久保田潤一郎の不健康日記

久保田潤一郎の日常と医療情報

リハビリが重要です

2018年06月16日 | Weblog
4月から仕事に復帰しました。長いこと休んでいたので、急に忙しくなることもなく、多くの時間をリハビリに費やすことができました。先ずは歩くことです。いわゆる杖は全く使いません。もともと徒歩通勤でしたので、同じ道を110cmのウォーキングポール(両手にスキーのストックに似た形状のポール)を使って歩きます。往復約5km。気を抜くと腰がフラフラします。ポールに頼ると肩から上腕がコチコチになります。繰り返しが大事ですね。
 以前から通っているトレーナーの指導の基、全身のトレーニングを再開しました。自宅でもやってくださいと渡されたリハビリメニューの多さに目が点です。そして、リハビリテーション病院のリハビリが天国に思えるのでした。辛い、痛い、苦しい、3拍子揃ったトレーニング、これが本当のリハビリだあと叫んでしまうのです。
先ず、普段はあまり使うことのない小さな筋肉を意識したトレーニング、肩関節と股関節の拘縮を解除する強烈に痛いストレッチと運動、泣きたくなります。トップアスリートは怪我からの復帰の際に、これよりきついリハビリに耐えているのです。負けるわけにはいきませんと口では言えるのですが、無理、無理、無理。
それでもウォーキングポールを使っての歩行は1ヶ月で終了し、現在は全く補助具なしです。
しゃがんで立つという運動もやっとですが、できるようになってきました。下着やスラックスも立ったままなんとかできるようになってきました。
肩関節も可動域も痛みはありますが拡大してきました。
もう少ししたら、負荷をかけた筋トレが始まるのでしょうね。坂を登る?Peaksみたいに。
幸い、両手は全く問題ないので、仕事に支障がないことに感謝します。
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ちょっと長い研修でした

2018年04月10日 | Weblog
正月明けに一日だけ診察して1月7日に鎌倉七福神めぐりの予定でしたが、みんなで走り出して早々に思わぬ事態になりました。江ノ電のレールと格闘してしまい、いろいろな経験をすることとなったのです。
痛みの研修、オムツの研修、リハビリパンツの研修、車椅子の研修などなどです。
オムツとリハビリパンツの研修は2週間で許してもらいましたが、車椅子の研修は自動車の運転免許取得と同じでなかなか終わらせてもらえません。車椅子の研修中は歩行禁止ですから、筋肉が落ちないように筋トレもしなければなりません。また車椅子でトイレに行ったり、シャワーを浴びたりも研修です。
結局8週間も車椅子の生活をしました。良い勉強になったと思います。
これらの経験はこれからの生活、仕事に生かしていこうと思います。
今は残務整理に明け暮れており、今回の件を書いていくことになかなか手が回りません。
何事にも注意。元気で生活できることに感謝。
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スキー2018

