久保田潤一郎の不健康日記

久保田潤一郎の日常と医療情報

3年ぶりの韓国

2013年01月21日 | Weblog
先週、3年ぶりに韓国に行きました。1月に韓国を訪れるのはたぶん初めてですね。釜山で皮膚科のクリニックを訪問して、新しい器械の使い方について議論しました。ニキビにしか使っていないようで、ちょっと物足りない討議になりましたが、はっきりしたことは相当安全域が広いこととプロトコールはあって無いようなものであることでした。まあ、ゆっくり使ってみましょう、ということで、仕事は終わり、釜山の空港へ。国内線の空港は食べるところがほとんどないので仕方なく春巻き、とんかつでビール。飛行機でソウルに移動しました。ソウルは寒い、寒い。氷点下の世界です。今回の宿泊は明洞の中、初めてですねこんな繁華街の中に泊るのは。クリニックのスタッフ3名は直接ソウルに到着していたので、午後8時過ぎに合流して、豚焼き屋さんに行くことに決定。明洞は安くておいしい店は少ないですよね。それでもその晩は5名だったので、タクシー2台に分乗するのが不安なため、徒歩で行ける店にしました。「黒豚屋」済州島産の黒豚専門店で500席の大箱店。満席の大盛況で10分ほど待たされました。人気なだけあって、うまいです。値段はそこそこですが、やはり量が少ないのです。それでも大満足。何しろ寒いので、帰り道で酔いが醒めてしまい、再び焼酎を買ってしまいました。12時には就寝。
ソウル2日目、スタッフは観光に行くので7時にソルロンタンの店で朝飯。あっさり味でうまいのですが、キムチの汁を入れて真っ赤にして食べたのです。私はひとりで友人の会社に行く予定でしたが連絡がとれず、のんびりと散策。明洞教会は工事中で近づけませんでした。午後2時半にスタッフと合流し、オジャンドンに冷麺を食べに出かけました。ビビン冷麺と茹で肉、フェー(エイの刺身)、またしても焼酎....。うまいですよ。満腹、ほろ酔い。うちのスタッフが行きたいと言うので、酔い覚ましに新羅免税店まで歩きます。晴れて太陽が出ているのに寒い~であります。免税店に行くことは本当に久しぶりですね。大混雑してます。日本人、中国人ばかりに見えました。
夕食はタッカンマリの店に行く予定でしたが、食欲なく疲れていると言うので、近くの石焼ビビンパの店に行くことに。うまいのですが、高いという典型店。またまた焼酎です。
ソウル3目、お腹減ってないのです。食べ過ぎですね。スタッフはみんな風邪気味。私ひとり元気。南大門市場を案内して、ロッテデパートで餅と焼のり買って、えごまのキムチも買って正午にホテルをチェックアウト。3時にタクシーを予約したので時間がありますが、みんな全く元気がないので、隣のビルのスムージー屋さんで、甘い飲み物。私はコーヒーと軽食。ホテルのロビーで、ずっと居眠りしてましたよ私以外は。
定刻に迎えのタクシー、一路インチョン空港へ。1時間かからず空港。7時前には空を飛んでました。駆け足旅行は終了したのでした。それにしても焼酎をよく飲んだなあ。
帰りの便にビールしかなかったのは残念でありました。ニンニクと焼酎の旅終了。

私のスキー考

2013年01月07日 | Weblog
変なタイトルですね。まあ、私がスキーと関わってきたことを、八方尾根スキー場で色々思い出しましたので、まとめてみようかなと思いました。
 早くに亡くなった義理の叔父が山男でした。その叔父がインフルエンザで学校閉鎖になった小学校三年生の冬にたまたま蔵王スキー場に行ってまして、それを叔母と追いかけていったのがスキーを始めるきっかけです。それまでは狭山スキー場に1回行ったきりでした。蔵王では軽い捻挫を経験するのですが、スキーにのめり込んでいきました。
翌年の春休みに八方尾根スキー場に行き、とんでもない斜面を経験することになりました。その頃は、白馬駅は信濃四ッ家という駅名でした。新宿から夜行列車で到着するのですが、鹿島槍岳、五竜岳、唐松岳、白馬三山と朝日をあびてきれいでした。この景色に惚れこんでしまった私は、冬も夏も白馬に通うようになっていきました。宿は塩の道沿いの民宿「大黒屋」(ご主人は当時夏場の五竜小屋番人でした。大黒屋の大黒は民宿の正面に見える大黒岳からとったのだと思いますが、当人から聞いたかどうか失念しました)で、仲間共々長いことお世話になりました。風の便りでは、もう宿を閉じたそうです。
 中学1年の夏休みには後立山連峰を縦走し、ますます山にのめり込みました。中学、高校時代は八方尾根、栂池高原、鹿島槍スキー場など白馬しか行ったことはありませんでした。今も交流のある親友たちとはこの時代に行動を共にした仲間です。
 高校3年の冬。日本スキー連盟(SAJ)の検定で1級をとりましたが、この検定を受けたスキー場は現在ありません。西山スキー場と言って岩岳の近くの小さなスキー場なのですが、当時、八方尾根スキー場の指導員を輩出していた所で、とんでもなく厳しく優しい?先生ばかりでした。私が習っていたのは夏場は大工の棟梁、冬はスキーの指導員、時に国体選手で、力強いスキーというのを徹底的に仕込まれました。雪がひどい時は帰り道スキーを担いで徒歩でした。どのくらい時間がかかった全く覚えてませんが、多分1時間から2時間です。
 大学時代は白馬に行くことは減りましたが、志賀、斑尾、野沢温泉、雫石、北海道などなど行っていました。スキー三昧でした。
 仕事を始めてからほとんどスキーに行く時間がなくなりましたが、5年前から復活です。まあ、多くて年に3回程度ですけれどね。スキーだけは、自転車もちょっと、一生付き合っていけたらいいなと思います。健康でいるからできるんだと肝に命じて....。感謝。

