くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

EUのこれから: 平成21年6月19日の記事から

2012年05月18日 | Weblog
リーマンショックから約10か月後、「未曽有の国難」と題する一文を書いた。

EUはこれから大変なことになると書いた。

やはりなった。なりつつある。

リーマンショックの2年前、まだアメリカにいた。 2006年の夏ごろから、「異変」を感じた。まだ周囲は開発ラッシュで、新築の住宅やコンドが続々と建てられていた。農地や空き地だったところが続々宅地に開発されていた。ところがその一方で、物件の売買が明らかに滞りだしていた。その年の暮れになると、不動産業者のなかに「ただ事ではない」との声が漏れはじめた。ベテラン不動産鑑定士が「この30年で、こんなのは初めてだ」と。2007年の年明けになると「家を売るのなら、2年は我慢」という声も聞こえ出した。そしてそれから米国はリーマンへの落ち込んでいった。

その時、不思議と相対的に静かだったのが欧州だ。おかしいと思った人もいるはずだ。欧州の不動産バブルも相当のものだったはずだ。国や地域によっては米国以上の過熱ぶりだったはずだ。なのに・・。本当の「危機」は先延ばしされたと感じた。

だから、「EUはこれから・・」と書いた。

その通りになりつつある。

自画自賛したいのではない。が、時々思う。特にこの頃。人はやはり直観が大事なのかもしれないと。お前は陽明学か!?と言われそうだ。とんでもない。でも、心の奥底からふと湧いて出たような感覚を侮ってはいけないと思う。2009年8月の総選挙のときもそうだ。投票用紙を前に、「今回は民主党候補を書くしかあるまい」と思っていた気持ちに、いわく言い難い不安の影がさした。果てしない荒野にぽいと捨てられたような不安で仕方のない気持ちになった。だから、小選挙区も、比例も民主を避けた。あのときのふっと湧いた黒雲のような不安は、現実となった。

これからは思想の時代ではないと思う。直観の時代ではないのかと。要は小理屈をこねくり回す人類がこれまでっそれを教養や学問、知性だと思ってきた作業をやめろとはいわないが、あまり高尚な行為だとは思わない方がよいのかもしれない。思想、哲学にはヒトの傲りみたいなものがあったような気がする。その最たるが唯物論だと思うのだが、いわゆる啓蒙思想だとかも、そうした面がたぶんにある。啓蒙思想にみる楽観主義的傾向はやはり人のうぬぼれの所産なのだ。既存の思想・哲学に「畏れ」の感覚が欠如しているとは言わないが、あまりにも「人間様」に気を取られ過ぎ、ヒトを「人間様」扱いしすぎてきた。だから、どれもこれも綻んでしまったり、そうなりつつある。個々の直観への過信もよくはない。陽明学の悪しき側面でもあある。いや、王陽明がそれを許容したわけではないが、後世自己正当化の具になったときもあった。やはり「心」を強調すれば、「心」という「ヒト」そのものへの過度な依存と過剰な肯定を生んでしまうのだから、程度問題。理屈などくそくらえなどというつもりはないのだ。でも、イズムとやらを高唱する時代ではなくなりつつあると思う。

EUはこのまま壊れれば良いと思う。

日本にとっても他人事ではない。我々もこれからまだまだ苦しんで過去のツケを清算せねばならない。幾多の人が泣き苦しみ、命を落とすことか。でもそれは九牛の一毛のこととして納得するしかあるまい。

終わらぬ何事かはないという。苦しんだ挙句に必ず光が見えるはずだ。が、光を取りもどすためには、我々自らの手で「天岩戸」を明けねばあるまい。










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次長課長河本は、芸能界を引退すべきだ(誰も困らんし)!

2012年05月18日 | Weblog
芸人という職業的不安定性を理由にいいわけをする年収5000万男?

何を甘えたことをいっているのだ、この男は?

誰もあなたに芸人になれと頼んではいない。あなたがいなくては日本の芸能界やお笑いが成り立たないわけでもぜんぜんない。

あなたが芸人であることは、あなた自身の選択であるはずだ。職業選択の自由というやつだ。

である以上、職業の安定性は扶養義務から免れる正当な理由にはならない。

そんなことをこともわからんのか?

吉本興業も吉本だ。

率直にいって、ここ20年ほどの吉本は、日本のお笑いをすっかり腐らせたと思う。くだらない幼稚な芸ばかり見せるようになった。新喜劇もここ20年ほどでっすっかりダメになった。もっとも、昔から低次元ではあった。家では中学になるまで見せてもらえなかった。でも、中には新喜劇以外でも活躍し、それなりに演技力あるいは芸のある役者もいた。が、いまはどうだ?


海外進出だとか言っているが、国辱ものである。やめた方がよい。

マネージメントする側はそんなことだから、芸人も紳助やら河本みたいなのが出てくるのだ。

まあ、腐れ芸人一人をもって、日本人が・・というのは極論、暴論かもしれないが、こういう恥知らずなことを平気で口にできる人間が存在するこの日本。
劇的に強制力をもって変えなければならないなあ・・。個人の自由とか権利なんてそのあとでいい。

それに、河本の子供。こんな情けない親の背中を見せられて育つ子供ってどんな人間になるのだろうか。子は親を選ぶことはできない。いいか、河本。芸人でも
人にはかわりない。日本人であることにかわりない(日本人ですね? 同業者、そうじゃない人多いみたいだけど)。我が子と国に仇することだけはやめてくれ。

芸人が不安定なら、さっさと引退したら?

あなたがいなくても、芸能界はぜんぜん困らん。まあ、あの見た目だけでお笑い芸人らしくない華のない相方は生活大変になるだろうけど。





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赤木智弘氏いわく、「国民を養うのは国の役割」

2012年05月18日 | Weblog
この人の言い分というは、しばしばどこかトチくるっていると思う。

今回も、上記の主張。

少なくとも、現行憲法上、100%間違いとは言わないが、国が補償するのは最低限度のはずだ。

スマイルズほど突き放すつもりもないが(といっても、個人的には人はかくあるべきだと思っている)、基本的に、国民一個人の生計は「自助」にあるのではいのか。そして現行憲法でも、最低限度以外は自助・自活が求められているのだ。

福沢諭吉の「独立自尊」ではないが、こういう他力本願の輩が増えては日本の行く末は限りなく暗い。

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