沿道のあの大陸国旗の数、あれは一体何を意味していたのだろうか。
「聖火を出迎え」に行った在日大陸人たちがたまたまあれだけの数集まったとして、あれだけの数の旗が集まるものだろうか。中にはずいぶんと寸法的に大きなものもあったが・・。
それにしても、あのリレーの様相はいかにも象徴的ではなかっただろうか。北京北京と言うものを如実にあらわしていたように思ったのは私だけか。聖火ランナーを十重二十重に警備陣が過囲む姿。そしてそれは長野と言う町や、そこに暮らす住民、遠藤でリレーを一目見ようとする人々から隔絶されてしまった姿。あれこそは、民意やら国際世論と隔絶されたかたちで粛々とすすめられようとしている北京五輪の縮図ではないのか。
それにしても、参加した日本人ランナーたちの馬鹿ずらには呆れた。球場では現役時代からよく吠え、監督としては鉄拳も辞さなかったあの星野も、今回はほえずじまい。それどころか、何ともしまりのない顔で先頭走者を務め、北京政府のお先棒を担ぐ結果となった。走ってるのだがよたってるのだか判らぬ姿でマラソンを「走り」、世の同情を買うことでしか飯が食えなくなった「元」お笑い芸人も、北京にしっぽを振ってまでもメシにありつきたかったようだ。
中にはスポンサー事情で、不承不承走らざるを得なかった者もいたようだが、それにしても一人くらいは気骨のあるやつがいても・・・、と今時の日本人に期待しても詮無いことなのかもしれない。
五星紅旗はためく長野、あれが未来の我が国の姿とは思いたくもない。今日のチベット、明日の我が身とならぬを祈るばかりだ。
「聖火を出迎え」に行った在日大陸人たちがたまたまあれだけの数集まったとして、あれだけの数の旗が集まるものだろうか。中にはずいぶんと寸法的に大きなものもあったが・・。
それにしても、あのリレーの様相はいかにも象徴的ではなかっただろうか。北京北京と言うものを如実にあらわしていたように思ったのは私だけか。聖火ランナーを十重二十重に警備陣が過囲む姿。そしてそれは長野と言う町や、そこに暮らす住民、遠藤でリレーを一目見ようとする人々から隔絶されてしまった姿。あれこそは、民意やら国際世論と隔絶されたかたちで粛々とすすめられようとしている北京五輪の縮図ではないのか。
それにしても、参加した日本人ランナーたちの馬鹿ずらには呆れた。球場では現役時代からよく吠え、監督としては鉄拳も辞さなかったあの星野も、今回はほえずじまい。それどころか、何ともしまりのない顔で先頭走者を務め、北京政府のお先棒を担ぐ結果となった。走ってるのだがよたってるのだか判らぬ姿でマラソンを「走り」、世の同情を買うことでしか飯が食えなくなった「元」お笑い芸人も、北京にしっぽを振ってまでもメシにありつきたかったようだ。
中にはスポンサー事情で、不承不承走らざるを得なかった者もいたようだが、それにしても一人くらいは気骨のあるやつがいても・・・、と今時の日本人に期待しても詮無いことなのかもしれない。
五星紅旗はためく長野、あれが未来の我が国の姿とは思いたくもない。今日のチベット、明日の我が身とならぬを祈るばかりだ。