暫くすると、先ほどまで上がりのお茶を飲んでいた客が帰っていった。店には閉店近くに来た客だけが残った。時間もだいぶ経過し、周りの店もそろそろ店じまいを始めていた。しかし、親仁はそんなことを一向に気にする様子もなく、平然とした態度で黙々と最後の一人となったその客の相手をしていた。客もまた、時間などお構いなく自分の間合いでのんびりと酒を飲んでいた。店の中は親仁とその客の二人だけとなり、殆んど会話の伴わない傍目には一見無愛想とも思えるような雰囲気が漂っていた。確かにこれといって表現したくなるような光景がそこにあるわけでもなく、ただ、薄暗い照明が無口な二人の男を照らしているだけであった。
杯に酒を注ぐ客の徳利の傾きが水平になってきた。酒もあと僅かなようだ。親仁は客にそっと声をかけた。
「握るか---」
客は、頬杖をつきながらその言葉を聞くと、暫く黙っていた。徳利に残っていた酒を最後の一滴まで杯に注ぎ終えると、漸く口を開いた。
「そうさな--、握ってもらおうか」
客は、もう少し飲みたかったようだが親仁の言葉には異議を唱えない。親仁はその言葉を聞くとカウンターを挟んで客と相対するつけ場に立ち、右手をさっとシャリ櫃に伸ばした。4本の指を少し丸め、指の先で鮨飯を掬うように取り上げると、指をさらに丸め、手のひらとの間で鮨飯を転がしはじめた。何度か転がした後、手のひらを丸めた左手に鮨飯を移し、右手の人差し指と中指で鮨飯を軽く押さえ形を整えた。そして、鮨ネタを上に載せ、指で再び軽く押さえると、仕上げた2貫の鮨を客の前に出した。鮨ネタは白身で、鯛であった。客は、差し出された鮨の一つを親指と3本の指で軽く掴むと、自分で卸した山葵を鮨ネタの上に載せ、鮨の端に少しばかりの醤油をつけ口に運んだ。客はゆっくりと口を動かし、鯛の味を確かめるように目を閉じたまま味わっていた。そのうち幾度となく首を立てに振ったかと思うと、口を動かすこともなく暫し静かなときを楽しんでいた。客が1貫食べ終えると、親仁は茶を出した。客は茶を啜りながら2貫目の鮨に手を付けた。親仁は客の食べ進む様子を見ながらゆっくりと次の握りに取りかかった。
客が2貫目も食べ終え、軽くお茶を飲み終えると同時に赤身の握りを出してきた。客は親仁に何も注文していないが、親仁は、既に客から注文を受けたかのように納得ずくの顔をして鮨を客の前に出した。
鮨を握り、鮨を出すタイミングが実にいい。客が鮨を食べ終え、お茶を飲み、そして、さあ、次の鮨を、と思って手を動かした先に、今握り終えたばかりの鮨が用意されている。客はこの何とも言えない絶妙の間合いが堪らなく好きだ。勿論鮨は美味い。その美味さをさらに引き立てるのがこの間合いである。そして、当然のことながら親仁の対応と素振り、それを含めた店全体の雰囲気がなお一層鮨の美味さを引き立てているのである。
鮨「素十」に来る客の殆んどは、鮨の美味さを引き出すこの雰囲気をこよなく愛し、それを楽しみにここへやってくるのである。
鮨が美味いということは、単に鮨飯や鮨ネタがいいということだけではない。素材も味もよい鮨をさらに美味く引き立てるのは、鮨を握る職人の技能はもとより、客に対応するプロの板前としての感性である。多分、親仁も客も、暗黙のうちにこんなことを心の底に共有していたに違いないと確信させられた一瞬であった。
赤身の鮨は勿論マグロである。客が赤身を食べ終えると、親仁は鯖の酢締めを握った。これもまた、客の注文も聞かずに、親仁が勝手に握ったものだった。また、客も一言も言わずに親仁が握った鮨を黙々と食べていた。
親仁は鮨を勝手に握り、客はそれを黙って食べる。ただそれだけのことしかない、それがすべての鮨屋であった。しかし、そこには親仁の研ぎ澄まされた感性とそれを求める客の気持ちとが見事に調和し、語らずとも心の通じ合う、そんな暗黙の世界を見たような気がした。
