くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

菅直人、仙石由人ら「反国家主義者」が国家権力を掌握した結果・・・

2011年06月05日 | Weblog
そもそも、反国家主義者が国家権力を志向すること自体ある意味矛盾」なのだが、まあ国家解体のために国家権力を掌握するというのは、方法論的にはおかしくないのだろう。戦争をもって平和を回復すると同じことか。

しかし、反国家主義者ゆえに国家解体の理想以外に国家観などないのであろうが、そうした連中が国家権力の中枢に至ったとき、彼らは権力を国家のためではなく、私することは必然なのかもしれない。国家のために行使されることを本来の存在意義とする国家権力を国家を否定する願望を根底に持つ連中が掌握すれば、結局権力行使の目的は「私」的なものに帰するしかないのだ。 確かに、彼らからみれば、「国民」ならぬ「民衆」のための国家解体であろうから、そうした政治目標を心底に秘めた連中による権力行使は彼ら的には「民衆のため」という理屈が成り立つのだろう。

だがそのようなロジックは彼ら自身に通ずるに過ぎず、結局「民衆」からみれば権力の私物化に過ぎないのだ。総理の地位に固執する菅直人の今の姿こそ、まさにその最たるものではないのか。

私自身がこれまで一度たりとも民主党に票を投じたこともなく、その理由の根底に彼らの国家観に対する疑念があったから、そしてそうした私自身の以前からの洞察の正しさが今まさに証明されているような現状があるからというのではないが、国家の存在を疑義する連中に国家権力を与えることの恐ろしさを我々は今後の教訓とすべきではないだろうか。

思えば、反国家の思想に傾倒した連中が国家権力を手に入れ、結局私益の増進反故に走った例は我が国に民主党に限らないのであり、もっと早くに我々は気づくべきだったのだ。いや、今からでも遅くはない、あらゆる手段をもってしても、連中は打倒さねればならない。現内閣の打倒、民主党の解体、そしてその支持母体の変革、解体。そのためには手段を選ぶ必要はない。政治とは本来いかなる手段をも許容するものであり、この点を忘却してはそれが政治的敗北の一因ともなりかねぬことをよくよく肝に銘ずべきなのである。
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