食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、カンボジア』

2014年01月31日 18時53分36秒 | 旅行

 

私の思うカンボジアは映画『キリング・フィールズ』で観た残酷な内戦のイメージで、幼い

時に観た『ビルマの竪琴』と重なっていた。ポルポト政権が倒れ国の再建をするにしても、

自国だけでは立ち行かず各国からの援助によって進められてきた。首都プノンペンと地

方都市の開発格差は大きく貧しさはあるものの、平和の世の中で安心して暮らせることに

人々は満足していると思う。

 

アンコールワットはカンボジアにあることは知っていたが、地名は知らず地図のどの辺りに

あるのかも知らなかった。テレビのドキュメンタリー番組でカンボジア内戦の時、御多分に

漏れずアンコールワットも戦場になり、古い映像に像の陰から鉄砲を撃っている姿があった。

 

こうしたことが切っ掛けになりアンコールワットに出かけてみたいと思うようになった処に、米

子発のツアー募集があり参加することになった。遺跡のことについて殆ど知識はないから、

ガイドブックを3冊も購入して、ツアーで行く遺跡について調べたが、名前が長く読み慣れ

ない地名が多く、覚えるまでいかないが何とかイメージ付けすることはできた。

 

カンボジアへの入国にはビザが必要とされ入手方法は3つある。カンボジア到着時に空港で

申請する、旅行会社に代行して取得する、自分でカンボジア大使館に申請する。旅行会社

に依頼すると1万円くらい、自分で申請すると5000円くらい、空港で取得も5000円くらいの費

用がかかる。カンボジアにはe-VISAというシステムがあり、本国外務省のHPから申請すること

ができる。ここでの手続は申請書に記載、写真の送付、クレジットカードでの支払いを済ませる

と、メールで申請書受理の確認書を送って来るので、それとパスポートを日本のカンボジア大

使館に送ると、パスポート内にビザを貼りつけて返送してくれる。2回目に申請した時は、申請

手続きを済ませるとメールでビザを送ってくるので自分で印刷しパスポートに貼りつければよく

なった。話では到着後空港で申請の場合、比較的短時間で発行されるとのことだった。

 


