くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

浮足立つなかれ、米国下院の慰安婦決議案可決

2007年08月01日 | Weblog
昨年のいなるか、靖国問題に触れた際に、米国の歴史認識にも若干言及したことがあるが、今回の慰安婦決議、何も驚くことではない。可決に至った背景にはさまざまあろう。本来なら可決に至るはずもないものを日本側が火をつけてしまったとの見方も、その背景の一つとすることができよう。

ただ、その火付け役のとなった安部発言にしろ、米国紙に掲載された意見広告にしろ、あれは所謂妄言ないしは歴史歪曲発言だったのか?

そうではあるまい。にもかかわらず火付け役になり、更には火に油を注ぐ結果となった。それはなぜなのか。アジア系米国人団体のロビー活動の賜物、それもあろう。ただそれだけではあるまい。

米国に存在する歴史認識という背景を無視してはなるまい。結局、あの時代をめぐる歴史認識において、我が国と米国はいまだ敵国同士なのだ。真珠湾に至った経緯や原爆をめぐる解釈ないし歴史認識ひとつをとってもそうだ。確かに一部の研究者はそうではないが、それはごく一部の話で、米国の研究者や歴史家たちのほとんどもまた一般世論や議会がもつ歴史認識の共有者なのだ。その最たるのが米国の東アジア研究者たちだ。一部例外を除き、彼らは従来の東京裁判史観的な歴史認識の枠の中でしか思考してはいない。少しでも修正主義的なアプローチを見せれば、たとえばそれが日本人であれば、「右翼」、「国粋主義者」のレッテルを即座に貼ろうとする。

岡本行夫氏いわく、事実関係はどうでも良いのだとか・・。まともな歴史研究者が聞けば、何と思おうや。岡本氏という人物の見たくはなかった人間性の一部をかいまみるような気がしなくもない。

それはさておき、これが我が国の「同盟国」米国の現実である。否定しえぬ現実を前に狼狽することなかれ、少なくとも。狼狽し浮足立ったところで、現実は何も変わらないのだ。
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