「これも親仁が拘ることの一つか---」、庄は、ふと思った。
それは確かに、ある意味で洗練された心の世界の一つといってもおかしくないものといえるかもしれない。
そういえば-----、
杯に酒を注ぐ客の徳利の傾きが水平になってきた。酒もあと僅かなようだ。親仁は客にそっと声をかけた。
「握るか---」
客は、頬杖をつきながらその言葉を聞くと、暫く黙っていた。徳利に残っていた酒を最後の一滴まで杯に注ぎ終えると、漸く口を開いた。
「そうさな--、握ってもらおうか」
客は、もう少し飲みたかったようだが親仁の言葉には異議を唱えない。親仁はその言葉を聞くとカウンターを挟んで客と相対するつけ場に立ち、右手をさっとシャリ櫃に伸ばした。4本の指を少し丸め、指の先で鮨飯を掬うように取り上げると、指をさらに丸め、手のひらとの間で鮨飯を転がしはじめた。何度か転がした後、手のひらを丸めた左手に鮨飯を移し、右手の人差し指と中指で鮨飯を軽く押さえ形を整えた。そして、鮨ネタを上に載せ、指で再び軽く押さえると、仕上げた2貫の鮨を客の前に出した。鮨ネタは白身で、鯛であった。客は、差し出された鮨の一つを親指と3本の指で軽く掴むと、自分で卸した山葵を鮨ネタの上に載せ、鮨の端に少しばかりの醤油をつけ口に運んだ。客はゆっくりと口を動かし、鯛の味を確かめるように目を閉じたまま味わっていた。そのうち幾度となく首を立てに振ったかと思うと、口を動かすこともなく暫し静かなときを楽しんでいた。客が1貫食べ終えると、親仁は茶を出した。客は茶を啜りながら2貫目の鮨に手を付けた。親仁は客の食べ進む様子を見ながらゆっくりと次の握りに取りかかった。
客が2貫目も食べ終え、軽くお茶を飲み終えると同時に赤身の握りを出してきた。客は親仁に何も注文していないが、親仁は、既に客から注文を受けたかのように納得ずくの顔をして鮨を客の前に出した。
鮨を握り、鮨を出すタイミングが実にいい。客が鮨を食べ終え、お茶を飲み、そして、さあ、次の鮨を、と思って手を動かした先に、今握り終えたばかりの鮨が用意されている。客はこの何とも言えない絶妙の間合いが堪らなく好きだ。勿論鮨は美味い。その美味さをさらに引き立てるのがこの間合いである。そして、当然のことながら親仁の対応と素振り、それを含めた店全体の雰囲気がなお一層鮨の美味さを引き立てているのである。
鮨「素十」に来る客の殆んどは、鮨の美味さを引き出すこの雰囲気をこよなく愛し、それを楽しみにここへやってくるのである。
鮨が美味いということは、単に鮨飯や鮨ネタがいいということだけではない。素材も味もよい鮨をさらに美味く引き立てるのは、鮨を握る職人の技能はもとより、客に対応するプロの板前としての感性である。多分、親仁も客も、暗黙のうちにこんなことを心の底に共有していたに違いないと確信させられた一瞬であった。
赤身の鮨は勿論マグロである。客が赤身を食べ終えると、親仁は鯖の酢締めを握った。これもまた、客の注文も聞かずに、親仁が勝手に握ったものだった。また、客も一言も言わずに親仁が握った鮨を黙々と食べていた。
親仁は鮨を勝手に握り、客はそれを黙って食べる。ただそれだけのことしかない、それがすべての鮨屋であった。しかし、そこには親仁の研ぎ澄まされた感性とそれを求める客の気持ちとが見事に調和し、語らずとも心の通じ合う、そんな暗黙の世界を見たような気がした。
「これも親仁が拘ることの一つか---」、庄は、ふと思った。
それは確かに、ある意味で洗練された心の世界の一つといってもおかしくないものといえるかもしれない。
そういえば-----、