東日本大震災の発生から5年を迎えました。
その日の事は鮮明に覚えています。
出先で我が家より遠く離れた街で遭遇しました。
この震災によりかけがえのない多くの人の命を奪い生活を一変させました。
未だに行方不明の方々が沢山おられる。
街は変わりつつも残された家族は亡き人を想い祈りが続く。
朝からテレビでその日の地獄の光景が写し出されている。
整形外科にリハビリに出かける為に駅に着くと丁度2時46分に
なろうとしていた。
駅のアナウンスで「みなさん地震の起きた時刻です一分間の
黙とうを捧げましょうと。」
ホームに立ちながら私はその場で静かに黙とうしご冥福を祈った。
早く暖かな春が待ち遠しい。
レイジさんもご家族も別の場所にて遭遇でしたか?
ご自宅も被害が無くて良かったね。
私は道路に座り込み生きた心地がしなかった。
お嬢様、振袖着れなかったのは残念でした。
数年たちだんだんと防災用品が消えている
我が家です。
また我が家も備えなくては、あの時スーパーから
色々な商品が消えたことを思いだしてね。
何時も有難うレイジさん。
月日の経過と共に何事もなかったように
時間だけ空しく過ぎます。
あの日の事は風化させてはいけませんね。
気持ちだけで何も出来ない空しいですね。
多くの問題が解決されることを祈ります。
頑張って欲しいですね。
あの日は、娘が次の日卒業式だったので、新宿の伊勢丹美容室にレンタルした振袖を届けに行って、次に都庁で、自分の運転免許の更新をして帰宅しました。まだ、お昼を食べていなかった息子と、近くのガストに行きランチして、私はトイレに。その時に地震が有りました。私は、眩暈がしたかな?と思って、席に戻るとまわりの人がキャーキャー言ってました。直ぐに帰宅。自宅は被害無しでした。でも、都内にいた主人と娘はその日に帰れず、翌日帰宅しました。娘の卒業式は次の週に延期になり、服装もスーツと言う事になりました。いまでも、娘は卒業式に振袖が着たかったと言っています。でも、東北の被害を思うと、そんな事は言えませんね。首都圏直下型地震が30年以内に70パーセントあるそうです。備えておかないといけませんね。
さようならも言えないまま死別してしまったり行方不明になった人達が・・・繋がらない黒電話で話したい人と話されていました。
返事の帰ってこない電話でも、語りかけたいという気持ち・・・切なく悲しかったです。
でも、負けないように必死で前を向こうとされてる方々。。頑張って欲しいです