一気見しよります(^^♪
真田太平記・利家とまつ・おんな城主直虎・徳川家康・・
ドラマとしては真田太平記がやっぱ一番面白い。
これは戦国や無かばってんが面白かったとが篤姫。
考えたら当たり前やばってんが歴史はぜ~んぶ繋がっとるていうこと。
戦国の世から国内の統治に合わせて
外国からの我が国への侵略にも目ば向けとったみたいです。
いろんな角度でとらえる歴史ドラマ
どれもフィクションの脚本が面白おかしく
練りこまれとりそれぞれに面白かです・・・
それに歴史学者さんたちの歴史の真実の考察ば
照らし合わせたらもっと面白かとです(^^♪
ぜ~んぶ作り事、フィクションの壮大な歴史ドラマにも
日本がたどった真の歴史が垣間見えてくるとです。
今まで秀吉やら信長・光秀に興味があって
実はおいしゃん家康にはあんまし興味の無かったばってんが
ここにきて家康に興味がわいてきました。
ばってんが今回の「どうする家康」はやっぱりあんまり
面白うないです。
ばってんが学者さんに言わせたら時代考証は天下一品らしいです。
家康と言えば運と家臣に恵まれたとが一番・・・・
そして信長との縁
最後まで信長の家臣ではありません・・・
親族・同盟者として同等の立ち位置であり隙あらば
天下ば狙っとったとは言うまでも無かごたります。
本能寺の直前、信長は家康ば接待しとります。
その饗応役が光秀です。この饗応役の不首尾で信長は激怒!
て歴史のフィクションやばってんが実はこれも
光秀と信長の狂言って説もあります。
秀吉が信長に花持たせるおべっかで中国攻めの総仕上げに
信長の応援ば頼んだっちゃばってんが実はこれには
光秀も家康も同行する予定やったって言われます。
信長は旧知の旧敵、家康ばこれば期に葬る算段やったて言う説。
これば知ってか知らずか?家康は信長が京入りする直前に
堺に出向きます。目的は鉄砲の大量仕入れ。
ところが京には3日しか滞在せず京入りした信長に
挨拶もせんで伊賀越えして岡崎に戻るとですよ。
その途中、京での本能寺の変ば聞いて取って返した
本多平八郎忠勝に聞いてわずか3日で岡崎に戻ったとです。
この時、伊賀越えば算段したとが伊賀衆でこの時まだ
服部半蔵はおりません。
銭金で動く伊賀衆ば信長は信用できず嫌うており撃ち払えて命じとったばってんが
家康は伊賀衆ば安堵したとです。
その恩あって家康は馬と船ば利用して岡崎に戻りました。
そこですぐに兵ば出さんで機を見たとは秀吉の動向ば
みよったとかも知れません。
光秀・家康・秀吉の関連は永遠に歴史の謎で
どげな策略があったかはわかりません。
歴史学者は残された信頼度の高い文献・資料から歴史ば考えます。
そしてそこから想像したとが今の日本の歴史です。
それにしても家康は大したもんですって・・
天下とったっちゃけん凄いとは凄いっちゃばってんが
一にも二にも岡崎時代からの優れた家臣団に恵まれた結果です。
そして当時日本の中心やった京、尾張から遠く離れた
武蔵の国に世界にまれな一大都市ば作り上げたとは凄かです。
世にいう関東の連れしょんべんからが始まりですね・・
歴史に「もし」はないっちゃばってんが
信長が生きとったら?
西欧諸国と並び日本はアジアに一大帝国ば作り上げとったかも?
実際、歴史学者がシュミレーションしたちょっと前のTV番組では
当時日本は世界最強の軍事力持っとって世界征服も夢じゃなかったて
考察しとるくらいです。
やっぱ歴は面白かですね
チャンチャン
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