久保田潤一郎の不健康日記

久保田潤一郎の日常と医療情報

今日も波乱万丈(オアフ島編)

2017年09月30日 | Weblog
 9月20日夕方、ホテルの部屋に帰ってやることは翌朝にオアフ島に移動するのでバイクの分解梱包です。皆さん手馴れたもので、あっという間に梱包終了し、タクシーでラハイナまで行き、KIMO'Sというレストランで夕食を摂りました。米国本土に比較して、比べ物にならないくらい美味しいです。何故なのでしょう。
 9月21日早朝、ホテルをチャックアウトし、空港へ向かいました。全く波乱の兆候なし、変だなあ。オアフ島への移動も順調です。
オアフ島の宿は前回も泊まったアンバサダーホテル。チェックインまで時間があるので、徒歩で行けるマッカリー・ショッピング・センターのヴェトナム・フォーの店で昼食。今回の旅行(合宿!)で初めて昼にビールを飲みました。ホテルの部屋割りはマウイと同じ方々です。ここで同室の面々を紹介します。先ず最初は年長のジャイアン:しまなみ海道生口島の「輪空」という素敵な宿のオヤジ(私が酔っ払って今回のツアーに引っ張り込んだのです)。次は年齢順に私、次がポール:ご本人の承諾を取っていないので、詳細は伏せますが、今年定年退職しました。最後にナペポン:揚げ物大好き、ケーキ大好きな愉快な仲間の4人です。
9月22日ラウンドライドオアフの日。カピオラニ公園に午前4時半に集合、5時スタートです。私は前回同様、明るくなるのを待って15km地点から途中参加しました。今回は2班構成。私たちはA班でサイクルリーダーは今回のツアー参加者ではなく、旧知のベテラン(ホノルルセンチュリーライドに参加するためにホノルル滞在中)。暗いうちにサイクルリーダーがパンク、そして35km地点の先で再びパンク。リーダー不在のままA班は走ります。快調に飛ばし、ミスコース。99号線を走らなければならないところを、803号線を下ってしまいました。その上、ナベポンはパンク。結局、海沿いの道を回って、ハレイワビーチパークで無事本隊に合流できました。ということは、有名なドールプランテーションは通過していないのです。ノースショアの路面状態は芳しくなく、トラックの幅寄せがあったり、クラクション鳴らされたりとホノルル側とは雲泥の差。ゴミ収集の黒いドラム缶?が道端に出されていて、走りにくいこと。お昼ご飯はカフクでガーリックシュリンプのランチボックス、前回の店よりこちらの店の方が好み味でした。満腹のままひたすら走ります。ここからずっと向かい風。途中色々なトラブルでサポートカー2台にライダー4名乗車。もう乗るスペースはないので、頑張って最後まで走るしか選択肢はありません。最後に上りが2本。カハラの高級住宅街抜けて、ダイアモンドヘッドの海側を回って、午後4時53分カピオラニ公園にゴール。
これで、私のライドは終了です。夕食は再びマッカリーSCのタイ料理屋さん。
翌日は一日中ぶらぶらしたり、バイクの梱包したりで過ごしました。
帰国日は仲間4人がホノルルセンチュリーライドに参加するので、スタート地点で声援を送りました。
先に帰る私を含めた4名は無事ホノルル空港にチェックインし、早速乾杯。アレ?波乱が起きませんね。
気づけば、最終搭乗案内。搭乗ゲートまでダッシュ!これが波乱?
6泊8日の旅は無事終了しました。
一緒に合宿してくれた仲間に感謝、スタッフの皆さんに感謝。
来年もまたやるって??
誰も言ってないし、聞いてない、聞いてない。



今日も波乱万丈(マウイ島編)

2017年09月29日 | Weblog
 2013年9月23日(月)から9月29日(月)までlongridefan.com主催のマウイ島・オアフ島のサイクリングツアーに参加したことを昨日のことのように覚えています。しかし、覚えている内容は天気が悪かったこと、忙しかったこと、そして坂が辛かったこと。何食ったっけ?ハンバーガーとおにぎりとローストチキンなどなど、あとは補給食ばかりだったかな。道の状況が良くなかったので、路面ばかり見ていて、あまり道を覚えていないのです。翌年のツアーでは色々なトラブルが続いたと洩れ聞きましたが、本ツアー自体は大変スムーズ終了したと思います。
 そして、2017年9月18日成田空港第2ターミナル集合しました。2回目のツアー参加です。前回と違って全員集合してから飛行機のチュックイン。バイクを入れた箱もスムーズに預けることができました(前回は箱が大きすぎるので超過料金がかかる云々、カウンターでもめました)。チャイナエアで一路ホノルルへ。機内が異常に寒いうえに、着陸約2時間前気流が悪く、揺れる揺れる。
 ほぼ定刻にホノルル空港到着。パスポートコントロールでの会話「旅の目的は?」「観光特にサイクリング」「米ドルでいくら持ってる?」「30ドル」「えっ?」「ほら30ドル」「あっち行け!」「サンキュー」朝からなんか変だなあ。荷物がすでに出ていたので一人のメンバ−と税関抜けて、団体出口から外へ。どこで集合?聞いてないなあ。ハワイアンエアのビルに行く手前の広場で待つことに。うーん、待てど暮らせど誰も来ない。しびれを切らして出発ロビーに移動して待つことに。結局、空港内で我々を探していたとのことでした。すいません。波乱の幕開けか??案の定、チェックイン後にあっちのゲート、こっちのゲートとウロウロして、結局元のラインにもどり手荷物検査を通過。搭乗時間を過ぎている。「走れ」 間に合ったのはツアーメンバーのうち6名のみでした。残りは乗り遅れです。波乱??
 マウイ島のカフルイ空港到着。迎えの車はまだ来てない。まあ、乗り遅れたメンバーが次の便で来るまでは待つだけですから....。
バーガーキングで昼食食っている間に、無事全員集合できました。
宿泊地はラハイナ。以前泊まったホテルですので、道は覚えていました。予定通りにホテル到着。スタッフがチェックインのために、レセプションに。時間がかかるのはいつものことですが、それにしても遅いなあ。今回のコーディネートはすべて彼がやっているので、すべてお任せです。
 「ホテルの予約が全く入ってなかった」「なんで?」「誤ってハワイ島のホテルを予約していた」「おー、それではハワイ島に行こう」いたって能天気なメンバーです。結局、隣町のカアナパリに宿が取れました。ちょっとグレードアップ。目の前のショッピングモールにスーパーマーケットがあり、ラッキー。あくまでもポジティブ能天気なメンバーです。そして、ワイン飲みすぎ。
 ウエストマウイ一周100km。スタートしてたった5kmで気持ちが悪くなり、回収車。なんということだ。そして何と25km地点で道路が通行止め、引き返すことに。もちろん自転車で、です。当日の皆さんの走行距離は約50km、私はたったの27km。時間が余ってしまったので、ラハイナ散策。そして、ワイン飲みすぎ。
翌朝、ハレアカラ火山ヒルクライム。ハーフライドではあるものの自力で上ることができました。空気が薄く、ゼーゼーハーハー、脚に力が入りません。前回は視界不良でしたが、今回は快晴です。午後からの南東マウイのライドは止めました(走ったのはなんと6名だけ)。言い訳します。風が強すぎること、道が荒れていること、そのため走行が危険だと判断したためです。まだまだ続く波乱万丈。

