くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

アメリカという国の多面性: ワシントンポストが米議会の「トヨタ叩き」を批判

2011年02月10日 | Weblog
多面性というのは、どの国にも指摘できることだ。近隣大陸にあるあの厄介な隣国にしても、一党独裁の下にあるからといって、一様な社会であるわけではなく、昔から実に多面的、重層的な社会なのである。

自由と平等の国アメリカという。

が、あの国には明らかな不自由と不平等がある。他にもさまざなな不条理がある。

あの国の日本研究者たちは、日本の特徴の一つに「本音と建前」をあげるが、何もこれは日本の専売特許ではない。日本には目に見える本音と建前があるが、アメリカにはなかなか目に見えない本音と建前が厳然と存在する。

ここが、あの国のえげつなさでもあるが、見方によってはそれをあからさまに見せてしまう日本人がおめでたいのかもしれない。
スポーツマンシップなんていうが、サッカーという競技のあの「汚さ」よ。

その一方で、公正さを追求することにかけては、アメリカ人は日本人に比べて真摯な一面も持っている。上記のワシントンポストの議会批判などまさにその一例である。

この点に関して、日本人には公正さというものに対する毅然さが無さ過ぎるのかもしれない。まあ、あえて相撲協会を例には出すまいが。在米中は、アメリカ人のこうした姿勢を理解せず、トラブルに直面した日系企業を幾つかみたことがある。「一体、あなたたちは何年この国で商売しているのですか?」と言いたくなるような対米進出30年、いあや40年以上なんて企業も含めて。

学校教育においても、日本に比べてはるかに公正さというものに対する指導が徹底している。かといって、イジメがないわけではない。陰湿なイジメは米国にもある。それが銃乱射などの悲劇につながったこともある。学校が生徒よりも自分の保身に汲々とすることもなくはない。

就職活動などでもそうだ。履歴書に写真は貼らない。年齢制限は設けない。男女差別もしない。事実、アメリカは」差別」に対する取り組みは、日本よりも真摯に見える、明らかに。だが、その一方で、年齢制限はないというのは実はウソである。職場によって、あまり年齢の高い人間を雇いたくない場合には、能力の優劣に矛盾しても、若いものをとる場合がある。年齢制限はなくとも、最初からある一定上の年齢のものは最初から取るつもりなどない場合もある。できレース的な公募なんてのは日本だけの話ではない。私の業界でも、ちょっと調べれば「これは法律的に仕方なしにやっているだけの求人、公募だな」とわかるものが時々あった。男女差別がないというのもウソだ。女性の少ない職場ではそうした批判をかわすために、より多くの女性を雇おうとする。結果、男性には不利になる。昔男性社員に「今以上に出世したかったら性転換するしかない」と言い放った女性だけを顧客にした会社の上司がいたそうで、裁判沙汰になった。組織の形態上、明らかに女性には、あるいは男性には不利な職場もある。ただ、女性が好ましいとは公言しないだけで、おおよその推測は尽くし、求人結果もほぼ予想通りになる。宗教による見えない差別もある。少なくとも、某キリスト教系大学のような、日本とアメリカで求人広告を変えるという汚いやり方を公然とするようなところはない。でも、キリスト教徒しか応募できないような形式にしてしまっている大学もある。

日本人の多くは、「あのトヨタ叩き、はじめから胡散臭いとおもっていたんだよなあ・・」という人覆いのではないだろうか。
でも、ああしたことを平気で仕掛けてくるというのがアメリカの現実もあると同時に、それだけが現実ではないというのもこれまたあの国の現実なのだ。親米も反米も、そうした多面性の存在だけは理解したうえで、アメリカを賞賛し憧れるなり、はたまた府批判するなりして欲しいものである。
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