久保田潤一郎の不健康日記

久保田潤一郎の日常と医療情報

京都の海鮮丼

2015年07月27日 | Weblog
 先週末は土曜日の仕事を早仕舞いして、夕方大阪に移動しました。日本美容皮膚科学会総会学術集会に参加するためです。事情があって一般演題を取り下げていたので、当初は行かないつもりでおりました。そのため、連休を取っていなかったので夕方移動になったのです。実は日曜日は神戸で再生医療の研究会もあり、どうしようかななどと考えていました。
 午後4時50分東京駅発の「のぞみ」で一路新大阪へ。大阪は天神祭、花火大会で人多しです。ホテルに荷物を置いて、阪急梅田駅前の居酒屋で打ち合わせ。なぜか、途中で人数が増え、友人ドクターも参加、そしてカラオケと続いていくのでありました。
どうもこのパターンは夜遅くなるので、早起き生活が身についている者にとっては辛いのです。
翌日、日曜日午前8時半に会場到着。中之島は川に挟まれているとはいえ、所詮コンクリートの塊、暑いです。
某社のハンズオンセミナーに招待していただいたので、ディスカッションに参加しました。全く会社の営業活動はなく、日頃困っていること、どこに相談すべきかわからないこと、などなど、普段話題にできないことを話し合いました。なかなかできない企画です。色々勉強になり有意義でした。午後1時半過ぎには無事終了しました。ただし、慣れないことなので非常に疲れました。機械展示会場全体が2時過ぎには終了ということで、バタバタと片付けが始まったのにはびっくりしましたねえ。
今回の会場は立派ですが、受付と会議場が10階で、機械展示は3階というのはただの金集めという感じがして、私は好きではありません。主催者ではありませんので、文句をいう筋合いではないのですが.......。
 セミナー終了後は何処へ?なぜか京都に向かうのでした。
暑い京都に到着後、腹減ったということになり、駅地下の食堂街に。結構混んでいますなあ。
時間は迫っているので、仕方なくガラガラの夜は居酒屋みたいな和食店で、すぐできるであろう海鮮丼を注文。待つことしばらくして、見慣れた丼登場。まあ、そこまでは普通です。丼ご飯の上に何種類かの刺身がのってます。お椀はインスタント味噌汁、これも極普通。想像と違ったのは熱々のご飯の上に冷たい刺身がのっていること。本当に熱々のご飯なのです。ちらし寿司ではないので酢飯ではないのは普通なんですか?ふだん海鮮丼なるものを頼まないので、???状態で食事終了。ガラガラな理由がわかったような気がします。
そうそう、海鮮丼食べに京都に来たわけではありませんよ。午後4時から貝屋町のDaniel's Soleというイタリアンカフェレストランにブラジル音楽ライブを聴きに来たのです。バリバリの美容外科医でありながら、最近は音楽シーンへの露出が著しいジョイア。前々から聴きたいなあと思っていましたが、なかなか実現しませんでした。今回は昼下がりのライブという時間設定だったので実現したのです。ブラジル音楽というとボサノバが有名ですが、私は以前からサンバカンソンやショーロが好きです。
そのサンバカンソンやMPB(ブラジルのポピュラー音楽)が中心の選曲で、堪能しました。ギター伴奏も素晴らしかったです。
本格的な釜で焼いたピッツアを美味しくいただき、至福の時間は終わるのでした。午後6時過ぎ、まだまだ明るい京都を後にしました。京都で海鮮丼はいかん。

実家の整理

2015年07月01日 | Weblog
 私の生まれた場所は23年前まで住んでいた実家です。母方の祖父母も同居していましたし、おじおばも同居していましたので、大家族でした。父は島根県浜田市の出身ですが、私が2歳になるまで、東京の病院に勤めていました。父方の祖父が他界した際に病院を継ぐために浜田に帰りました。ですから私は2歳から6歳までは浜田暮らし、小学校入学時に単身東京に戻り、祖父母とおじおばのもとで、小学校1年から3年まで過ごしました。
 久保田医院を現在の場所に開院したのは、私が小学校3年の時ですから53年以上前。当時はまだまだお産が多かったので大変に忙しく、父は休みなく働いていたので、家族で旅行に行った覚えが全くないのです。
入院施設がありましたので、看護師や賄いの人(家族も)もみんな同じ敷地に住んでいましたから、今では想像もできないほど大人数の生活です。食事は入院患者さんとほぼ同じものをみんなで食べました。
 約25年前に高速道路が診療所の前を通ることが決まり、建物を5mセットバックすることになったのを機に入院を止めて、外来診療のみの診療所(無床診療所)に変わったのです。
その実家も平成27年6月末をもって譲渡完了となりました。
もう誰もいない、何もない、家の中は空っぽです。
庭の手入れをしていないので、荒れ放題。池に水がないので、ガマガエルの家族はどこへ行ったか。
いろいろな思い出が走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え。私にとっての一つの時代が終わり、感無量です。
 最後の片付けの日、小原町会の人から「今年の八幡様のお祭りは本祭りだから、十三町会の神輿が集まるから、おいでよ」と言われ.....。