じじい二人旅、年始スキー行に想う

2013年01月06日 | Weblog
恒例になっている年始のスキー行です。高校一年からの親友のM氏と年始にスキーに行くようになって数年が経ちます。彼の息子が高校スキー部だったので、オヤジとしてスキー場に送り迎えしていた関係で便乗するようになったのが始まりなのです。息子ももう大学三年生で、オヤジはお払い箱....。じじい二人旅となったわけです。昨シーズンは私の体調がまだ戻っていなかったので2月に一度スキーに行きましたが、座り込むとスキー板を付けたままだと立ち上がれないという状態でした。夏から始めた体幹トレーニングの成果が問われるスキー行です。
さあ、どこへ行こうと予定を練ったのですが、意外に早くホテルが満室で、1月3日が戸隠スキー場、4日が白馬八方根スキー場に予約できていました。2泊3日でスキー場を変わるという若者?スタイルです。
いつものように、朝、M氏が自宅まで車で迎えに来てくれるという、楽ちんスタイル。一路、戸隠へ。環七から新目白経由で関越道、長野道で昼前には戸隠スキー場到着です。雪がちらつく典型的な冬空。結構風が強く寒いです。本当に寒いです。これは歳のせいではないです。
早速、滑ってみましたが、圧雪の平坦なバーンは全く問題なく、足首がよれません。調子に乗って、凸凹の急斜面に入ってみると真っ青です。左手のストックが全く突けないのです。鎖骨の偽関節が問題となって急浮上です。四苦八苦して下りてきましたが、まいったなあという感じです。平坦なバーンでも左ストックを使う左ターンがうまくいきませんが、そこは昔取ったなんとやらで、ごまかします。トレーニングの成果は明らかで、腰がぶれないので荷重がスムーズです。全然疲れないのです。寒い寒いと言いながら夕方まで快調に滑ることができました。風呂に入って日本酒を一杯(イッパイ)ひっかけてご機嫌です。夕食が終わるとすることがないので、おやすみなさい。
4日朝、突風に雪が舞います。寒い。朝食後、荷物をまとめて、白馬へ移動です。M氏に運転任せっぱなしですが、まあ私が出る幕はないと思います。この日も雪道を山越えの鬼無里経由で白馬村まで37km。一時間少々で到着です。
久しぶりの八方尾根スキー場。強風のためゴンドラが運休。リフトで兎平まで上ってみました。アルペンリフトも止まってます。これでは黒菱からスカイラインには行けないですから、パノラマで足慣らし。寒くて寒くて、滑ってられません。相談の結果、ホテルまで戻って、一枚着てこようということになり、リーゼンコースを下ります。10分かからずホテル到着。脚、快調です。それにしても寒い。午後も強風は変わらず、視界も最悪なので3時過ぎには止めてしまいました。ホテルの夕食はフランス風のコース料理、スキー宿としては頑張っていると思います。なかなか良い宿です。ほろ酔いでまたしても早々に就寝してしまいました。
5日、快晴、無風。こんな天気は一月にはめったにないという上天気。でも、寒い....。午前中だけですが、展望リフトまで上がって、景色を堪能し、黒菱からスカイライン、パノラマ、リーゼンと駆け回り、もういいかと2人で納得して年始のスキーは終了といたしました。まだ午前11時、ただ疲れただけなんですけどね。
帰りは道の駅でとろろそば食って、一路、東京へ、渋滞もなく4時半には自宅に到着しました。M氏には本当に感謝です。
それにしても体幹トレーニングの威力はすごいです。