三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

釜飯を作るためのチーズケーキという道

2012-01-16 21:26:12 | こんなものを食べてみました。
〈1月2日の食事〉
朝:磯辺焼き
昼:菓子類をちょこちょこと
夕方前に:母の実家にて。 日本酒 お寿司 スモークの鱒 栗きんとんなど

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年明けて2日目は、母の実家にて。
母の兄が釣って更にスモークしたという鱒をいただく。
美味しかった。
しかし燻したがるのは血筋なんだろうか。

そんな訳でその場の写真も撮らず、あわや地味な磯辺焼きの写真のみになってしまいそうだったので、正確にはその前日食べたチーズケーキのことでも。

暮れも押し迫った12月31日。
買い出しに行った先の実家近くのデパートにて、なにやら飲食関連のイベントが催されていたのである。
しかも品は日本各地の甘味とB級グルメときたもんだ。
そんな危険な誘惑を。
魅せられてなるものかと少しは思うのだが、吸い寄せられるように催事場へと足が向く。
飛んで火に入る夏の虫。

具体的なお目当てはなかったのだが、何かパーッとしたケーキでも食べたいな。
チョコ味のバウムクーヘンを食べたばかりだし、チーズケーキでもあればいいんだけど。
それで目がとまったのが、「横浜夢本舗」さんの「釜焼きチーズケーキ」なのであった。

ご覧の通り、陶器の釜に入ったチーズケーキ。
見た目が見た目だから、私は「おもしろ・ユニーク」枠だと捉えていたのだが、ところがどっこい。
味の方までが格別だなんて。

私は、シフォンケーキのようなふわふわの軽いケーキがあまり好きではない。
ことにチーズケーキは、どっしり中が詰まっていてこそ、チーズケーキの醍醐味が味わえると思っている。
これはまさに、チーズケーキに対する私の願いが叶えられるチーズケーキだ。
掬う匙に抵抗を感じるほど、中身が詰まっていて、舌触りはしっとりと滑らか。
甘過ぎずに爽やかな酸味が感じられる味わいも丁度いい。

これは、相当美味いなあ。
母と妹とで3人、意地汚くも、取り分けもせずに釜にスプーンを突っ込んで食べていたのだが、あっと言う間に完食してしまった。

尚、この釜は再利用でき、ご飯を炊くのも可能だという。
とはいえ、一人前のサイズだしどうしたものか…と一瞬考えたのだが妙案が。
これをもう1つ買えば釜が二個になって、二人分の釜飯が炊けるではないか。
だってほら、お取り寄せもできるみたいだよ、このケーキ。

…だめである。
なるだけ甘味の摂取量を減らしていきたいのに、ご飯を炊くのを言い訳に甘味を嬉々として買うだなんて。
抑止するため、という訳でもないが、器はそのまま実家に置いてきた。
また買うかは別として、これでご飯を炊いてみたいもんだ、とは思っている。

年明け、雑煮の椀をかたむけて

2012-01-16 07:54:31 | 学びました。
〈1月1日の食事〉
朝:雑煮
昼:餃子鍋の残り
夕方から夜:叔父一家が訪問、新年祝い。ビール ハムやチャーシュー、チーズなどのおつまみ類 ホタテのバターソテー 栗きんとん 黒豆 など

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これを書くのは1月も半ば過ぎだが、ようやく新年明けてからの話であります。

私は、実は雑煮が好きではない。
餅も汁も具材も、嫌いなものは何一つないのに、雑煮として合わさると途端に食指を動かされなくなるのだ。
溶けかかった餅というのが駄目なのでは、と分析しかけたが、いやなんの、お汁粉なら好きだし、キムチ鍋に餅を入れるのだって好きだ。
まあ、とにかくそんなに好きじゃないということで。

そんな訳だから、正月の餅で母に作ってとせがむのは、主に磯辺焼き。
だったのだが、今年は雑煮を椀に盛ってもらった。
うちの味について、確証を得たかったのである。

先月に同居人のご両親にご挨拶した際、出身地の話から、その地方各々の味付けの話になったのである。
おとうさん曰く、「うちの両親は富山と福島の出でね、そんな事もあって、やっぱり醤油味が好きだね。栃木もやっぱり醤油味なんでしょう」
そうですねと答えると、「お雑煮も醤油味ベースなのかな?」と続く。
あまり雑煮を食べてこなかった私は、記憶の糸を必死にたぐり寄せ、関東だからまず醤油だろうと思いながら「そうですね」と答えていたが、自信を持って言えなかったと告白する。

だから、どうだったっけ?が主に食べたかった理由という、不純な動機による今回の雑煮。
さてさて。
椀に口をつける。

ああよかった、すまし汁、醤油ベース。
具材はといえば、関東の雑煮らしく、鶏肉と青菜。
それにゴボウなんかの根菜や里芋が具沢山に入っているのは、母オリジナル…というか毎回そうだったっけ?
こうなるのも、雑煮を毎度食べてこなかったツケである。

ちなみに、餅は大きく板に伸ばしてそれを格子状に切った切り餅。
切り餅文化かまるめた餅文化かという境界線は、関ケ原辺りにあるらしいですよ。

それがうちの味。
相変わらず磯辺焼きの方が美味いと思ってしまうが、それを知れてよかった。
そんな今年の幕開けであった。

年末、蕎麦をすする

2012-01-16 01:25:39 | 食日記
〈12月31日の食事〉
朝:カブの味噌汁 パン
昼:温野菜とタラコのスパゲッティ コーヒー サラダ @カフェコムサ 福田屋インターパーク店
夜:年越し蕎麦 海老天 蟹 プレミアムモルツ

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実家。
年末年始の買い出しをし、そこで昼を済ませ…という一日であった。

年が明けてもう間もなく二週間が経つという本日(1月12日)において書くのもナンだが、ど年末の日の日記ということで、軽く総括めいた内容を。

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色んなことがあった、ありすぎた一年であった。

「私」の部分では、かねてより付き合っていた人と暮らし始め、伴って引っ越しをしたのが、何といっても大きな出来事だった。
ご両親にご挨拶もしたしな。

一人旅も一大事だった。
好きだ!と思い、かつ台風の日にぶち当たって回りきれなかったという悔しさが残った岐阜県・飛騨高山には、再度伺う予定。

「私」の「公」の部分=職場。
酷暑だったこの夏、アリとゴキブリが大量発生したなあ。
上ぶたのないゴミ箱に入っている、ドリンクの紙パックすら餌食になる!と学び、その中にはゴミを溜めない、蓋つきのゴミ箱に入れる!と誓ったっけ(と、無理矢理飲食関連の話と絡めてみた)。
寒い季節になったらすっかりそんな掟を放棄してるんだから、何かもうどうしようもない。


そして。

たくさんのひとの命や家や大切なものが奪われるようなことが起きた。
とてもとても痛ましい出来事だった。
その悲しみや痛みが訪れた方々の心中を思うと、ただひたすらにやりきれない。

またそれは、「食」や「食べ物」に対する意識を見つめ直す機会の一つともなった。
「何を」。
ひたすら自問自答した一年ともなった。
「正解」を模索し、まだ答えは見えていない。
けれど、知らなくてはいけない。

笑顔が誰の胸にも灯るよう。
春の訪れを、ただただ願ってやまない。

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とるもとりあえず。
私たちは、食べる。
そうやって、生きている。

蕎麦を、すすった。