くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

天晴れ、東国原知事!

2007年11月29日 | Weblog
東国原知事、これまで私は彼を好きではなかった。

そして今まで彼を「東国原知事」と呼ぶことを拒絶してきた。
選挙を通して正当に選ばれたのだから「知事」であることには違いが無いのだが、
私は「そのまんま東知事」と彼を見なしてきた。なぜなら、彼は選挙戦を「そのまんま東」という芸名で戦ったではないか。芸名でもって有権者の支持を集め知事になった以上、在職中も「そのまんま」でいくべきだと思ったのだ。ところが、彼は当選後本名を名乗るようになった。姑息なやり方だと思った。つまり、広く知られた芸名を選挙戦に利用したのだ。「東国原」として知事をやりつもりだったのなら、選挙戦もそれでいくべきだったのに。

しかしながら、今回の「徴兵制」発言には、天晴れと言いたい。彼が選挙戦で見せた姑息な側面と過去の果たして公職に就くものとしてふさわしいのかと思われる行状からしていまだ彼を支持する気にはなれないが、今回は一寸見なおした。

私は軍事に対する専門的な知識を持っているわけではないので批判が覚悟だが、
これからの日本、少子高齢化という状況において国防力を維持し向上させようとした場合、果たして徴兵制なしに量的な戦力を維持できるのだろうかと言う不安を感じておるのだ。近隣諸国、特に「震旦」の軍事力増強をみるにつけ、今後質的な国防力の増強だけでは何ともなるまいと思うのだ。

徴兵は確かにコストがかかる。兵隊の士気という点でも志願制の方が高いというのはおそらく国際的な常識であろう。震旦国も徴兵制を取りながら実質的には志願制のようなものだ。ただ、今時の若いのを見ていると(と我々の時にも言われたものだが)、学校教育が規律や全体との協調、調和、集団行動というものを教え込む場としての機能を低下させている今日、徴兵制というものの社会的意義というものを考えてみる必要はあるかもしれない。同時に徴兵制は、少子高齢化時代に、少しでも若い潜在的兵力を常時確保することを可能にする。さらにまた、徴兵期間を通して、国防の意義、国防への意識、国防に必要なスキルを身につけさせることもできるのではないか。

年金や福祉も台大事だ。国破れても山河は残る。ただし、国破れれば、国滅びれば、年金もへったくれもなくなるのだ。国家の保全あっての福祉ということを忘れてはなるまい。カスミを喰らってまで国家に忠義立てするいわれなどないというのが戦後の風潮なのだろうが、国がなくなればそのカスミを喰らう命さえ保障されないかもしれないのだ。要は個人の価値観と選択の問題なのだが、私は、カスミを喰らい、泥水を啜りながらもこの国の安全を願うのだが。なぜなら、私はこの国に生まれ育まれたことに感謝をしているから。

それにしても、戦後の徴兵制をとやかくしずらい風潮において、東国原さん、よく言ったものですな。ただ、まさか、メディアの注目集めるためにパフォーマンスじゃあないでしょうなあ? 叩かれても知事の職を失うわけでもなく損はないという計算に基づいた? もしそうだったら、国家の大事を己のためにもてあそぶ「国賊」。「東国腹原」改め「東国賊」に改名した方がいい。もしそうでなく真意としての徴兵論なら、邪推をお詫びいたします。そしてその点に関してのみ、御尊敬申し上げます。

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