千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

立春にあれこれ・・

週末、いつものレスキューに伺った先・・・

以前川端で「それいゆ」ていう雑貨屋さんばしよった来嶋さん宅へ・・

おいしゃん若いころていうか学生の頃、ここのお店の裏ば借りて
アクセサリーやらば作って売りよった縁から未だにお付き合いのある来嶋さんです。

来嶋さんな今でも川端町から参加されよります。
この方、川端町の来賓及びオークラ社長の「ヘコ」係です。

そこで昔懐かしか写真ば頂きました。

まだ川端の再開発前の頃です。
昭和58年 (1983年)当番は寿通り



左肩、鼻どり「春口さん」若いです。
台上がりは来嶋さんと一平さん。

流舁川端区域内、三番棒に高田ネームの「高田さん」
二番棒には「樋口さん」が入っております。

昭和50年代、今のごと山笠人気が無いころ舁き手も非常に少なか時代です。
朝山の見送りやらはガラガラで
中学生がぶら下がるごとして山につきよった時代。
今やったら即はねられろうばってんそれだけこどもたちにゃあ良か時代やったかもしれまっせん。
今のごと子供山やら無か時代やけん
そげな時に実戦の腕ば磨くチャンスのあったとですね。

おいしゃんの子供時代も例にたがわず・・・
当時は追山コースも表三番棒やらは空きのあって
まだ肩叩いてたたきだすとば仕切らんやったけんが
空きのある三番棒に入り込んで練習したもんやった。

おいしゃんなどこさいおるか?

アップの写真



うら若き好青年です。赤てのごいです。

一昨年まで役員しよったこと考えれば人生の半分以上、山の役員しよった勘定になります。

この頃は27歳、この歳の10月に独身からおさらばしとりますもんね。

このお話はここまで・・・・
一応「古ノ一」のホームページのブログやけんたまに山の話もしとかなですけんね。

さてさて・・・つい2~3日前までポカポカ陽気・・

日曜日の朝の西区でのもよう
気温が上がり一寸先も見えん霧です。




こちらは明けて月曜日のお昼休みの東公園のスナップ。



温かい陽気の中カラスが食べ残しの容器ば器用にくちばしでつっつき割って
残り物ばアサリよります。

この日のおいしゃんのお昼です。ごりょんが持たせてくれたお惣菜



何とあるまじき沢庵が三切れ入っとります。

付け合わせの沢庵は二切れて決まっとります。ゆらりんでもそげんしよりました。

戦国時代以後の武士は帯刀しとうて言うてもめったやたらに抜き身ば抜くことはありまっせん。
殿中で切羽ば切って刀抜いたげんたい
「殿中でござる、殿中でござる」

挙句の果てにお家断絶、浅野家のごとなります。

一切れは「人切れ」三切れは「身切れ(切腹)」ば意味し縁起の悪いかて言われますったい。

そげなことば考えながらもやっぱ沢庵の多かとは得した気分のおいしゃん。

翌日は節分です。今年はお櫛田さんの「節分大祭」には行けんかったばってん

お袋からおそえてもらうた節分の朝の「若水とり」
節分の朝、一番の水ば組んで置いたげんたい1年火災よけていわれ
未だに節分の朝はかかしません。



節分の翌日は親父の命日です。
前の晩、病院のベットで豆まきした翌日の朝、親父は旅立って行きました。

おふくろも弥生の頃、誕生日ば迎えたあとすぐに旅立っていきました。

春は何でも新しい切り替えの時期

寒か時期ばもうちょっと我慢したらまた活動的な博多の一年が始まります。

今日は「立春」

ばってんえらい寒か立春ば迎えましたですね

さぶっ!





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