くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

チュニジア、エジプト、そしてかつてはフィリピン:民衆運動による政変の危うさ

2011年02月02日 | Weblog
大衆蜂起による政治体制の転換は、今に始まったことではない。

フランス革命、いやアメリカ独立戦争、17世紀中葉から後半の英国の政変劇等など・・・。

シナ大陸の王朝交代も民衆蜂起がそれを促すこと少なからず。

近くは1986年のフィリピン、そしてそれから数年後の東欧諸国、モンゴル等旧共産圏諸国。


大衆運動による政変劇とは、ほぼ「違法」行為の結果である。既存の体制下において合法化されていない手段による政権転覆・交代なのであつ。

もっとも、既成権力がその温存を望む場合、それを打倒するためには合法手段等望むべくもない。これが現実だ。

しかしながら、「違法」な手段による政権交代は、「違法」な反政府運動に大義名分を与えることになる。かつて独断専行で満州事変を起こした石原はシナ事変の局地化を図らんとして、拡大派を前に、自らの過去によって仕打ちをうけ、挫折を味わくことになった。それを石原本人に面と向かって言い放ったのが、最近NHKが「再評価」を試みた武藤章である。(それにしても、木を見て森を見ずなくだらない再評価だった。)「違法」により成立した政権は、成立直後から同じく「違法」な手段による自政権への挑戦におびえねばならなくなる。

ムバラクは誤った。サダト亡きあと30年近くも政権を維持しながら、晩節を汚すことになるのは必至だ。老いたのか、権力は人を盲目にするのか、それとも慢心しテクノロジーにより「武装」した民衆の力を見誤った結果か。

ただ、ムバラクを倒して成立する政権は、「違法」な手段を得て権力を掌握した政権なのだ。民衆の力? 民衆は無辜ではない。
そして民衆は移ろいやすい。民意こそ機会主義の極致であり、そこに政権の基盤を求めることほどの愚はない。民意は作り上げ、操作するものであり、幾らか斟酌すべきものではあっても、頼るべきものではないのだ。

ならば新政権はやはり国内にあっては、一時的に民意にこたえざるを得なくとも、いずれ安定化すれば頼るところは国内にあっては軍部、国外にあっては米国等の大国ということになり、民意に対しては猜疑的になり、抑圧的、強権的にならざるを得ないであろう。

これが欧米のような民主的体制の構築を望むことができるような市民的成熟度をもった社会、国家なら別だ。新政権画側に政権交代や多党制を許容する意思が確固としてあれば別だが、そうでないとしたら、やはりいずれは強権化し、抑圧体制化し、そして利益集団化して腐敗していく。おそらく、そうなる可能性の方が高いだろう。残念ながら中東には、我々民主社会の人間が想定するような公正さは存在しない。「アラブの笛」はほんの一例に過ぎない。 そんな社会で政権交代可能な多党制に基づく民主的政体が誕生するなどと期待するのは、あまりにもナイーブ過ぎる。

きっと、ムバラク政権が民衆によって打倒されれば、マスコミはエジプト並びに中東の将来に対する不安を口にしながらも、「民衆の力」を肯定的に報道することだろう。フィリピンのとき、東欧のときにそうだったように。

ただ、「造反有理」への手放しの賞賛は、法治主義というもの、更にはそれによって保障されている自らの立場と利益をも婉曲ながら危うくする可能性を秘めていることにも、思いをはせた方がよいかもしれない。

もっとも、いざとなれば合法も、違法も、神もへったくれもない。それが人というものなのだ。そうかもしれない。ただ、そこまで開き直ってしまうことができるのだろうか、我々に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKはやはりどこかおかしい: 韓国ドラマ「チャングムの誓い」と「王の女」を比較して

2011年02月02日 | Weblog
「チャングムの誓い」では王は「陛下」、王后は「皇后」と字幕にあった。

一方、「王の女」では「陛下」ではなく「殿下」。


どちらが正しいなど、言うまでもない。

「陛下」はあり得ない。もっとも、当時の明では「陛下」ではなく「皇上」だが、それでも「陛下」が天下一人のみに向けられる
継承であることは変わりなく、一国の主とはいえ天朝に朝貢する国の王が「陛下」はあり得ない。少なくとも、朝鮮では1897年まではあってはならないことで、それこそ国教とする朱子学にもとる行為であった。

そういえばNHKがかつて、「義経」の海外放送版で、英字幕中、後白河法皇に「Highness(殿下)」の称号を付けていたが、
これにも驚いた。世が世ならば、不敬罪。

一方を捏造して「陛下」に格上げし、もう一方を「殿下」に格下げ。しかも、前者は他国、後者は自国のこと。これを自虐と言わずして何というのだろうか?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする