現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

大学の同期

2015-07-31 | Weblog

大学で、同じ部活やゼミ生のほぼ全員が、いわゆる一部上場の日本の大企業に就職して、その1社に終身雇用で勤務してきている者達がほとんどだ。彼らと比較すると、自分だけがカヤの外の存在だ。珍種だ。

もう数年前になるが、昔のK製鉄に入社して、今は数ある中のグループ子会社に出されてしまった奴だが、それでも年収1500万円とのことだ。60歳からは、50%になるというが、それでも750万円だ。

JRへの依存度の高い、N電設工業。守衛室を任されているY課長。毎日、これといって何もすることがない。年齢的に60歳近くと思われたが、それでも900万円だとか。確か家族を広島に残しての単身生活の身と記憶しているが。

日本の会社は、時代がどうであれ、無意味な非生産的な残業に縛られる毎日を送らされてしまうが、おそらくそれがあったがこそ、ようやく辞める前になって、世の中の中小企業との差が顕著になってくる。それはそれでいいのだろうが、失われた、というか、ひたすら、何も考えず会社人間だった時間は取り戻せない。まあ、そんな後悔をしているなどと聞いたこともないから、そんなもんだと思っているのだろう。彼らの子供たちのなかには、同じ部の者同士で結婚した者の子供の何人かが、京大へ進んでいたりして、自然にそのようになっていくのかと合点がいくような、いかないような。

大した仕事もこなしていないのに、日本の大企業で長年勤続している者に対しては、大した役職者でなくとも、それなりの大学を出て、周りがおなじような大学出身者ばかりで固められており、そんなにも格差もつけられこともなく、子会社も多く、天下りと同じように、いくらでもポストは用意できるので、それなりの給料を確保する。

それやこれや、すべてのコストが織り交ぜれて、新国立競技場の建設コストになっていく。

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