くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

あえて世代論を: 高齢者?(60-70歳代)の登山事故に思う

2012年05月05日 | Weblog
死者に鞭打つの無礼をあえておかすが、「またか」というのが、正直な思いである。

近年、60代、70代の登山中の事故が多すぎないか?

登山というのは、山の種類にもよりけりだが、多かれ少なかれ危険を伴う。海外の山にも挑んだ経験がありながら結婚を契機に山に登らなくなったという登山愛好家も知っているが、理由は実に単純明快。万が一の時に、悲しみ、苦しむのは家族だからというもの。

至極まっとうな判断であると思う。

もちろん、それでも山の魅力から逃れられない人たちもいる。おそらくそういう人たちは、万一によって生じるであろう経済的な問題にも事前に対処してから山に向かっているには違いない。が、それでも、残された家族の心の問題はどうするのだろうか・・。

そうした分別、60代、70代にもなればなおさらあってもよさそうなものなのだが・・?

爺さん、婆さんが遭難して死んでも若年者の場合よりも家族の悲しみは少ないと考えたのか? 経済的な負担もかけることはないと考えての登山なのか。

いやはや、人生の先輩方に申し訳な言い方だが、浅はかというか、思慮が足りないとしか言いようがない。

身の程知らずだし、手前勝手にすぎるとも思う。60,70にもなって・・・。


ただ、思えばこの人たち、戦後のエトスがもっとも濃厚な時期に多感な年ごろを過ごしてきた人たちだ。学生なんとか華やかなりしころの方々という方がわかりやすいか。よもや「自由」を謳歌することが価値観として他者への配慮だとかに勝ったということなのか。「自由」によって大義名分をあたえらえた個人の欲望と願望が生んだ悲劇。それが自然への畏怖をも忘れさせたとしたら、これを「自由の悲劇」と呼ばすして何と呼ぼうやである。やがてこのような価値観なりイデオロギーは必ずや後世の指弾を受けることになると予感するのは私だけであろうか。

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2 コメント

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60代以上が多い…同感でした。 (箕輪伝蔵)
2012-05-11 23:55:25
ただ、それなりに経験もあったようですが・・・予報が比較的良かった・・・実際には、寒気団が南下した結果もあるのではないかと思います。
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実は知人も (kumawann)
2012-05-14 02:13:09
GW中別の山に行きました。やはり途上、天候が急変したそうで、耐寒装備が十分ではなかったので、引き返したそうです。

山は怖いですね。山間部を運転していても、カーブひとつで、トンネル一つで状況が一変します。

そうした経験値と想定能力はあったと思うのですが・・。まあ、日本人は総じて想定が甘いですね。そのくせ悲観論者が多いですけど。

温室栽培民族なんで。
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