和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年09月18日 11時23分02秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月18日(金)より転載】

【勝利島50】

 各島々では、地域の繁栄のために、さまざまな催しも行われた。

 長崎県・五島列島の福江島をはじめ、対馬や壱岐、鹿児島県の沖永良部島などでは、学会員が中心となって、島ぐるみのフェスティバル等が開催されていった。メンバーは、島に受け継がれてきた郷土の歌や踊り、伝統文化の保存、継承にも力を注いだ。

 また、学会員の多くが、島や集落のさまざまな仕事を積極的に引き受け、責任を担いながら、島民のために献身した。

 学会員が島に貢献する姿を通して、島民は創価学会の実像を知り、学会への理解を深めていったのである。法を体現するのは人であり、人の振る舞いが広布伸展のカギとなる。

 学会への偏見や誤解から、迫害の嵐が吹き荒れた地域でも、学会員への信頼は不動のものとなり、「非難」は「賞讃」へと変わっていった。各島の同志は、広宣流布への決意を、いよいよ燃え上がらせたのである。

 かつて学会員が村八分にされ、車やオートバイを連ねて「学会撲滅」を叫ぶデモが行われた奄美大島でも、学会理解は大きく進んでいた。

 一九七六年(昭和五十一年)六月二十一日、山本伸一のもとへ、「奄美広布決議」と題する一文が届けられた。奄美群島の同志は、伸一が奄美総支部結成大会に出席した六三年(同三十八年)六月二十二日を記念して、6・22を「奄美の日」とした。決議は、その新出発の総ブロック(後の支部)総会等を開催するにあたり、採択したものであるという。

 「一、奄美創価学会は、どこまでも異体同心にして朗々たる勤行と唱題を実践し、宿命的惰弱な生命を打ち破り、奄美の島々から苦悩の二字を抹消していく。

 一、奄美創価学会は、利他の実践に全魂を傾け、慈悲の雄弁をもって、力強く運動を展開する。

 一、奄美創価学会は、会長の数々の指針を胸奥にきざみ、御書運動と人間革命運動をもって、師弟共戦の戦いを固く誓う」






   

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