くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

天晴れ、善光寺!

2008年04月18日 | Weblog
天晴れ、その一言に尽きる。
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善光寺は英断を!

2008年04月18日 | Weblog
チベット問題と五輪、聖火リレーを別物として考える人は一体どれだけいるのか?

マスコミによる長野市内での、特に善光寺付近でのインタビューのなかには「どうかと思う」、「残念」の声が目立つように感じる。それがマスコミの編集、情報操作の産物でなければ、それらの声は中国側に対してではなく、チベット人ならびに彼らの抗議運動を支援する側に向けられている。

実力行使の抗議運動はいかがなものかと思う。

ただ、五輪への抗議運動自体とそうした無法なやり方は別物であるし、既定の法的手続きを順守したものであれば、抗議運動は許容されてしかるべき。許容されないことこそ、民主主義を標ぼうする国家においては、厳しく批判されてしかるべきことなのだ。

どうも、実力行使的な妨害行為、活動と抗議運動が混同されてしまっているような気がしてならない。

チベット人やその支援者による五輪への抗議活動を「残念」、「どうか」と思う人たちはもう一つ見落としていることがある。それは、五輪とチベット問題は別物ではない、ということだ。

少なくともチベット人の側からしてみれば、平和の祭典をうたう五輪が、自分たちの平和と人権を踏みにじってきた北京政府の膝元で開催されることははなはだしい矛盾でしかない。

また、聖火リレーはチベットをも通る。なぜあえてチベットなのか? 北京政府のこんたんは明々白々。その地に聖火ランナーを走らせることで、国際的にチベットは中国の一部であることを誇示するに他なるまい。

100万を超えると言われる仏徒を殺戮し、今もあまたの仏徒を迫害・搾取する北京政府の「宣伝活動」に、同じ仏徒の善光寺が加担するというのか。ならば、寺としての看板ははずし、単なる観光・商業施設に「宗旨がえ」した方がよいのではないだろうか。

追記 日本人聖火ランナーの中から辞退の声が聞こえてこぬのはこれいかに? 
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