2018年01月06日 | Weblog
 今冬は寒さ厳しく、年末の早い時期から雪便りが聞かれました。先シーズンはどこのスキー場も雪不足で、正月休みのスキー行は予定を変更するしかありませんでした。
今シーズンは12月15日に親友のM氏と川場スキー場で初滑りでした。緩斜面しか雪がありませんでしたが、この時期にはありえないぐらい雪の状態がよくびっくりしました。
そして、恒例になりました正月スキー行。八方尾根(白馬)スキー場に4人で行きました。泊まる宿はいつもの白馬山麓です。ロープウェイの駅に滑って行けるので、定宿?になっている「ホテル志鷹」。とても気に入っています。
今回は例年に比べて一日長い三泊四日。午前6時半に自宅を出発。関越自動車道から長野道を経由して長野で高速道路を下ります。バイパスで長野市街地を抜け、一路白馬に向かいます。以前は中央道経由でしたが、走りにくいのと一般道が長いので、最近は専ら関越経由になってます。4時間弱で到着しますから、便利になったものです。
 山は完全に冬型、ということは八方尾根の上部は強風で荒れ狂っていることになります。情報収集......の結果、案の定ロープウェイが動いていない。それじゃ、昼飯食おう。諦めが早いのです。来る途中でコロッケパンを食べたのチャーハン小盛り、みんなはカレーライス。
お昼過ぎになんとか上まで上がりましたが、視界が悪く滑っていても面白くない上に危険なので早々に切り上げました。スキーが目的ですから、宿に帰って何かすることがあるわけではありません。風呂は?まだ早すぎ、ビールでも飲みましょうか。だらだらと宴会がスタートするのでありました。夕食は前菜に始まり、スープ、サラダ、ご飯、魚料理、肉料理、デサート、コーヒー(紅茶)と続く洋食スタイル。普段酒ばかり飲んでいるので、あまり主食を食べないのですが、この時ばかりは旅先でアドレナリンが出っぱなしなのか、赤ワイン飲みながら完食。完全に食べ過ぎ状態でベットに入るのでした。何時から寝るんだって?午後8時には良い子は寝るのです。
 翌日も冬型、吹雪いています。そういえば、最近はテレビのアナウンサーも「吹雪く」使いますね。
視界は少し良くなりましたが、上は突風です。パノラマコースとリーゼンコースを何本か滑りましたが、視界が悪いとパウダースノーも楽しめません。もう帰ろうよ、お昼ご飯を下で食べましょう、などなどと言いながらホテルまで戻ってきました。車が雪に埋もれているので、毎日雪下ろしをするのは日課です。ということで、牛丼食べて終了です。午後の正しい過ごし方、宴会がだらだらと始まりました。赤ワインが1本無くなる頃に風呂に入り、夕食で白ワイン飲んで、良い子は午後8時に就寝です。
 だんだん良く鳴る法華の太鼓。3日目は夜明け前に星は見え、朝日が昇ってきたので、「やったー、晴れるぞ」と支度をしてゲレンデに立つ頃には、曇天、雪混じり。山の天気はなんとやらです。それでも前日よりコンディションは良くスキー場の最上部まで上ることができました。お昼はリーゼンコース下部(名木山上部)の食堂。この食堂は昔ながらのメニューで、昭和の香りがします。お店の方は常連さんに「お帰りなさい」と声をかけます。どこかの酒場で聞いたような無いような......。昼時にビールは当たり前、一升瓶の日本酒がテーブルの上に鎮座している光景は一種独特。カレーライスをいただきましたが、レトルトでなく懐かしい味、美味しいのです(ただし、ご飯の量が普通の1.5倍位)、完食。間違いなく大食いになってます。「ごちそうさま」「修行に行ってらっしゃい」どこまでも昭和の酒場の感じです。これじゃジジイはイチコロだなあと思いつつ、あれ?午後はどこ滑ったっけ????気がつくと自宅から持ってきた純米酒に手が伸びているのでありました。
最終日、やっと晴れました。朝一から午前11時まで滑りました。今まで滑ったコースを一通り回って、地回終了です。最高の雪質と晴天、絶景も見ることができて、大満足で正月恒例スキー行は終了いたしました。
「また来てくださいね」の声に見送られ、あと何年、八方尾根で滑ることができるだろうと思いつつ、白馬を後にしました。
昼食は白馬駅近くの「そば神」で納豆そばいただきました。
松本に行くM氏と別れ、3人で帰ってきました。スキー行に付き合ってくれた3人の良き友に感謝です。
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ノーパンクタイヤ考

