現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

コンプライアンス法令遵守

2014-05-15 | Weblog

遵守という漢字、想像する難くないが、「そんしゅ」と読む人を何人も見てきた。それらの方々も、おそらく読み方は違うのだろうと思いながら、それ以外に思いつかないから、あてずっぽうでそのように読んでいるだけのような気がするが。

東京都町田市のマグネシウム工場で火災があり、鎮火までに時間を要したため、報道で大きく取り上げている。当工場が、業務で認可を受けていないということまで発覚して、ここぞとばかり、マスコミ、コメンテーターが勢いづいている。このような小さな法令を守らないことの積み重ねと言っている。話の筋が違うと言われるかもしれないが、コンプライアンス、コンプライアンス、コンプライアンスと、その時とばかり叫びまくる方々に言いたいが、あなた方は、道路を40kmの速度以内で走っているのかと問いたい。それ以上で走っていたら、法令遵守違反ですよ。

許認可などについて、何故守らないのかの理由が存在する。それらの理由のひとつに、実質的な意味はなく、役所のルーティーンペーパー業務となり、収入印紙税分などが安定収入化していることなどが透けて見えるようなことがある。小さいながらも既得権益の1つだ。だから、誰もその本質など還りみようとしなく、前任者を含め、今までこうしてきたからと惰性で続けているだけだからだ。

ハリウッド映画など、特に国土の広いUSAなどでは、繁華街あたりでも、道路の端に車を停める余裕があるようだ。日本では、ほとんどそのような所は見たことない。約40、50m間隔で、斜め線が入った、駐車禁止標識がある。本当に無駄をなくすのであれば、日本の道路は原則すべて駐車禁止にして、駐車OKの所に標識を立てるほうが、圧倒的に標識の数が減るのではないのか? 標識にせよ、信号機にせよ、道路工事にせよ、定期的メンテナンスなど、既得権益に守られて、税金を使っている部分は多々あるのだろうから、昔の運輸省、現在は国土交通省や、それらにぶら下がっている所、政治家は、そんな事に対する見直しなんぞ考えないだろうけれど。本音を言えば、車検などというシステムも、技術進歩に無関係な、前近代的な法令のために、仕方なく従っていることは、車を利用する側からの偽らざる思いと思う。車検でいい目を見ている人は、いろいろと安全を振りかざしてくるだろうが。要は、仕方なくでも、やらないとメリットが出てこないということについては、いやいやであっても、人間、手続きをしていくもんだ。やってもやらなくても、実質同じということであれば、しない人間が出てきてもおかしくはなく、今回、無認可云々よりも、なんのための認可ということを見直してみたら。統計的なことは何も知らないけれど、日本以上に、道路にガードレールを設置せている外国の名前をあげられないし、信号機の数も世界一ではないのか? これらのことを、ギネスにでも申請してみたら。 ガードレール、信号機だらけになっても、事故はゼロにならないよ。

人間味豊かな、無機質でない環境を目指そうよ。ここぞとばかり、当たり前のことだけ(誰でも言える無難なことだけ)を叫ぶのでなく、もっと心の通じ合う会話をしていこうよ。