現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

読書

2014-03-04 | Weblog

読書2というのをアップしたら、また内容が表示されず、なんで長文を書くとうまくいかないのだろう。文字数とかに制限があるのだろうか?

読書2という記事を書き出すにあたって、熱いミントティの入ったカップを傍らに置いて書き始めた。何か少しでも心をリラックスさせたいと思う気持ちが強く出てきているのだろう。最近、今まで自ら関心を向けることがなかった飲み物、まさにミントティなどは知る由もなかったが、それ以外にもココアなども積極的に試すようになった。また、香りにも多少、気を向けるようになってきたと思う。なんか安らぎ、落ち着きを求めている気がする。

昨日は3月3日、ひなまつりだった。雛人形は早くしまわねば、婚期が遅れると言われたが、それは人形の販売組合が流布した戦略だった。店頭にすぐにでも今度は五月人形を飾りたいために吹聴したとのこと。販売組合自体が認めたとのことゆえ、真実だろう。とはいっても人形に限らず、クリスマスツリーでも我が家ではただ単に片づけるのが億劫がゆえに、結構の長い間、そのままにしている。片づける、片づけないは、ものぐさをやめればいいだけの問題のような気がする。

高校に上がると、「青春の蹉跌」に代表される石川達三をよく読んだものだ。蹉跌の意味が、つまづきと、その時覚えた。覚醒という言葉は、目が覚めるという意味だが、蹉跌や覚醒がなぜか意味を聞いても、ピンとこないのは自分だけだろうか? 「ある愛の詩」の上映も高校時代だ。ライアンオニール、アリーマックグロウ。フランシスレイの音楽。剣道部の奴に刺激されて葉隠入門なる本も読んで、語り合ったものだ。武士道とは死ぬことと見つけたり。鍋島藩が、現在の佐賀県ということもこれから知った。ラジオのパーソナリティの加藤諦三についても、ああじゃこうじゃ言い合った記憶がある。現代国語担当の先生が、よく本の読み聞かせをやってくれた。「ヨーロッパケチョンケチョン」という紀行記が面白かった。あまり話しても信じてもらえないことに、中間期末試験を15教科こなしていたということだ。現代国語、古文、漢文、日本史、世界史、地理、物理、化学、生物、英文法、英作文、数学IIB、数学III、倫理社会、保健体育、音楽などの科目すべてをこなしていた。3年時に、受験科目以外は無視する者も多数いたが、なんとなく、それで失敗するのも余計に頭に来る気がして、まんべんなくすべてをこなした。よかったのか、悪かったのかわからない。

数学の授業もきつかった。この問題解けた奴? 解けてない奴? ノートに「私はアホよ。」と書かされた。それ以上にだめな時は、廊下を1往復走らされた。今、こんな授業はあるのだろうか?

高校3年になると、蛍雪時代(確か、旺文社だったと思うが?)を読むようになったと思う、「高3時代」とネーミングしないところに、ひとつの妙があったと思う。

柴田翔の「されど我らが日々」は何度か繰り返し読んだと思う。映画にもなって、歌手の小川知子が主演していた。立花隆の宇宙観にも惹かれた。倫理の授業の影響かどうか知らないが、キリスト教にも一時ではあるが、研究し始めて、中途半端に終わった。

 

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