あるがままに生きる日々とは!

老いに向かい美しく歳を重ねたいと思う!
何事にも意欲的に挑戦したい!老いに負けるものかーと叫びたい!

母が恋しい!

2009-08-11 19:17:55 | 想い

明日からやっと夏休みに入る

娘と二人で明日から日曜日まで関西に

心なしか今ひとつ気持ちが盛り上がらない

関西は私の第二の故郷

母が健在で施設に入所していても逢いに出かけると

ホールのテーブルで皆と座ってお互いに語らうすべもなくした

入所者達、何を考えて毎日生きているのかと

ただ呆然と座っているだけ

それでも母は最期まで自分を無くしつつも娘の私は

分かるようでエレベーターから降りて母の元に駆け寄ると

無表情ながらも私の元に駆け寄ってきた。

面会のたびに遠のく母の記憶、現実を受け止め

幼子のようになった母の手に甘いものが大好きな母に

お饅頭を差し出すと無心に食べもう一つ下さいという

元気だった母の身体に変化が現われ始めた。父亡き後直ぐに

母も歳を重ねるにつれ夫を見送り

やっと自分の自由な時間を得た矢先足腰悪く

車椅子でないと外出もままならなくなった。

その様な母であっても気丈な人だっただけに

一生懸命に前向きに家の中では手すりを持ちながら

歩き日常生活は何とかこなし一生懸命に明日を考え

明日に備える生活を自分なりに考えて努力を惜しまない

立派な精神力を持つ母であった。

母も認知症と言われてから休息に悪くなった。

母の介護をする日がいざ目の前に現実として突きつけられて

何をどうすべきかとただおろおろし真剣に母の病気と

向き合わないとと考える日々であった。

そのときから神奈川県と関西との遠距離介護が始まった。

その母も昨年の6月に肺炎を患い施設から病院に入院して

93歳の壮絶な人生を閉じた。

昨日と何の変わりもない今日なのに心の奥に

痛みと哀しみを覚える

今の私なら心に余裕も出来て母にもっと優しい言葉で語りかけ

叱ったりはしなかったのに 御免なさいね

一緒に暮らした日々に感謝し天国の母に産んでくれた御礼を

心より云いたい。「お母さん有難う」

色々な思いを抱いて明日娘と関西に向かいます



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6 コメント

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お盆ですものね。。 (そよ風)
2009-08-11 20:18:21
お盆を迎え・・・亡き母への思いは募りますね。。。
母あっての自分って事を、ひしひしと感じます
苦労して呉れたんだろうな~~悲しい事もあったろうな~~

でも、愉しい事もいっぱい、嬉しい事も
そう思う事にします

いつまでも私の中では、生きてますよ
うさぎ年の母でした。。。。。
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そよ風さん (トッシーさん)
2009-08-11 20:55:07
幾つになってもあの母の温もりは
忘れる事はないですね

そよ風さんの言われるとおり母合っての
自分ですものね

お盆を迎えるにあたり今一度亡き母を
偲び供養してきます。
何時も温かいコメント有難うそよ風さん
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Unknown (dekochin)
2009-08-11 21:34:30
私も時折、切ないくらいに母を恋しく思う
事があります...
自分の娘と同じ年の頃、私が娘に貰っているような
優しい言葉や労わりの態度をとっていただろうか?
自分が幸せだと思うような事を
母に何かできただろうか?と自問自答しています。
そっか...そよ風さんもおっしゃっている通り
お盆だから亡くなった母が恋しくなるんですね
今なら、父にも母にもうんと優しく出来るのに...
でも、これが人生の順番ですよね
トッシーさんのお母様、最後の最後まで
ご自分の人生を生き抜かれたのですね
きっと見守っておられますよ!
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Unknown (てん)
2009-08-11 21:41:56
お母様は立派な方だったのですね
心根の優しいトッシーさんは、お母様に対して精一杯頑張られたのでは?と思います。
私も見習わなければ…
私のブログで心が荒れてると感じたら どうか『喝』をお願いしますm(_ _)m
お盆…お母様と心で沢山語り合ってきてくださいね
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dekochinさん (トッシーさん)
2009-08-11 23:08:30
今晩は、今日も一日無常に日々が流れ
やはりお盆の帰省ということから

待つ人がいなくなったことへの
寂しさなんでしょうか

皆さん幾つになってもやはり母や父は恋しく
なるもんですね

後悔仕切りの私です。
母と向き合い私は気性がきついと

母が泣いたことがありました。
それだけに後悔の念が強いのでしょうね


亡くしてみて初めて知る親の恩ですよ
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てんさん (トッシーさん)
2009-08-11 23:20:19
お優しいコメントに心揺れ動きますよ

母は気丈で父を施設に入れる事無く
14年間自宅にて父を看取りました。

その介護の間に母は大腸がんに~
そのとき姉と私が父を看ていました。

その後、母の退院を待っていたかのように姉は
倒れ54歳の若さでこの世をあっけなく

二人の子供を残し急いで逝ってしまいました。

その様な境遇の中でも一生懸命に
父に尽くし一人で最期まで介護していました。

疲れが出たのか父を見送った安堵感からか
心の中に隙間が~~

アルツハイマーでした。
最期の頃は可愛い子供のような母に

なっていました。

イライラしては私は病気なんだと判っていながらももどかしげさに叱ってばかりしていました。

鬼のようだったんでしょうね。
でもそんな私を見て母は「あめちゃん上げようか~」と

御免なさい、勝手に色々と書いてしまって

お墓参りしてお詫びしてきます。
本当は「お母さんが一番好きだった」
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