2017年10月02日 | Weblog
 自転車のタイヤがパンクしなければ良いですよね。ママチャリの場合、近くの自転車屋さんに持って行って、チューブにパッチをあててもらって修理することが多いと思います。
ロードバイクは車輪を外すのが簡単ですから、チューブを交換してしまいますね。パンクしたチューブは後で修理すれば良いわけです。
 今年2月からブロンプトンという小径車に乗りはじめましたがのですがタイヤを外すのが厄介そうで、パンクしたらいやだなあと思っていました。幸いパンクすることもなく過ごしていましたが、ノーパンタイヤというのがあるという情報を得たので、思い切って変えました。
 韓国製で、ポリウレタン?の多層構造のタイヤです。空気の層は全くないので、多少重くなることは把握していました。
自転車屋さんから輪行しやすい駅まで乗った印象は乗り味がぐにゃぐにゃしている感じはしましたが、その他はこぎ出しと停止にそれほど違和感はありませんでした。
最初から付いていた普通のタイヤでは街中50km、山道70kmなど走っていましたが、ノーパンクタイヤに換えてからは近くをちょっと走る以外になかなか小径車で出かけることがなかったのですが、昨日40kmほどまとめて走ってきました。
 4人(全員ブロンプトン)で川越駅を出発し、川越の街中をぐるぐる、昼食はうなぎのぽんぽこ亭(開店前から客が並ぶ人気店です)。久しぶりのうな重は美味しかったですよ。グルメライドではなくノーパンクタイヤを考えるでした。話を戻します。
帰りはいつも走っている荒川沿いの道を赤羽まで走って帰ろうという話になりました。乗り味を試すのには絶好です。
 街中を過ぎて、スピードが上がってきてすぐにわかったことは、ほかの人に付いていくのが大変なことです。以前のタイヤではこんなに離されることはありませんでした。最初はタイヤを換えたせいだとは思ってもいませんでした。なんでこんなに遅いんだ。必死にペダルを回すのですぐ疲れてしまい、足を止めると、エンジンブレーキがかかったように速度が落ちます。上り坂でトルクをかけても上りません。なんじゃこりゃという状態です。それと路面の小さな段差でタイヤが横にずれる感じがします。小径車ですからこぎ出しは軽いはずなのに、なぜか重いです。スピードに乗れないのです。ほかの仲間が見えなくなるほど離されてしまいます。
転がり抵抗が非常に大きのではないかと考え、下り坂で全員でテストしました。
その結果は?愕然としました。結果は発表します。2回テストしましたが、100m以上(200m近く)の差がついてしましました。
予想した通り、転がり抵抗が異常に大きいということです。それと元々直進安定性の悪い小径車が横にぶれる感じがあり、ますます安定しないように感じました。
ノーパンクタイヤは街中の低速用タイヤという位置づけが良いと思います。山坂や河川敷をある程度のスピードに乗って走るのには向いていないことがはっきりしました。
このライドは疲れました。多分いつもの2倍の疲れです。
待っていてくれた仲間に感謝。
原因究明に協力してくれた仲間に感謝。
赤羽で明るいうちから沈没。



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今日も波乱万丈(オアフ島編)

2017年09月30日 | Weblog
 9月20日夕方、ホテルの部屋に帰ってやることは翌朝にオアフ島に移動するのでバイクの分解梱包です。皆さん手馴れたもので、あっという間に梱包終了し、タクシーでラハイナまで行き、KIMO'Sというレストランで夕食を摂りました。米国本土に比較して、比べ物にならないくらい美味しいです。何故なのでしょう。
 9月21日早朝、ホテルをチャックアウトし、空港へ向かいました。全く波乱の兆候なし、変だなあ。オアフ島への移動も順調です。
オアフ島の宿は前回も泊まったアンバサダーホテル。チェックインまで時間があるので、徒歩で行けるマッカリー・ショッピング・センターのヴェトナム・フォーの店で昼食。今回の旅行(合宿!)で初めて昼にビールを飲みました。ホテルの部屋割りはマウイと同じ方々です。ここで同室の面々を紹介します。先ず最初は年長のジャイアン:しまなみ海道生口島の「輪空」という素敵な宿のオヤジ(私が酔っ払って今回のツアーに引っ張り込んだのです)。次は年齢順に私、次がポール:ご本人の承諾を取っていないので、詳細は伏せますが、今年定年退職しました。最後にナペポン:揚げ物大好き、ケーキ大好きな愉快な仲間の4人です。
9月22日ラウンドライドオアフの日。カピオラニ公園に午前4時半に集合、5時スタートです。私は前回同様、明るくなるのを待って15km地点から途中参加しました。今回は2班構成。私たちはA班でサイクルリーダーは今回のツアー参加者ではなく、旧知のベテラン(ホノルルセンチュリーライドに参加するためにホノルル滞在中)。暗いうちにサイクルリーダーがパンク、そして35km地点の先で再びパンク。リーダー不在のままA班は走ります。快調に飛ばし、ミスコース。99号線を走らなければならないところを、803号線を下ってしまいました。その上、ナベポンはパンク。結局、海沿いの道を回って、ハレイワビーチパークで無事本隊に合流できました。ということは、有名なドールプランテーションは通過していないのです。ノースショアの路面状態は芳しくなく、トラックの幅寄せがあったり、クラクション鳴らされたりとホノルル側とは雲泥の差。ゴミ収集の黒いドラム缶?が道端に出されていて、走りにくいこと。お昼ご飯はカフクでガーリックシュリンプのランチボックス、前回の店よりこちらの店の方が好み味でした。満腹のままひたすら走ります。ここからずっと向かい風。途中色々なトラブルでサポートカー2台にライダー4名乗車。もう乗るスペースはないので、頑張って最後まで走るしか選択肢はありません。最後に上りが2本。カハラの高級住宅街抜けて、ダイアモンドヘッドの海側を回って、午後4時53分カピオラニ公園にゴール。
これで、私のライドは終了です。夕食は再びマッカリーSCのタイ料理屋さん。
翌日は一日中ぶらぶらしたり、バイクの梱包したりで過ごしました。
帰国日は仲間4人がホノルルセンチュリーライドに参加するので、スタート地点で声援を送りました。
先に帰る私を含めた4名は無事ホノルル空港にチェックインし、早速乾杯。アレ?波乱が起きませんね。
気づけば、最終搭乗案内。搭乗ゲートまでダッシュ!これが波乱?
6泊8日の旅は無事終了しました。
一緒に合宿してくれた仲間に感謝、スタッフの皆さんに感謝。
来年もまたやるって??
誰も言ってないし、聞いてない、聞いてない。


