久保田潤一郎の不健康日記

久保田潤一郎の日常と医療情報

私のスキー考

2013年01月07日 | Weblog
変なタイトルですね。まあ、私がスキーと関わってきたことを、八方尾根スキー場で色々思い出しましたので、まとめてみようかなと思いました。
 早くに亡くなった義理の叔父が山男でした。その叔父がインフルエンザで学校閉鎖になった小学校三年生の冬にたまたま蔵王スキー場に行ってまして、それを叔母と追いかけていったのがスキーを始めるきっかけです。それまでは狭山スキー場に1回行ったきりでした。蔵王では軽い捻挫を経験するのですが、スキーにのめり込んでいきました。
翌年の春休みに八方尾根スキー場に行き、とんでもない斜面を経験することになりました。その頃は、白馬駅は信濃四ッ家という駅名でした。新宿から夜行列車で到着するのですが、鹿島槍岳、五竜岳、唐松岳、白馬三山と朝日をあびてきれいでした。この景色に惚れこんでしまった私は、冬も夏も白馬に通うようになっていきました。宿は塩の道沿いの民宿「大黒屋」(ご主人は当時夏場の五竜小屋番人でした。大黒屋の大黒は民宿の正面に見える大黒岳からとったのだと思いますが、当人から聞いたかどうか失念しました)で、仲間共々長いことお世話になりました。風の便りでは、もう宿を閉じたそうです。
 中学1年の夏休みには後立山連峰を縦走し、ますます山にのめり込みました。中学、高校時代は八方尾根、栂池高原、鹿島槍スキー場など白馬しか行ったことはありませんでした。今も交流のある親友たちとはこの時代に行動を共にした仲間です。
 高校3年の冬。日本スキー連盟(SAJ)の検定で1級をとりましたが、この検定を受けたスキー場は現在ありません。西山スキー場と言って岩岳の近くの小さなスキー場なのですが、当時、八方尾根スキー場の指導員を輩出していた所で、とんでもなく厳しく優しい?先生ばかりでした。私が習っていたのは夏場は大工の棟梁、冬はスキーの指導員、時に国体選手で、力強いスキーというのを徹底的に仕込まれました。雪がひどい時は帰り道スキーを担いで徒歩でした。どのくらい時間がかかった全く覚えてませんが、多分1時間から2時間です。
 大学時代は白馬に行くことは減りましたが、志賀、斑尾、野沢温泉、雫石、北海道などなど行っていました。スキー三昧でした。
 仕事を始めてからほとんどスキーに行く時間がなくなりましたが、5年前から復活です。まあ、多くて年に3回程度ですけれどね。スキーだけは、自転車もちょっと、一生付き合っていけたらいいなと思います。健康でいるからできるんだと肝に命じて....。感謝。

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1 コメント

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こんばんは (原沢)
2013-01-13 19:35:49
先生こんばんは。日記読んで気さ方で面倒みの良い方だと思いました。今年は群馬の高崎市でも氷点下の朝が毎日続き、赤城山は雪化粧でとても綺麗です。今年はワカサギ釣りを楽しめすので是非群馬遊び来た時はよって見てはいかがでしょうか?冷えた身体には温泉一番。群馬県にはお肌良い温泉が沢山あります。疲れをとってた、や優しく患者さんに接した下さい。

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