『歌手の昨今』

2014年01月31日 18時52分29秒 | 日記

私たちの時代はラジオ放送からテレビ放送に切り替わる過程を経験している。ラジオの時

代は声だけしか聴かないから、どのような容姿をしているのか知るには雑誌とか新聞に載

っていなければ判らなかった。

歌手の場合、職業は歌を歌う事だから最低条件として唄が上手でなければ歌手にはなれ

なかった。だから昔の歌手は皆、上手で『さすが歌手』と言わせたものだ。声で勝負の世界

だから器量が多少悪くても歌手になることを妨げる要因は何もなかった。

時代がテレビになってくると歌唱力とともに容姿も要求されるようになり、所謂美形も歌手の

条件として加えられてきた。天は二物を与えず、この諺はこの辺りから崩れ始めてしまった。

時代は移り変わり、歌手は歌が下手でも売り出し方で唄が売れる時代になったから、素人芸

でも歌手として成り立つようになってしまった。ブレークさせることのプロが英知を絞って歌手

を作り上げていく時代が今だ。

また、子供たちの将来の夢はとの問いに『歌手、タレント』などは普通に出てくる答えだ。歌手

と素人との垣根はすっかり取り外され、何かのきっかけさえあれば誰でも、その夢を叶えること

ができるかもしれないのだ。夢よりも、もっと現実に近い望と言うべきか。

全ての歌手が下手と言っているのではない。先程の素人芸もどきを除く歌手のレベルは昔より

も数段も高くなっていると思う。特にバンドの演奏は比較にならないほどで昔、流行ったグルー

プサウンズと比べてみればよく分かる。この例のように上達したものがあればハードルが下がっ

たためになった歌手もある。

下手なものは聞かなければいいだけのことだが、一言居士は物申す。

天は二物を与えずのついで話。

民放の女子アナの多くは学力ではなく容姿だけで採用されているのと等しいから言外だが、コメ

ンテーターで出演する女性、その道のプロでバリバリなのに皆そろって美形ばかりだ。美人だけ

でコメンテーターを務める時代は過去の事、この世界だけかと思ったら大間違い。スポーツでも

音楽家でも宇宙飛行士までもが才女+美形が主流。

羨ましいの一言に尽きる。天は二物を与えず、現代では死語になってしまった諺だ。


『回想旅行記、Belindaのこと』

2014年01月30日 18時16分00秒 | 旅行

私たちの家にホームステーした子供は日本式で言うと小学校5年生、少し丸い顔をして

長い黒髪のキュートな女子だ。彼女はシンガポール生まれの中国系だから顔立ちは日

本人だと言っても疑われることのないほど、私たちと変わりない容姿をしている。

ところが話をすると私とは英語で話すが友人たちとのお喋りは、英語で話していたかと思

うと急に中国語の切り替わり、何が何だか訳の分からない世界に引きずり込まれる。

彼女たちは中国伝統の歌劇を学校で伝承しており、それを披露するために国際演劇祭

に参加したのだ。その衣装はすごく煌びやか、舞台用の化粧をしているから、本人が何処

にいるのか分からないほど変身していた。小学校5年生だから幼いと思っていたら、『お父

さん、PC貸して』と言ってきた。何を始めるのか聞いたらゲームをしたいからアカウントを作

たいとヘルプを求めてきた。自分で探していたゲームサイトを開いてLog IDとパスワードを

設定してやったら、そそくさとゲームを始め一人で楽しんでいた。2008年11月のこと。

流石にIT先進国、この頃は既に小5の子がPCを自在に扱い、自国ではface bookを開設し

バリバリとやっていた。

今はもうすっかりとヤングレディーになりボーイフレンドもいるのかもしれない。最初のシンガ

ポール訪問時はべリンダと再会したが、2度目は弔事続きでもあったから会うことはしなかっ

た。Face bookを覗けばアクティブな彼女を見ることができるので、それで十分だ。


『詐欺VS欲』

2014年01月30日 18時14分28秒 | 日記

ビートルズの唄にMoneyというのがある。お金が欲しいとshoutし結構、賑やかな曲だ。

私たちの住む社会ではお金なくして生きていけないのは事実である。私の心底には自給

自足をしながら自然の中で暮らすという願望はあるが、そんな夢のようなことに想いを入れ

ても、最低の食べることについてもお金なくしては成り立たない。

塩は海に出かけて海水を採取すれば・・・・海に行くのに車以外だと徒歩か自転車になる。

ここから行けないことはないが、これだけでとん挫しそう。それでは、醤油や砂糖はどうする?