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今日も波乱万丈(マウイ島編)

2017年09月29日 | Weblog
 2013年9月23日(月)から9月29日(月)までlongridefan.com主催のマウイ島・オアフ島のサイクリングツアーに参加したことを昨日のことのように覚えています。しかし、覚えている内容は天気が悪かったこと、忙しかったこと、そして坂が辛かったこと。何食ったっけ?ハンバーガーとおにぎりとローストチキンなどなど、あとは補給食ばかりだったかな。道の状況が良くなかったので、路面ばかり見ていて、あまり道を覚えていないのです。翌年のツアーでは色々なトラブルが続いたと洩れ聞きましたが、本ツアー自体は大変スムーズ終了したと思います。
 そして、2017年9月18日成田空港第2ターミナル集合しました。2回目のツアー参加です。前回と違って全員集合してから飛行機のチュックイン。バイクを入れた箱もスムーズに預けることができました(前回は箱が大きすぎるので超過料金がかかる云々、カウンターでもめました)。チャイナエアで一路ホノルルへ。機内が異常に寒いうえに、着陸約2時間前気流が悪く、揺れる揺れる。
 ほぼ定刻にホノルル空港到着。パスポートコントロールでの会話「旅の目的は?」「観光特にサイクリング」「米ドルでいくら持ってる?」「30ドル」「えっ?」「ほら30ドル」「あっち行け!」「サンキュー」朝からなんか変だなあ。荷物がすでに出ていたので一人のメンバ−と税関抜けて、団体出口から外へ。どこで集合?聞いてないなあ。ハワイアンエアのビルに行く手前の広場で待つことに。うーん、待てど暮らせど誰も来ない。しびれを切らして出発ロビーに移動して待つことに。結局、空港内で我々を探していたとのことでした。すいません。波乱の幕開けか??案の定、チェックイン後にあっちのゲート、こっちのゲートとウロウロして、結局元のラインにもどり手荷物検査を通過。搭乗時間を過ぎている。「走れ」 間に合ったのはツアーメンバーのうち6名のみでした。残りは乗り遅れです。波乱??
 マウイ島のカフルイ空港到着。迎えの車はまだ来てない。まあ、乗り遅れたメンバーが次の便で来るまでは待つだけですから....。
バーガーキングで昼食食っている間に、無事全員集合できました。
宿泊地はラハイナ。以前泊まったホテルですので、道は覚えていました。予定通りにホテル到着。スタッフがチェックインのために、レセプションに。時間がかかるのはいつものことですが、それにしても遅いなあ。今回のコーディネートはすべて彼がやっているので、すべてお任せです。
 「ホテルの予約が全く入ってなかった」「なんで?」「誤ってハワイ島のホテルを予約していた」「おー、それではハワイ島に行こう」いたって能天気なメンバーです。結局、隣町のカアナパリに宿が取れました。ちょっとグレードアップ。目の前のショッピングモールにスーパーマーケットがあり、ラッキー。あくまでもポジティブ能天気なメンバーです。そして、ワイン飲みすぎ。
 ウエストマウイ一周100km。スタートしてたった5kmで気持ちが悪くなり、回収車。なんということだ。そして何と25km地点で道路が通行止め、引き返すことに。もちろん自転車で、です。当日の皆さんの走行距離は約50km、私はたったの27km。時間が余ってしまったので、ラハイナ散策。そして、ワイン飲みすぎ。
翌朝、ハレアカラ火山ヒルクライム。ハーフライドではあるものの自力で上ることができました。空気が薄く、ゼーゼーハーハー、脚に力が入りません。前回は視界不良でしたが、今回は快晴です。午後からの南東マウイのライドは止めました(走ったのはなんと6名だけ)。言い訳します。風が強すぎること、道が荒れていること、そのため走行が危険だと判断したためです。まだまだ続く波乱万丈。
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第4回the Peaks 終了

