和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

法旗(四十)小説「新 ・人間革命」

2013年01月21日 09時36分43秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)1月21日(月)より転載】


o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪


法旗40(1/18)
 一九六三年(昭和三十八年)十一月、愛媛県初の会館として松山会館が完成し、会長・山本伸一が出席して、落成入仏式が行われた折のことである。

 その席で伸一は、学会の会館は、「人材をつくる城」であり、「民衆救済の城」であり、「慈悲の城」であると力説。

「どうか、皆さんは、“一切の民衆を救うのだ! この松山の広宣流布をするのだ!”との決意で立ち上がってください」と、訴えたのである。

 そして、帰り際には、参加者と握手を交わした。
そのなかに、入会一年の羽生直一もいた。伸一は、羽生の手を、強く握り締め、じっと目を見つめて言った。

 「松山を頼みます!」

 羽生は、ぎゅっと握り返しながら、無我夢中でこたえていた。

 「はい! 頑張ります」

 彼は、強く心に誓った。

 
 “俺は、山本先生に誓った。
人間と人間の約束をしたんだ。
あの言葉を、その場限りのものとして終わらせては、絶対にならない。
松山の広宣流布の責任をもつのだ!”

 それを、わが信念とし、努力に努力を重ねた。
妻のみさ子と共に、草創の地区部長、地区担当員や支部長、支部婦人部長などを歴任していった。
彼らは自分たちのことより、「広宣流布第一」「松山第一」と決めていた。
広布こそ、わが人生と決めた時、人生は開花する。

 地域に会場がなくて、皆が困っていることに気づくと、当時、呉服店の二階にあった自宅を会場に提供した。
会合に集ってくる人は、呉服店の玄関を使うことになる。

 ある時、店に税務署員が調査に来た。
ひっきりなしに客が出入りしていると聞き、“申告している以上の、莫大な儲けがあるのではないか”と思ったようだ。


 羽生直一が帳簿を見せようとすると、税務署員は、「いや、結構です」と言って帰っていった。
人の出入りは激しいが、皆、二階に上がり、帰る時も荷物が増えていない。
訪問者は、会合参加者とわかったのだ。


∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪…★…κ…∞…♪



最新の画像もっと見る

コメントを投稿