第4回the Peaks 終了

2017年09月04日 | Weblog
 昨日2017年9月3日に山梨県北都留郡小菅村を起点にthe Peaksという上って下りて上って下りて......、平坦な所がほとんどない山岳道路をサイクリング??する大会が開催されました。主催者が私の自転車の師匠達ということもあり、私は自ら進んで裏方として参加しています。裏方といっても特別な能力があるわけではありませんので、言われてことを真摯にこなすことで精一杯です。ただし、医療に携わる身ですから、その分野は少しお手伝いできるつもりでやってきました。
 第4回ということは第1回、第2回、第3回と開催されたわけです。そこには想像を絶する主催者の準備があったことを知るメンバーは数多くありません。地元との方々との相談や行政との折衝など表からは見えない数々のドラマがありました。私はその一部を知るのみですが、大変な苦労であります。なんでそんなにしてまで開催するのでしょう。まあ普通に考えればお金儲け?ですかね。それだったら、私は手伝ってはいないのです。まあ、結果として儲かれば良いなんて考えたら、こんな最低?最強?最悪?なライブイベントをやってられません。参加者が「もう嫌だ」「絶対嫌だ」「次は来ない」等々、色々言いながらニコニコ笑ってる、それもうっすら涙目で。リタイアした方々は色々言い訳しながら....、と三者三様な人間模様。それを見て、次回はもっと苦しんで、楽しんでもらおうと目論む主催者。その全体のうねりの中で4回目までたどり着いた感があります。
そこで、ちょっと裏話。主催者(首謀者)は2名、専任スタッフ1名、常勤?スタッフ約10名、開催時スタッフ約20名か、それ以上が運営チームの陣容です。実際には地元の協力者等々多くの方々が携わっています。それにしてもこの数で300名以上の参加者のコントロールができるでしょうか。普通はできませんし、これ以上参加者を増やせないので、実際には制限しているのです。それでも開催できる秘密はなんなんでしょう?もちろん主催者のノウハウがあるということはいえるでしょう。その上に一人何役も兼任しても嫌がらないフットワークの軽さのスタッフです。真から与えられた仕事を楽しんでいます。そして大会が成功することを願っているのです。
 巷には過酷を売り物にしている「アドベンチャー・・・何とか」が存在しています。しかし、危険が売り物であってはならないと思います。リタイアすること、撤退することが許される、否、正しい判断だと讃えられる、そして、完走者には特別の思い出が与えられる、そんなライブイベントを主催者は狙っていると、私は理解しています。
 今回の小菅村はサイクリストなら誰でも知っている数々のコースの起点になっています。私自身は何十年ぶりかの再訪です。
スッタフは土曜日午前中から会場設営の準備に入りましたが、私は仕事を早仕舞いして、夕方到着という重役出勤です。前日までの悪天候が嘘のように晴れました。夕食後のミーティングが終わって、早々に就寝。翌朝、大会当日午前2時起床です。私はいつものように午前1時半には目が覚めてしまい、ゴソゴソしたので、周りの方は大迷惑です。2時20分には会場である道の駅小菅に到着、大会準備です。ガスがかかっていますが、雨にはなりません。晴れ模様です。これで事故が少ないであろう予感です。
 まだ暗いうちに参加者は続々とスタートしていきました。皆さん楽しそうです。
エイドステーションのスタッフ、通過チェックのスタッフは運用スケジュールに従って淡々と散っていきます。午前7時を過ぎると大会本部は閑散としています。特に私が暇なのは良いことなのです。皆さん事故なく無事に戻って来られることが一番の願いです。実は寝坊して午前7時過ぎにスタートした強者がおりましたが....。
どの参加者も必ず一度はスタート地点である大会本部に戻って、チェックを受けなければ先に進めずリタイア扱いになるのがルールですので、それまでは待機です。
良い天気です。風は爽やかですが、太陽が顔を出すと直射日光は空気が澄んでいるためか強いです。
この大会の参加者は回を重ねるごとに大変マナーの良い、強者が揃ってきたように思います。人を頼らない、自分のことは自分でする、そしてお互い助け合う、そんな参加者像を想像してみてください。
 午後3時過ぎには完走者が帰ってきました。早いなあ。それから午後6時半のゴールを閉めるまで、大会本部のスタッフは各自の仕事をしながら総出で出迎えました。皆さん良い顔しています。事故なく終了することができました。ただし、この時期はスズメバチの動きが活発で困りました。参加者一名は自転車走行中に足首を刺されましたが、アナフィラキシーショックの兆候なく、ほっとしました。
大会無事終了の宣言と共に、撤収。暗い中を黙々と撤収作業作業し、帰途につきました。中央道は大渋滞でしたが、全員無事帰宅できた模様です。
またやりますか?またやりましょう。首謀者のニヤッと笑った顔が脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消え。