くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

ほら吹き福田: 「安心実現内閣」、毒入り餃子情報隠ぺい

2008年08月09日 | Weblog
中国からの情報を国民に隠蔽したまま「安心実現内閣」と言ってのける男を何時まで総理の座につけておくのだ、我々国民は。

それにしても、ここまで、恥知らずで国民をバカにした男とは思わなかった、福田康夫。

国賊級の外道だね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袈裟の下からどころか・・・・: 北京五輪開会式は雄弁に物語る

2008年08月09日 | Weblog
「袈裟の下から鎧・・」と言う言葉があるが、北京五輪の開会式は、袈裟どころか一糸まとわぬ姿で今の中国の「腹のうち」を思う存分に見せつけてくれた。

まずは、前半の「歴史絵巻」。あれが「中国」の歴史だというのなら、中共のいうところの「中国」とはやはり「漢民族の国家」ということに他ならぬということだ。国旗掲揚に「中華民族」をなす諸民族が民族衣裳に身を包み出演したが、後は、漢民族が「5千年」にわたったおりなしてきた歴史絵巻のオンパレード、そこには、モンゴルも、チベットも、ウイグルも満州もなかった。

「民衆」不在の「歴史絵巻」でもあった。「歴史絵巻」は今回に限ったことではないが、民衆不在の演出というのは、過去二〇年を振り返っても今回が初めてではないのか。宮廷服をもしたような男女が多く現れたが、そこに民衆の姿はなかった。「官」はあっても「民」がなかった。もともと、豊穣な文化的蓄積を持ちながら、民衆文化、大衆文化に乏しい国ではある。「祭り」というものを例に我が国と比較したとき、その乏しさは実に顕著である。あの国に、祇園祭や、ねぶたや、博多どんたくや、江戸時代の(今のではない)神田祭のごとき壮大な民衆の手による祭りはない。なぜなのかは、いわずもながな。そして今、「人民の為の服務」をうたう党のもとにある人民共和国体制による五輪にあっても、民衆は不在であった。何と言う歴史の連綿性・・・・。

今の中国が世界に誇るべきは所詮彼らが自画自賛する「過去」にしかないということだ。鄭和の南海遠征が出てきた時には、正直あきれ返った。「過去の栄光」になぞらえて海洋展開したい、国威を発揚したい、それ以外に読み取るべきメッセージなど何もない。我が国TVの解説では、南海遠征をきっかけに東南アジア諸国が中国に「『来るようになった』ということです」、とのことだったが、中国の歴史的意味合いとしては、「来る」すなわち「朝貢」である。もし、中国側はマスメディアに「来るようになった」そういう説明をしていたとしたら、そうした歴史認識を五輪に持ち込んだということはどういうことなのか?中華帝国の夢よもう一度、すなおに解釈すればそういうことになる。

ところで、その「過去」を自画自賛したところで、それが「ひとつの世界、ひとつの夢」とどう結びつくのかというメッセージ性がない。中国が「過去の栄光」にこだわることは、「過去の偉大なる中華の復興」を希求していることを示しているのだが、更に言うならば、中華の復興が世界に、全人類にいかなる益をもたらすのか
というメッセージ性もない。つまり、13億の消費者を抱える魅力ある市場以外には何もないということだ。

「歴史絵巻」に続く、環境、夢をテーマにした演出の中身のなさ、薄っぺらさ。所詮、今の中国にとってそれらはどうでもよいことなのだ。環境よりも、国家の発展、富強、中華の復興なのだ。人類共有の夢などどうでもよく、結局は自分たちの夢のみに関心があるということではないのか。せめてもの救いは、「夢」が世界革命の実現と全地球共産化ではなかったことだ。

意図的な大胆さなのか、それとも意図せずして「ホンネ」を露呈してしまったのものなのか・・・。いずれにせよ、中国と一緒にいる夢などない、ということだけは再確認できた。

中共の支配せるシナは滅ばねばならない、これこそ「一つの夢」に違いない。今はそうでなくとも、いずれ、世界の夢、願いとなるに違いない。

追記: チャン・イーモウ、今の中国を代表する映画監督には相違あるまい。その才能も疑う余地はあるまい。が、少なくとも、今回の開会式を見る限り、人の才能にも「限界」があるのだと感じざるをえない。彼の最近の作品を見ていれば、今回の開会式の演出は、何ら驚くべきところはなかった。壮大だが大味でとりとめもない。そして、中国系の映画、TV演出の定番のワイヤーアクションの多用はマンネリズムの謗りを免れまい。才能の限界あるいは枯渇なのか、それとも権威主義体制の下での表現の自由の限界なのか。後者であったとしたら、チャン氏にとっては、実に不本意な「作品」であったに違いない。

追記2: 我が国マスコミの「北京ヨイショ」には改めて、うんざり。中には、とんでもない見当違いや事実誤認の解説もあったなあ・・・。勉強不足だよ、マスコミ(ギミ?)関係者諸君。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする