久保田潤一郎の不健康日記

久保田潤一郎の日常と医療情報

奥武蔵グリーンラインは少し涼しい

2014年07月27日 | Weblog
 7月26日(土)7時50分飯能北口集合。師匠とコバさん、私の3人は久しぶりに奥武蔵グリーンラインを走りましょうというわけで集まりました。快晴です。既に暑いです。
飯能駅は標高100mですから各々山の高さでどのくらい上るか割り出せます。裏道を抜けて入間川から中藤川沿いを上って天覚山の東峠(標高400m)を超えて東吾野駅に至りました。昨年の同時期に全く同じコースを抜けてますが、この山超えるのに上りで何度休んだことか。今回はスピードは相変わらず遅いのですが休まずに上れました。デスライドの高地トレーニングが功を奏しているのでしょうか。
東吾野駅を抜けて299号線を左折、すぐに右折して山道に入って行きます。道は一本道、顔振峠(500m)を目指します。前回はすでにへろへろになっていましたが、この坂も何となく上ってしましました。
茶屋でところてんをいただく。美味しい、酸っぱい汁も全部飲み干してしまいました。ここでのんびりする訳にいかず、傘杉峠(550m)、花立松ノ峠(630m)と上ったり下りたりしながら徐々に高度を上げていきます。今回は全然苦しくないですが、汗の吹き出しはすごく、水と塩分の補給が間に合いません。飯盛峠(770m)檥峠(775m)、刈場坂峠(818m)大野峠(850m)に至りました。このコースは木陰が多く日差しを遮ってくれるので涼しいですが、反面眺望が悪いです。
大野峠からは白石峠の方に右折せずに、林道丸山線を直進、林の中を進みます。この辺は上りだか下りだかよくわからない状態(960m)でペダルを回していましたが、意外に疲れを感じずに県民の森に到着。師匠が一人待ちくたびれていました。ここで初めてトイレに行きました。明らかに脱水気味です。ここまで3時間半(内、尾根道17km)ですから、ゆっくりです。仕方ないのです、上りも下りも遅いのですから。さあ、ここからは横瀬に向かって、林道丸山線を下るだけです。ちょうど半分ぐらい下ったところから、猛烈に暑くなってきました。秩父盆地の暑さです。先ほどまでは、「昼飯食ったら、温泉で昼寝して、自走で帰るぞう」と勇ましかったのですが、前言撤回でありました。武甲山が眼前にドーンと見えてくる頃には、ダメダメ猛烈暑くなってきました。
昼飯は師匠が検索していたラーメン屋「珍達そば、横瀬店』。地図を頼りに最後は勘で、無事到着珍達そば。前回は極端な大盛りで評判の「悦楽苑」でしたから、秩父地方は変な名前の変なサービスが盛んなんですかね。
3人とも珍達そば(並)650円を注文。待つこと暫し、浅めのどんぶりにごま油が香る、見た目ラーメンには見えない麺が登場。麺は東南アジアの蝦麺のような細麺。ネギと豚肉の炒めを緩いあんかけにしたようです。うまいです。いわゆるラーメンではなく、中華の麺です。これは気に入りました。後で調べたところでは、同名の店がおはなばたけ駅前にあるようですが経営は全く違うようです。そういえばホルモン焼きの名店も同名の店が堂々と近くで営業していましたね。節操がないのか、おおらかなのか。
支払いのときに、アイスキャンディーとポケットテッシュをいただきました。サービスよし、再訪すべき店として確定。
裏道通って、少し迷って、武甲温泉到着。一風呂浴びて、のんびり。既に走る気配全くなしです。
午後2時12分、横瀬駅から帰宅の途につきました。
良い一日でした。師匠、コバさん、ありがとうございました。
帰宅してから、ハヅキと散歩に行きましたが、暑かった。


2014年デスライド参加を振り返って

2014年07月22日 | Weblog
 2014年7月9日から7月14日までのLake Tahoe旅行で色々考えました。
カルフォルニア州とネバダ州の北部辺境に位置するタホ湖の山岳地帯を道路封鎖して行われるデスライドというサイクリングイベントは米国のサイクリストにとってどのような位置づけなのだろうか。スピードを競う大会ではないし、日本のロングライドのようなご当地グルメを競うものでもなく、ヒルクライムレースでもない。
雄大な自然の中を淡々とニコニコおしゃべりしながら上って、いきなりすごいスピードで下る。その繰り返し。へとへとになってひっくりかえっている人はいない。
応援してくれる人々の前では律儀にthank youと言い、頑張っているポーズをとるサービス精神。
医務室でも淡々としたもので、気分の優れないライダーが点滴して帰って行く。すべてが抑揚なく淡々としているのです。
最後のピークに行く前に自分の車で昼寝している人もいます。
どうも、全員が完走を目指して必死になっている訳でもないのです。
三社祭のような有名な祭りではなく、そう、村祭りの雰囲気なのです。この淡々とした感じはいいですね。気に入りました。
そして、組織委員会や地元の素朴だけど精一杯のホスピタリティー、これは無理がなくて気持ちよいものです。日本のイベントでも学んでほしいです。参加者は多分色々な人がいるのだと思いますが、それを全部飲み込んでしまうスケールの大きさがあるのだと思います。なかなか一人で行くことは叶いませんから、良い経験をしました。
 ロングライドファン・コム主催のデスライドツアーは年々参加者が増え、今年は総勢19名(主催者2名、ドライバー、コドライバー併せて8名を含む)。役割分担が決められている人は一人何役もこなさなければならないのです。あとは適宜役割分担をこなすことになります。3泊4日の合宿生活、今回は概ね上手くいったと思います。私はずいぶん楽をさせていただきました。食事の用意が大変ですね。包丁が切れないし、火力が弱い。料理をしない国ですから仕方ありません。セロリ嫌いの方が多いのにはちょっとびっくりしましたよ。
なにはともあれ、初対面の人も多い団体旅行成功です。最後まで頑張ってくれた人々に深謝するとともに、ご参加の皆さん全員に感謝申し上げます。
楽しく愉快な旅行ありがとうございました。
またの機会にお会いできること楽しみにしています。

デスライドというお祭り-その4-

2014年07月22日 | Weblog
 デスライドの概要は全コース約210km、5つのピークを制覇するイベントなのですが、そこは米国、個人個人が様々な方法で楽しんでいます。今回が35回大会ですから伝統のあるサイクリングイベントと言ってよいと思います。なぜそんなに人気なのか走るながら考えてました。先ず起伏に富んだ雄大なコースで有ること、全コースの3分の2は完全に道路を封鎖して自転車だけ(パトロールバイクと救急車走行)が走行できること、天候が安定していること(寒すぎるし、暑すぎるのですが晴天率が高い)でしょうか。私の場合、珍しく5月から6月にひどい風邪をひいてしまい、体力が落ちてしまったこと、椎間板ヘルニアの症状が悪化していたことなど、最初から完走は無理でした。皆さん異論はあるでしょうが、無理のない程度で参加するというのが目標でした。もう1ピーク頑張れたかもしれませんが、心が折れたということでしょうか。簡単に途中棄権してしまいました。実にあっけないものです。結局走行距離は100kmちょっとでしたから、まさに道半ばでしたが、怪我なく終了することができたことに感謝すべきであると思います。
 ところで、その後です。このツアーの首謀者で開拓者である師匠がEBBETTS PASSからの下り、ランチストップ手前でカーボンハンドルが何かの衝撃で折れた結果転倒、打撲。バイク破損でゴール地点に救急車で帰ってきたのです。命に別状なかったことは幸いでしたが、その後の処理で結構な時間と労力を要しました。
参加者のほとんどは実に頑張ってました。すごいです。全員ゴール地点に戻ることができて、何事もなかったかのように宿に帰り、BBQ。楽しい夜は更けて行きました。再び記憶が飛んでます。懲りないなあ。
 翌朝、撤収です。あっという間に準備完了、掃除も済ませ、サウスレイクタホをあとにし、サンフランシスコに向かいました。前日の疲れがあったと思いますが、ドライバーが頑張ってくれて、予定通りサンフランシスコに到着、お土産買って、帰国組と延泊組に別れました。私は当日帰国組でしたので空港へ向かい、無事出国準備が終了しました。
 今回の旅行は大きなトラブルがあったり、転倒事故があったりしましたが、19名のツアーが成功したのは最後まで緊張感を持ってスタッフ、参加者一丸となった努力の賜物と思います。皆さんに感謝します。
 そうそう、飛行機の座席がまたもや窓側だったのですが、しつこく通路側のリクエストを入れ、搭乗口で46D(通路側)の席を確保しました。離陸も食事も知らずに眠り続け、4時間経って目が覚めました。全く良く寝ます。

デスライドというお祭り-その3-

2014年07月22日 | Weblog
眠れぬまま、デスライドに参加するためにロッジを出発する時間が近づいてきたので、何か腹に入れておこうと食堂に向かいました。サトウのご飯を暖めて、みそ汁と梅干しで朝食(午前1時前)です。補給食は羊羹と黒砂糖が中心です。その他は現地のエイドステーションで調達するつもりでした。ベテランはおにぎりを作って持って行くようです。午前2時過ぎにデスライドのスタート地点に向かいます。月明かりがあり真っ暗という訳ではないのですが、まあ、何も見えないのです。前照灯2本灯して三々五々出発して行きます。私一人では全く動きがとれないのを心配して、一緒に走ってくれる人2名。これで安心して走れますが、いつまでたっても独立できないのはちょっと困りものです。いでたちは長袖の下着、半袖サイクルジャージ、毛糸のベスト、ウインドブレーカー2枚重ね。手袋の上にもう一枚ビニール手袋を重ねています。午前3時、標高1800mのスタート地点近くを出発。街灯など人工の光は全くない中、走っていると、変な浮遊感があって何となく気持ちが悪くなってきました。それでもなんとか走って行くのですが、一緒に出発した仲間の赤いテールランプはあっという間に見えなくなってしまいました。最初は下りなのですが、ペダルに負荷を感じる、なぜ??と思っているうちに最初の分岐。これを左折して本格的な最初の上り。標高1650mから2534mまで約24kmの上り。アップダウンは無く、ずっと上りです。まだ真っ暗闇な中を上ります。道は整備されていて大変走り易いのですが、ガードレールはありません。疲れは全くないのですが、ペダルが回らない。ずっと一番軽いギアになってしまっていました。ここでこのギアということは、もっと斜度がきつかったら上れないということですね、などと考えながら、マイペースで上ります。というよりこれ以上スピードが出ないのです。それでも最初のピークにたどりつくことができました。MONITOR PASS到着。まだ真っ暗な中、記念撮影。少し下って、ステッカーを貼ってもらい、トイレに寄って、再び走り始める頃、夜が明けてきました。緩い下りを回り込んで、一気にダウンヒルです。そして真っ赤な太陽が岩山からドカーンと上ってきました。これを見せたかったんだよとあとで言われましたが、写真に収める余裕も無く、下ります。強烈に寒い。寒い寒いとつぶやきつつ、標高差で1000m近く一気に下る。こんな経験は初めてです。しかし、皆さん速い。上りで抜かされ、下りで抜かされ、これが現実なのでした。それでも、2枚目のステッカーストップ到着。ステッカーを貼ってもらい、トイレに行って、補給食の羊羹食って、最初から捨てるつもりで着てきた毛糸のベストとジャンパーをゴミ箱に脱ぎ捨て、上りです。そうです。今来た道を上り返して、下るのです。迂回路は無いのです。そう、これがデスライドの序盤なのでありました。太陽が昇り、日陰のない道を上る。気温は上がり今度は暑い暑いとつぶやきつつ、上るのです。奈落の底から這い上がる感じです。暑さに慣れないので結構きついですが、なんとか上り返しました。後は下り。道路の右端をゆっくり下りました。追い越して行くライダーの速さは尋常じゃありません。米国人はクレージー。分岐まで戻って、左折。次のパスまで行くか、否か。ここが考え時、余力を残して途中棄権でも良いかなあと思った瞬間、走る気が全く失せてしまい、ランチストップでニコニコリタイアとなりました。午前10時20分、まだ人がまばらな所で二人でランチ。ここからスタート地点まで戻るのですが、これがだらだら上りなのでありました。無事戻ってきましたが、それから始まる色々な事は次の機会に......。

