって、中国経済やその世界的なプレゼンスを占うことはできないという。より端的にいえば、今後も中国経済、中国市場の世界経済におけるプレゼンスは高まり続けるというのである。政治的な成り行きが中国経済に影響を与えることは不可避であり、その点において、中国とは厄介な存在であり続けるが、同時に経済活動の場としての「うまみ」も持ち続けると。

その一例が辛亥革命以後1910年代、20年代、30年代の中国だそうな。政治的には混沌の極めながらも、経済、社会は深化を遂げ続け、日本を含め諸外国は政治情勢ゆえの困難にたびたび直面しつつも市場、経済活動の場としての「うまみ」も味わってきたのだと。

なるほど・・。


但し、一点単純な過去とのアナロジーで推測不能なのが、軍部だという。現在ただ今の軍部の状況、胡錦涛の指導力、来年秋に指導者となるであろう習近平と軍の関係など、不透明な部分が多く、この点は上述の時期とは異なる部分があるというのである。例えば蒋介石を例にあげれば、蒋介石は一朝一夕に独裁的地位を手中にしたのではなく、20年代、30年代の党内外に権力闘争の末に権力掌握、拡大を成し得たのであり、軍権の掌握もその例外でなかったことは中原大戦からもわかる。ただし、自ら軍籍にあったのであり、その点は共産党の毛沢東、小平も同様であった。ところが習は江、胡同様軍歴を持たない。習は前二者よりも軍部に近いと言われているし、確かに軍との距離の近さはその経歴からも明らかだが、蒋や毛とは明らかに異なる立場にある。ならば、今後の党軍関係は・・・?

もっとも、かりに軍部が影響力を増しても、周辺諸国や米国と決定的な対立や物理的な衝突をも辞さずという選択はしないだろうと。なぜならば、それによって彼らの既得権益が大きく棄損される可能性があるからであると。小競り合い的なものはあるかもしれないし、それゆえ日本は領土・領海防衛の強化、防衛力の整備、増強、日米安保体制の強化は不可避であるが、「戦争」という事態にはならないであろう。

以上が、その先生の予測である。

そして最後に、「中国に民主化が訪れるとして、それをもって日中関係の将来への期待値を高めるような発想はあまりにも楽観的に過ぎる」とのこと。むしろ、民主化は日中の感情的な対立を助長する可能性もあると。

したがって、日中関係の今後に過度の期待を寄せてはならない。いかにこの厄介な隣人との平和的関係を保ちつつ、経済的な蜜を吸うか、この点を追求するしかなく、おかしな親近感や連帯感、ましてや過去に縛られた遠慮、罪悪感みたいなものを中国との交際のなかに持ち込んではならない、さもなくば相手に良いように翻弄され、利用されるだけだと。

日中友好とは実利関係を前提としたものであり、情緒的なものは意識的に排除されねばならない、と。


この先生、以前にも民主党が政権をとったら?といういまだそれが仮定の段階であったときにもお話しを聞いたが、一昨年秋以来これまでの展開は、ほぼ先生の言うとおりであった。鳩山、菅など宰相の器にあらず!、小沢への期待感は虚しく終わる等等、今思えば、その通りなのである。

かくなるうえは期限付きの大連立、そして政界再編成。


これも当時の先生の「絶望的な」日本の政党政治のとるべき道とのことだったが、これもしだいに現実味を帯びてきた?

ただ、先生自身、大連立も期待を裏切り、結局はより劇薬的手法を不可避とするまでに我が国は落ちていくと・・・。


「まあ後20年、もがき苦しみましょう」

この40を過ぎたばかりの先生、見た目はいまだ30チョイだが、ひょうひょうと言いのけた。

あと20年に、私は暗然としてしまったが、先生いわく「たかだか20年」だそうな。

「それくらい我慢できずに、2700年えいえいと営まれてきた我が国を滅ぼしますか?」

「それに、今の苦しみはすべからく自業自得。自分のおしりを自分でふけないのなら、いっそのこと独立主権国家のカンバンをおろしたがいい、なさけないことですし、私は絶対それを選択したくはないですけど」

ソフトなイメージのわりには、なかなか手厳しい。でも、妙に納得と言うか、同意する部分が多く、実に有意義なお話しでした。




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3 コメント

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帝国が立憲君主制に・・・ (箕輪伝蔵)
2011-06-13 07:02:06
中国が何だかんだと言っても、帝国なのではないかと思います。現帝国の初代が血統によらなかっただけで・・。(その隣は血統によりましたが。)
帝国が長い時間かけて「立憲君主制」になれるか、なのではないかと思います。
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立憲ですか・・、 (kumawann)
2011-06-13 09:52:42
たびたびのコメント感謝いたします。

清国は立憲制への変身をしくじり瓦解しました。もっとも、立憲制に移行できたところで、少数民族の多数派支配という基本構造が前提である以上、いずれ満人王朝は打倒されたのでしょうけど。

歴史は単純に繰り返すわけではありませんが、再度既得権益層の反発は必死かと。そしてその結果やはり穏便な変革は期待できないのかも・・。

それに何分にも法家的支配の発想と経験はあっても、国家権力の抑制という意味での法治主義の経験を持たない国柄です。今もご存知のように党があっての立憲体制なわけですから。また法治主義によって諸権利を保障されるはずの一般大衆も遵法精神は希薄。そんな伝統のなかで、果たして「立憲君主制」が可能でしょうか。

しかもあれだけ多様な大所帯です。立憲による強権の制約は現在の版図の維持を前提とする国家統合をより困難にするのではないでしょうか。

永遠に厄介な隣人であることに、我々は観念するしかありますまい。
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厄介な・・・は (箕輪伝蔵)
2011-06-13 20:44:55
ちょっと、同感です。
でも、つきあわなきゃいけない現実もあります。毅然とするしかないのかな・・・。
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