2017年09月04日 | Weblog
 昨日2017年9月3日に山梨県北都留郡小菅村を起点にthe Peaksという上って下りて上って下りて......、平坦な所がほとんどない山岳道路をサイクリング??する大会が開催されました。主催者が私の自転車の師匠達ということもあり、私は自ら進んで裏方として参加しています。裏方といっても特別な能力があるわけではありませんので、言われてことを真摯にこなすことで精一杯です。ただし、医療に携わる身ですから、その分野は少しお手伝いできるつもりでやってきました。
 第4回ということは第1回、第2回、第3回と開催されたわけです。そこには想像を絶する主催者の準備があったことを知るメンバーは数多くありません。地元との方々との相談や行政との折衝など表からは見えない数々のドラマがありました。私はその一部を知るのみですが、大変な苦労であります。なんでそんなにしてまで開催するのでしょう。まあ普通に考えればお金儲け?ですかね。それだったら、私は手伝ってはいないのです。まあ、結果として儲かれば良いなんて考えたら、こんな最低?最強?最悪?なライブイベントをやってられません。参加者が「もう嫌だ」「絶対嫌だ」「次は来ない」等々、色々言いながらニコニコ笑ってる、それもうっすら涙目で。リタイアした方々は色々言い訳しながら....、と三者三様な人間模様。それを見て、次回はもっと苦しんで、楽しんでもらおうと目論む主催者。その全体のうねりの中で4回目までたどり着いた感があります。
そこで、ちょっと裏話。主催者(首謀者)は2名、専任スタッフ1名、常勤?スタッフ約10名、開催時スタッフ約20名か、それ以上が運営チームの陣容です。実際には地元の協力者等々多くの方々が携わっています。それにしてもこの数で300名以上の参加者のコントロールができるでしょうか。普通はできませんし、これ以上参加者を増やせないので、実際には制限しているのです。それでも開催できる秘密はなんなんでしょう?もちろん主催者のノウハウがあるということはいえるでしょう。その上に一人何役も兼任しても嫌がらないフットワークの軽さのスタッフです。真から与えられた仕事を楽しんでいます。そして大会が成功することを願っているのです。
 巷には過酷を売り物にしている「アドベンチャー・・・何とか」が存在しています。しかし、危険が売り物であってはならないと思います。リタイアすること、撤退することが許される、否、正しい判断だと讃えられる、そして、完走者には特別の思い出が与えられる、そんなライブイベントを主催者は狙っていると、私は理解しています。
 今回の小菅村はサイクリストなら誰でも知っている数々のコースの起点になっています。私自身は何十年ぶりかの再訪です。
スッタフは土曜日午前中から会場設営の準備に入りましたが、私は仕事を早仕舞いして、夕方到着という重役出勤です。前日までの悪天候が嘘のように晴れました。夕食後のミーティングが終わって、早々に就寝。翌朝、大会当日午前2時起床です。私はいつものように午前1時半には目が覚めてしまい、ゴソゴソしたので、周りの方は大迷惑です。2時20分には会場である道の駅小菅に到着、大会準備です。ガスがかかっていますが、雨にはなりません。晴れ模様です。これで事故が少ないであろう予感です。
 まだ暗いうちに参加者は続々とスタートしていきました。皆さん楽しそうです。
エイドステーションのスタッフ、通過チェックのスタッフは運用スケジュールに従って淡々と散っていきます。午前7時を過ぎると大会本部は閑散としています。特に私が暇なのは良いことなのです。皆さん事故なく無事に戻って来られることが一番の願いです。実は寝坊して午前7時過ぎにスタートした強者がおりましたが....。
どの参加者も必ず一度はスタート地点である大会本部に戻って、チェックを受けなければ先に進めずリタイア扱いになるのがルールですので、それまでは待機です。
良い天気です。風は爽やかですが、太陽が顔を出すと直射日光は空気が澄んでいるためか強いです。
この大会の参加者は回を重ねるごとに大変マナーの良い、強者が揃ってきたように思います。人を頼らない、自分のことは自分でする、そしてお互い助け合う、そんな参加者像を想像してみてください。
 午後3時過ぎには完走者が帰ってきました。早いなあ。それから午後6時半のゴールを閉めるまで、大会本部のスタッフは各自の仕事をしながら総出で出迎えました。皆さん良い顔しています。事故なく終了することができました。ただし、この時期はスズメバチの動きが活発で困りました。参加者一名は自転車走行中に足首を刺されましたが、アナフィラキシーショックの兆候なく、ほっとしました。
大会無事終了の宣言と共に、撤収。暗い中を黙々と撤収作業作業し、帰途につきました。中央道は大渋滞でしたが、全員無事帰宅できた模様です。
またやりますか?またやりましょう。首謀者のニヤッと笑った顔が脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消え。
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専門医制度って何??