デスライドというお祭り-その2-

2014年07月20日 | Weblog
サンフランシスコを昼過ぎに離れ、一路80号線を北東に向かいます。自転車を積んだトラック1台、ワゴンが3台で、総勢19名での移動です。オークランド郊外で、一旦高速道路を降りて昼食。ハンバーガーとルートビア。20代の頃得意になって食べていた米国の食事、口に合わない年になってしまったことを改めて感じつつ、腹を満たします。そして事件発生。なんと白昼堂々の車上荒らし。ワゴン車1台のサイドウインドウが割られ、荷物を盗まれていたのでした。起こってしまったことは仕方なく、警察呼んで、壊された車はサンフランシスコに戻ることになりました。暴漢に鉢合わせしなかったことを幸いと思わざるおえません。米国は格差が著しく、底辺の人は全く這い上がれない社会は形成されていることを改めて考えつつ、トラックとワゴン車2台は先を急ぎます。サンフランシスコに戻った車は、車の交換と事務処理とのことでした。サクラメントから50号線をタホ湖に向け走ります。このあたりから、私の腰椎椎間板ヘルニアの症状が悪化してきまして、右足のしびれ痛みが強烈になってきました。飛行機ではなんとかなったのですが、この症状にはまいります。約300kmの移動ですが、明るいうちに宿に着くことができました。手分けして、買い出し、食事の用意と合宿生活の始まりです。サンフランシスコからの3名を待つうちに、ただの酔っぱらいとなっており、彼らが無事に宿に着く頃には完全に出来上がっていました。そこからの記憶がプツンと途切れているのですが、完全二日酔いの状態で、朝をむかえました。こんな状態で走れるのか???初日からやってしまいました。朝食を無理矢理入れて、試走に。もちろん、へろへろ状態です。天候は雲が多く、所々で小雨模様という走りやすい状態でしたが、何しろ体が言うこと聞きません。反省、反省、反省。午後はデスライドのコースの一部を下見して、夕方に。
7月11日は午前中にタホ湖畔を散策観光です。朝早く目が覚めてしまうのですが、観光地の朝はゆっくりで、時間を持て余します。午前9時半過ぎに宿を出発、Heavenly Villageに向かい、ゴンドラで一気に山頂に。絶景であります。こういうのんびりした観光が良いのですがと考えつつ宿にもどりました。午後からデスライドというお祭りに参加登録すべく、スタート地点に向かいます。ロケーションはサウスレイクタホから南に行ったカリフォルニア州とネバダ州の州境のカリフォルニア側の山岳地帯です。ゼッケンと参加賞をもらい、お土産のTシャツとキャップを買い。終了です。何となく村祭りの様相です。
その夜は、言うまでもなく皆さん早寝しました。そして、私は午後11時に目が覚めてしまいました。何と出発までに3時間もある。悶々と時が過ぎるのを待つのみです。デスライド当日に続く......。

