あるがままに生きる日々とは!

老いに向かい美しく歳を重ねたいと思う!
何事にも意欲的に挑戦したい!老いに負けるものかーと叫びたい!

新幹線の中より!

2008-07-02 17:49:01 | 携帯電話からの投稿
6月28日午後9時1分母は永眠致しました。家族に見守られる事も出来ずに先生や看護婦さん達に見守られての旅立ちでした。病院から弟に電話有り直ぐに妻と二人で駆け付けてくれましたが何せ乗り継ぎ悪く遠方でも有り間に合わなかった。既に母は身体を綺麗にして頂き霊安室に眠っていたと。私は弟の電話を受けて覚悟は出来ていたとは言えオロオロ連絡を受けてもそんな時間母がまだ息の有る内に家を飛び出しても新幹線も新大阪まで行く列車もすでになくただひたすら母の最期が苦しまず穏やかに旅立ってくれる事を祈ることしか出来なかった。先月姑の35日に帰省の折りに逢ったのが最後となった。 あの時は既に意識無く昏睡状態が続き終末の近い事を認めなければならない状況のなか手を握り締め腕をさすってやり〔お母さん良く頑張っているね〕と意識無い母に言葉をかけたが何の反応なく悲しい想いで病院を後にした。それが母との最後となった。母の意思でも有り家族葬で静かに質素に送って欲しいとの希望通り子供とその孫達と母の兄妹親戚一部のこじんまりした家族葬を無事に済ます事が出来て私や弟はホットしている。昨日は三年近
くお世話になった施設に母の身の回りの品々を引き取りに出かけた。既に荷物は綺麗に箱詰めされ一階に下ろされ退所の為の事務的な書類を書き施設を後にした。もう一度母のいたお部屋にと思ったがかえってもうこの世に存在しない母の部屋を見て悲しみが込み上げ涙が溢れるのが分かっていたので。不思議な事にたんたんとした気持ちであった。今はまだ母の死に対して受容出来ずにいるのです。父亡き後母は亡くなるまでの七年近くを自分を見失いながらもよく寂しい!寂しい!と口癖の様に言って回りをどれだけ振り回し自己中心になり迷惑を掛けたか不安な気持がストレスとなり子供達へに対して甘えとなり自分自身の変化に環境に心が順応していかなくなった。母はその時を境に身体と心の挫折を感じたのを私が分からなかった。認知症になり最期は子供の様になってしまった母。今私は母の人生を振り返りもうすこし違った対処の仕方が有ったのかなと自問自答している。数え年で94歳の旅立ちであった。私も死別の悲しみは癒されないが母は大往生と想う。聡明でしっかり者の母に近付ける様に自分に自信を持って毅然とゆうゆうとこれからの人生を生きて行きたい
がこれも自分の心の持ち様かな。関西を列車が離れる時に今度関西に帰省しても母はもういない現実に戻り哀しみが沸く。さょうなら愛する母よ。ご冥福を祈る!

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