2017年07月28日 | Weblog
久しぶりに投稿します。
本年2月に診療所を移転して、私なりの考えで診療を続けています。
5月の連休には恒例になってきました「しまなみ海道自転車旅」に行くことができました。
さて、最近よく考えることは医師としての生活です。
父は産科・産婦人科の開業医として長く地域医療に貢献したと思います。亡くなる前年まで診療に携わっていました。
一般的に医師は医学部を卒業して、国家試験に合格して医師免許を得ます。現在は研修医制度が必須となりましたが、私が卒業した頃は任意でした。その以前はインターン制度で、インターンが終了してから国家試験を受ける形になっていました。この制度が廃止になった背景には、医師免許を持っていないインターン生が患者を診て良いのか?給料は?等々、患者を診察し、的確な治療を選択し、患者の社会復帰を支援するという医療の本質とは異なるところの議論の結果だと思います。
私の場合はどうでしょうか。
卒業大学と異なる大学病院での研修を選択した理由は、高校時代からの親友が戻って来いと言ってくれたことに尽きます。推薦状もその親友の父親である教授に書いていただきました。私の身元引き受け人である父の恩師からの推薦状もあったそうで、推薦状が2通あるのは珍しいと言われ、赤面したのを今でもよく思い出します。
父と同じ生殖医療を選択せず、形成外科を選択したのは、先天性異常、後天性異常の機能と形態を修復することで、患者の社会復帰を促すことに魅力を感じたからです。
研修医2年、専修医4年の6年間で関連病院などの出張を含め研修を行いました。その間に、国としての専門医制度が発足し、私も日本形成外科学会専門医を取得しました。そして、研究期間を経て、医学博士号を取得するというコースに何の疑問もなく進みました。
ところで、専門医って何ですか?専門医制度は何を目的としているのですか?改めて考えています。
医師は患者さんのために存在します。そのために一般には許されない診察やメスを持つことが許されていると思います。
それでは専門医は?専門知識が豊富で、治療に長けているということを所属医学会や国が認定しようということでしょうか。
現在、専門医制度が大きく変わろうとしています。私の理解では専門医機構というお役所に直結した組織が一括管理するようになるのです。私の所属している日本形成外科学会ではその制度に従うために、複雑な規約を作り、それも改定につぐ改定と混乱しています。
実際には専門医取得のために学会に出席し、決められた講義(講演)を聴き、その出席証明書を集めることに汲々としているのです。そこには医師として患者に接する基本的な態度や治療技術、医師としての哲学を考える余地はないように思います。国が指導するとどうしてもこのようになってしまうのですね。それについて意見は申しませんが、私は医療には多くの部分に徒弟制が適していると思っています。どんな師匠につけるかが大変重要と思います。その点私は恵まれました。多くの師匠に教えを乞うことができたと思います。修行は最初の10年が最も大切なのは他の職種と何ら変わりません。さあこれから医師として何ができるでしょうか。自分自身が心身ともに健康でないといけません。何事にも注意していきたいと思う今日この頃です。

