くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

女性宮家問題 I :現代の新井白石よ、出でん!

2011年12月18日 | Weblog

今更ながら新井君美すなわち白石の偉大さを感ぜずにはおれない。

朱子学の信奉者ではない私には、新井の歴史観、皇統観には大いに異を唱えたいところもあるが、武家のいやさかと皇統維持を不可分とした、そこから閑院宮家を創設することで、皇位継承の安定化をはかったこと、その先見たるや感服すべきものがある。

事実、後になって皇統は白石による新宮家創設によって救われることとなる。

対朝鮮外交における「尊号」をめぐり旧友雨森某や同時代の知識人層の批判を受けた白石であった。家光以来将軍の外交称号であった「大君」が、李氏朝鮮においては王子嫡出子に冠される称号であることを『経国大典』より知っていた白石の博学たるやさすがであるが(いや、知らなかったそれ以前の幕閣や林家らを無知というべきいなのか)、皇、王を同義とする我が国において、将軍を日本国王のはやはり、その敬称が「陛下」ではあく「殿下」であっても問題視されるのは致し方なく、やはりあの改革には無理があった。

しかし、上智大のナカイ教授をはじめ一部の白石研究者が指摘するような公武観は、白石が実際に持っていたものではないように思う。 さもなくば、新宮家の一件をもって、それを誇り、皇恩に報いたとまで記すことはあるまい。

白石の皇室観は批判を免れるものではあるまいが、やはり、彼は彼なりの尊王思想を持ち合わせていたと見るべきであろう。

大袈裟な言い方をすれば、今皇統の連綿たるは、白石に負うところが大きい。

そして、皇統の天壌無窮たるべきを疑わない私は、正徳期のごとく、平成の白石の現れんことを願うばかりである。 明治大帝の血にすらなるもののなかでさえ、いまだ皇統は危機にあらず、後数十年はというが、それでは遅すぎる。今、今上陛下の大御心の存する間に何らかの方策が採られねばと、正直、少なからず焦りを感じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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