くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

菅直人の政治センスの無さ: その一例、『琉球処分』

2010年06月08日 | Weblog
菅直人次期総理(まだ現時点では正当な総理ではない)いわく、只今『琉球処分』という本を読んでいるとか。

私は琉球処分に関する書籍、論文の類を以前随分読んだことはあるが、『琉球処分』というタイトルの研究書は知らない。
金城正篤氏の『琉球処分論』なら知っているが、菅氏は「論」とは言っていなかった。

よもや、研究書ではなく、小説の『琉球処分』ではあるまいな?

まさか、それはあるまい。一国の総理になる人間が、研究書、学術書ではなく、多分にフィクションの含まれる歴史小説を読んで「勉強」などという低次元なはずはあるまい。もしそうだとしたら、菅という人間、政治家としてではなく一般人としても決して知的レベルの高い人間ではないことは間違いない。世の中、歴史小説を読んで歴史を学んだと思っている人間が少なからずいるが、菅もその一人か。いや、そんなことはあるまいし、あってはならない。どうあれ、彼は我が国の総理になる人なのだ。

それはさておき、この件、すなわち菅氏の具体的書名への言及、これこそは、氏の政治センスの欠如を如実な例示に他なるまい。
具体的書名に触れれば、世間はその本を見てみようということになる。そして、当然書中の議論、解釈をめぐり賛否両論が起こる。なかには、「このような謬説をもとに沖縄政策を練られてはたまったものではない」という声すら出てこよう。総理の沖縄理解に適不適が問われれば、総理の沖縄政策への世論の支持も揺らぐことになりかねない。

かりに書名ではなく、「琉球処分」という歴史的事象に触れるにとどめたとしても、それもやはり決して最善ではない。基地問題を扱うのになぜ「琉球処分」なのだという反論、批判は当然出てくる。

もちろん、万人が支持をする政治家も政策も存在し得ない。

が、批判を最小限に抑えるという努力は、政治を行う上においては常に念頭においておかねばならないことだ。

せめて、沖縄史に関する書籍を読んでいると言っておけばよかったのだ。この際、琉球史ではなく沖縄史というべきなのだ。

もっといえば、より曖昧な言い方で、自分なりに沖縄問題とその周辺について調べている、再考察しているくらいに言いとどめるべきだった。

そんな判断すらできない総理は、総理の資質にあらず、と言わざるを得ない。沖縄という敏感な問題だけに、書名にまで踏み込んで言及するというのは、はっきりいって、政治的愚行であった。
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立命館アジア太平洋大学と同大の学生は、マーク・デュレイ氏に釈明を求めるべきだ!

2010年06月08日 | Weblog
立命館アジアい太平洋大学の首脳陣、一般教職員、学生は、以下を読むべし。


http://news.livedoor.com/article/detail/4812211/


貴学で教鞭をとるマーク・デュレイ氏は以上にように発言しているが、これが貴学の学生の実情なのだろうか?

もしそうであるとすれば、実に嘆かわしいことである。


しかしながら、事実に反するというのであれば、あるいは少なくとも貴学関係者がそう認識するのであれば、国際会議という公的場において発言をしたデュレイ氏に公的な場において釈明あるいは更なる説明を求めるべきである。

事実と異なるというのであれば、氏の発言は明らかに貴学と学生への侮辱に他ならない。貴学はそ汚辱を氏に対する公開の質問、反論によって雪ぐべきであるし、また学生の名誉のためにもそうすべきである。自身の学生たちが国際的な場において辱められたにもかかわらず何もしないというのであれば、立命館アジア太平洋大学は、教育機関の看板を下ろし、即刻閉校すべきである。

更に、デュレイ氏の発言に事実と異なる点があるとすれば、氏に対しては公的な場における貴学ならびに学生に対する謝罪を求めるべきであり、それを氏が拒否した場合には、教壇を去らせるべきである。学生に対していささかの敬意を払わず、しかも本人たちがいないことをいいことに国際的な場において散々侮辱した人間に、侮辱された学生たちを教え続けさせるなどということは、あってはならないはずだ。

学生も黙しているべきではない。もし諸君らの属する大学が何も行動を起こさないというのであれば、諸君らが行動を起こすべきである。学生会など何らかの組織があるはずである。そこを中心にして、行動を起こすべし!

但し、デュレイ氏の発言が事実に反すると考える場合に限ってだが・・。

もし、氏の言う通りの事実が諸君らの学び舎にあるとすれば、諸君らは大いに恥じ自らを改めるか、この際大学生をやめるべきである。

事実でないというのであれば、大学側にデュレイ氏に対する対応を求めるべきであり、そのうえで大学並びにデュレイ氏が何らの反応を示さないというのであれば、氏の授業の集団ボイコットも辞すべきではない。学生代表は、氏に対して公的な場における対話を求め、公的な場において氏の釈明を求め、そこに事実に反する点があるというのであれば、反論し、氏に謝罪、発言の撤回を求めるべきである。

もし、氏の発言が事実でないにもかかわらず、諸君らが言われたままに何も行動を取らないというのであれば、これまた実に恥ずかしいことであり、情けないこと。率直にいって、「もの言えぬ」諸君らに、明るい未来は待っていないことだけは保障しよう。





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