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クリニック移転、その後

2017年06月06日 | Weblog
2017年2月1日に西池袋の立教大学正門前のビルの1階に移転して4ヶ月が経過しました。何が変わって、何が変わらなかったか考えてみました。
資本主義の原理に基づけば、事業規模を拡大していく事が正義でしょうが、私の選んだ道は規模を縮小する事です。
先ず、診療所の面積が半分です。当然、以前使っていた器械やベッド、机などの備品は半分処分しなければならないのです。先ず、待ち合い室のソファー、本棚、飾り棚、診察室の机と椅子2セット、ロッカー4、エステ用ベッド1、診察ベッド2、手術ベッド1、戸棚などはほとんど処分しました。そして、超音波診断装置、超音波脂肪融解装置、EMS、脂肪吸引器、全身麻酔器、ガス滅菌器、レーザー脱毛器、Qスイッチヤグレーザーまでも処分したのです。他にも多くの手術器具を処分しました。産廃業者に頼んだ量は2トントラック2台分です。それでも間に合わず、クリニックと自宅に運んだ荷物は半端ない量です。未だに片付かずにいるのです。
いくつかの機器を処分したので、当然業務内容が変わりました。
時代に逆行してレーザー脱毛は止めました。某社が脱毛用レーザー装置を輸入する契約時に米国に同行してテストを重ねた事は遠い昔のことになりました。最終的にサイノシュアー社のアレキサンドレーザーに決定しましたが、あの時、ロングパルスルビーレーザーを導入していたら、現在のようにレーザー脱毛は普及しなかったでしょう。
Qスイッチヤグレーザーの最新器も処分です。レーザービームの特徴が気に入らなかったのです。
痩身や体型の治療も止めました。器械が大きいので入らないのです。全身麻酔を要するような手術もやめる事にしていたので、全身麻酔装置、手術台、脂肪吸引器を手放しました。それに伴って、豊胸術や腹部の手術に必要な手術器具も処分です。
私がやろうとしている医療は足し算して付加価値を高めて高額の医療費にするのではなく、引き算の医療です。肥満、高血圧や脂質異常などの生活習慣病に対して、薬剤の投与はできるだけ避けることです。生活習慣を改善すれば良くなる病気だと命名されているんですから「生活習慣病」と。それには食事、運動、睡眠を考え直してもらう指導をしています。すぐに治りません、3年かかります。でも、やらなければなりません。
美容医療でも必要ないと思う施術は勧めません。望まれてもお断りすることが度々です。
局所麻酔で可能な手術は以前通り行っています。
フィラー、ボツリヌストキシン注射やPRPの注射も行っています。
創傷治癒促進や疼痛寛解に効果のある半導体レーザーは私の研究テーマであり、友人たちの熱い要望により継続しています。
レーザーとラジオ波の器械は6台残りました。これで十分です。
大きく変わった事がもう一つありました。それは休診日と診療時間です。休診日は日、木、金としました。診療時間は午前10時15分から午後7時までなのですが、初めて休憩時間を設けました。午後1時から2時半まで休憩とし、電話も出ません。
これで良いのか悪いのか、まだ結論には至りませんが、身の丈に合った仕事をもう少し続けていこうと考える今日この頃です。


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ACR療法再開

2017年03月15日 | Weblog
本年2月1日に池袋駅南口から同駅の西口、立教大学正門前のビルの1階に移転しました。
そのため、ACR療法を一時中止していました。
PRP(自己多血小板血漿)によるACR療法はちりめん皺や肌の張りの改善に効果があるといわれる注射です。
最近は整形外科領域で急速に普及している療法でもあります。
この治療法は再生医療等の安全性の確保等に関する法律に則って運用することが義務付けられています。
昨日、再生医療等提供計画が受理されましたので、PRPによるACR療法を本日より再開いたします。

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