デスライドというお祭り-その1-

2014年07月19日 | Weblog
 2014年7月7日の夕方まで通常勤務して、一旦家に帰り荷物を車に載せて羽田空港に向かいました。今回は息子が送ってくれたので非常に楽でした。午後8時15分、羽田空港国際線出発ロビー到着。何人か集まっているようだが、どうも団体行動ではないらしいということで、チェックイン。ここで問題発生。自転車の収まっている箱が規格外で有料になるとのご託宣。前日ももめているし、覚悟の上ではあったが、めんどくさいなあ。規格通りに作っているので問題ないはずと言っても埒開かず。「あれー、先にチェックインしている箱が見えますが、あれは有料ですか?」と聞いてみる。「いいえ」とのお答え。「それではあれと比べてください」という訳で無料となりました。全くなんとかならないのかなあ。そして再び問題発生。座席のリクエストをしていなかった。通路側が満席との由。それでも食い下がり、ゲートにリクエストを入れるように依頼。やっと飯が食えることになりました。
 そもそもなんで羽田空港の国際線ロビーに居るかと言えば、昨年秋のことでありました。何かの宴会で、酔っぱらった上でDeath Rideという米国加州の伝統あるサイクリングイベントに参加すると宣言してしまったことに発します。とても過酷なコースで私はもともと完走なんかできないのですが、言ってしまった以上逃げる訳にもいかず、この日を迎えてしまったのです。まあ、夏休みということで参加しました。羽田からサンフランシスコ。そこから車でタホ胡湖畔まで移動予定です。
ビールやワインを飲みつつ搭乗時間を待っていると、搭乗ゲートから呼び出し。そうです、通路側の座席を確保できたのでした。予定通り、7月8日零時過ぎにJL002便はサンフランシスコに向けて飛び立ちました。食事の後、6時間もぐっすり眠ってしまい、映画の1本も見ないでサンフランシスコ到着です。現地時間7月8日18時。まだまだ明るい時間帯です。この日はサンフランシスコ宿泊です。ホテルにチェックイン後、みんなで食事しましたが、いつものように飲んでばかりで終了でした。翌朝早くに目が覚めてしまい、いつもの散歩、結局コンビニエンスストアで朝飯を調達することに。
午後からタホ胡へ移動するので、午前中はアルカトラズクルーズでした。まさに観光旅行です。以前行った時は寒かったのですが、案の定寒い。本当にサンフランシスコは寒いです。
午後からの車での移動、順調だったでしょうか。あっ、仕事しなければ。この続きはまた後で。

早いもので....。

2014年07月02日 | Weblog
 早いもので、もう7月になってしまいました。6月は1日に京都で講演してヨレヨレ状態でスタートしました。仕事はいつも通りなんですが、7月12日に米国加州サウスレイクタホで行われるサイクリング大会「Death Ride」に行くので、少しは走れるように練習しなければならないのです。「せっかく行くのだから、ちゃんと走れ」というのが大方のご意見であることは重々承知しているのですが、何しろ練習嫌いです。毎日規則的に何かをするというのが全くできない上に、夜は酒飲んで寝てしまうというだめな生活を続けているのです。それでは早朝練習しなさい。それができれば苦労はしません。朝早く起きることは苦になりませんが、愛犬ハヅキとゴロゴロしているとあっという間に時間が過ぎてしまうのです。休日があるでしょ。確かに6月は8日間休みの日がありました。そのうち4日間は医学会の学術集会に出席。3日間は雨でトレーニング中止。ということで、純然たる自転車トレーニングは一日だけ。その一日もメカトラブルで坂トレーニングがほとんどできませんでした。何ということでしょうか。以前より全然自転車に乗れていないという結果になってしまいました。Death Rideをなめてんのか!決してそんな気はありませんが、こうなってしまったのです。学会発表準備というのは手間と時間がかかるものですが、特に先月は忙しかったのです。だから何!自問自答の日々が続いているのです。7月9日に出発なので今更何もできませんが、明日の体幹トレーニングと6日に近くを走ります。自転車の梱包と荷物作りは6日夜になりそうです。
 時の経つのは本当に早いですね。仕事と講演と趣味と......。健康だからできることですが、欲張りはいけません。ちょっと欲張り過ぎたかもしれませんね。反省。