千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

羽柴筑前の守秀吉

前々から気になっとったこと・・・・・
「与は羽柴筑前の守(かみ)秀吉じゃ~」

羽柴は丹羽長秀と柴田勝家にゴマすって
貰い受けたとは知っとうばってん
「筑前の守」ちゃ~何かいなて
疑問に思いよりました。

筑前てここ福岡のことばってん、
秀吉が福岡(当時はまだ筑前)ば治めとった
事実はありまっせん。
のちの小早川、黒田は有名ですばってんが・・
もともと福岡の城は今の新宮町立花山の
立花城が大友の出城で筑前国ば見張っとりました。
小早川はそこぃ入らず名島城ば建立
黒田はまた地の利にあった現在の舞鶴の黒田城ば作ります。

太閤町割りはまだ後のことで九州入りは
大友氏の依頼で九州ば平定して
いわば島津ば打ち負かしただけで
領主になったわけやありません

いろいろ調べよったら見つかった!
ネットは現代の図書館やねぇ・・

「~守」というのは数ある官位のうちの一つで
十位から一位まであって、それぞれの位は正と従によって
「正五位」「従五位」のように分かれとったげな。
さらに、正と従はそれぞれ上と下からなり、
たとえば「正五位上(官位名)」という風にして表すて。
「~守」は筑前だけでなく、当時の国、全部の数だけあったらしい。
 官位ていうとは大名が朝廷から拝領するもので、
持っとうだけで権限のようなものは無いばってんが、
要するに格好がつくわけたい。
複数の官位ば拝領した場合、大名本人は最上位の官位を名乗るけん、
下位の官位は家臣に褒美としてやることができるというわけ。

秀吉もこの類(信長に褒美でもろうた)と思われます。
ただ大名の中には、朝廷から認めらとらんとぃ、
その大名家中のみで勝手に官位ば家臣に名乗らせることもあったごたって
偽者も多かったごたぁです。
最後に、最上位、正一位征夷大将軍に任ぜられると、
晴れて幕府を開くことができるとですが、当時、戦国時代には
「源平交代思想」というとがあり、源氏と平氏が交代で天下をとる
て考えられとりました。
源頼朝(源)→北条氏(平)→足利氏(源)と天下が動いて、
次に天下に最も近かった信長は平氏ば名乗りました。
源氏の足利氏の次に天下をとるには平氏である必要性があったわけたい。
(この源氏、平氏というともほとんどの大名が眉唾もんです。
途中で勝手に名乗るとがほとんど。)
 ところが信長が突然死んでしもうた。
事実上跡ば継いだ秀吉は順番から見て、源氏ば名乗るべきやったとですが、
間違うて平氏ば名乗ってしまいました。
結果、朝廷から拝領した官位は「太閤」です。
やけん秀吉は幕府ば開けんかったとです。
その後源氏を名乗った家康が幕府ば開き、
260年に渡る徳川の時代を築いたのは周知のことです。

今年のおいしゃんブログは格式の高かバイ・・
太閤町割りて言うたっちゃ秀吉はなんもしとらんけんね
子分の「石田光成」に任せたとは周知の事実。
石田光成もどげんして良いかわからず
神屋宗湛の妻の兄で「玄蘇」ていう(後に聖福寺住職西道)
人に頼んだけん七条の袈裟のごと
縦四筋、横三筋の町に仕上がったてことです。
縦四筋は市小路(大博通り)土居筋、東町筋、西町筋
横筋は博多本通り(橋口~官内今の昭和通り)と
その南に魚ノ町線(西門~川口町今の西門蒲鉾の前の横筋)
北に、横町線(中対馬小路~横町今の横町筋)で
七条の町割ば完成させました。

神屋宗湛は旧奈良屋小学校の校歌にも出てきます。
「偲べ歴史の宗湛の~♪」ですバイ

古ノ一の役員はちゃんとこの辺のこと
勉強しときなさい。


この人はまた違う羽柴秀吉さん・・
この人家の敷地内にミサイルの張りぼて作っとうげな
それがNASAの衛星写真に写って
自衛隊が調べに来たらしい・・・

官の汚職やら無い「天下不武」ば
安倍さんなできるやろうか?

日本はあの頃より
「変な国になりよらせんかいな?」
おいしゃんな腹立てながらも
心配しよります・・・・・・

民が丹精こめて収めた年貢ば
官(武士)は平気で無駄遣いしよらせんかいなと

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