たったこれだけの事すらお金なくしては入手不可能、畑で作る野菜の種代にも事欠くから

病気などを考えればお金は大切だし必要なことは誰もが認めること。

今、手持ち又は銀行にお金を預けているものを増やしたいか?と問われれば、誰もがイエス

の答えを出すだろう。その手段は幾つかあることは周知の通り、どれを選択しても自己責任は

付いて回るから慎重にならざるを得ない。ところが、そうした心理を上手くついた詐欺師なる騙

しのプロフェッショナルは古今東西、手を変え品を変えて登場してくる。

お金が儲かる上手い作り話で相手を信用させ投資と称して出資させ騙し取る、その手口は古

典的なものだが手を変えると、昔は金とか銀の類だったが、その手は食わぬようになったと見た

のか、直近のものは事もあろうか中華料理に使う木クラゲの栽培に纏(まつ)わる投資話だ。

幾ら国産の木クラゲが貴重だからとしても、投資して利益を得て自分の懐に帰って来る話を真

に受けて投資する神経が私には理解できないのである。しかも、会員を募ると特典ありは、ねず

み講の王道ではないか。非情なようだが私は詐欺に遭われた方に同情する気にはなれない。こ

の種の詐欺は過去に何度も新聞やTVで報道されているのに、それらとは別物と考えたのか、私

に限ってそんな目に遭うはずがないと思ったのか知らないが、どうみてもおかしいと思わない事

に問題があると思う。同じ人は次に世界で初めてマグロの完全養殖に投資すれば必ず儲かると

勧誘されたら、あっさりと投資に同意するのではないか・・・・こんな馬鹿げたことすら思ってしまう。

今までコツコツと貯めてきた大切なお金。

他人が『あなたの為に』と儲け話を持ってくること自体が異常だと思わなければならない。何故なら

『そんなにいい儲け話なら自分で自分のお金を増やせばいい。赤の他人に儲けさせる必要性は

どこにもない』


『回想旅行記、ナイトサファリ』

2014年01月29日 17時45分11秒 | 旅行

ナイトサファリはOPツアーに必ずでてくる。

私たちはEさんの友達S夫妻の運転する自動車で市内から、外れにある動物園に連れて行

ってもらった。シンガポールは国土が狭いから自動車地獄にならないよう関税を高くし個人

所有し難いようにしている。だから個人の自家用車に乗せて貰えるのは稀なことらしい。その

代わりではなかろうが、タクシーが安くMRTが張り巡らされている。ナイトサファリは言葉の示

す通り、夜のサファリだから、Sさんたちと夕食を一緒にとり北部にある動物園に向かう。こうし

た時の食事も色々な料理が大皿に出され、それを小皿に取り分けて食べる方式だから、色々

な一品料理を頂ける。満腹になったらいい時間、動物園に向かう。

動物園全体は夜の動物園を演出しなければならないから、必要以外の灯りは消されており、

暗闇に近い園内の散策を始める。南国のお化け屋敷でもあるまいに、暗い植物園の中を散

歩しながら、本命である動物たちを見物するトロッコ列車、おしゃれな言い方をすればトラム乗

り場に向かう。

夜の動物園は人気があるようで、トラム乗り場には長い列が出来ていた。私たちのお腹は一杯

だし急ぐ旅ではないから、余裕で並び待っていた。トラムに乗り込むとゆっくりとしたスピードで

走り始め、夜行性動物の生態を観察できるように工夫されている。そうは言っても、この動物た

ちは昼間にも勤務しているのに夜行性だからと夜勤までさせられている、これは動物虐待に他

ならない・・・なんて言うつもりはないが。

夜行性動物も夜の8時過ぎだと未だ寝起きの時間で調子が出ないだろうが、昼勤の続きだから

本当の夜の生態を見ることは出来ないと思う。

それでも、薄暗い所で見ることのない動物をトラムから眺めながら、30分ほどで園内を1周、トラム

に乗って動いている場所から見物するからライオン、トラ、河馬などお馴染みの大型動物が中心

だった。動物園は市内中心地から20km、ここから国境まで約10kmだから如何に小さい国かが分

かる。帰途についたのは11時過ぎ、Sさんの家は動物園から直ぐの場所なのに、わざわざバックし

て私たちをホテルまで送ってくれた。

これから3年後、2度目のシンガポールでも再開した時に盛り上がってた話、奥さんは旅行関係の

仕事をしているのでシンガポールに来る時は格安航空券を利用して、ホテルは彼女が安く手配す

るから、それにしなさいと熱心に勧められた。この時はSさんたちと会うことを知らなかったので手ぶ

らで行ったが、Sさんはお土産を持参してくれ大変恐縮した覚えがある。


『横綱、大関』

2014年01月29日 17時44分02秒 | 日記

近年の大相撲、横綱はモンゴルの指定席になり日本人横綱は遠い過去のことになって

しまっている。横綱は他のスポーツのチャンピオンと異なり強ければ誰でもなれるもので

はない。人間としての品格を備えていなければ、無類の強さを有していても横綱にはな

れない、これが杓子定規の解釈になっている。

日本人なら大抵の人がそうだと肯定するのではないかと思う。だが、品格の審査は誰が

するのか。品格を審査するのだから横綱候補者より品格の高い人でなければならないが、

横綱より高い品格と誰が判断するのか。また四六時中、横綱候補者の傍でその品格をチ

ェックしているのではないから判らないはず。なんて事を考えると横綱を決める人はいなく

なってしまうのではないかと要らぬ心配をしている。

品格は別にして横綱も大関も過去3場所の成績を基礎点にして、勝ち星の内容などが加

味され最終的にはアナログ的な決定がなされているようだ。最近の大関は優勝しなくても

成れてしまうから随分と大関の値打ちが下がってしまったように思う。

相撲が始まったのが判らないくらい関心が低くなっているのに、前述の体だから大関力士の

名前すら出てこなくなっている。知らぬ間に大関になり知らぬ間にカド番で騒いでいる。久々

に日本人大関と賑やかだったが優勝争いに加わることなど叶わぬ実力、給金直しに躍起が

頑張りどころの有様。

昔のことを言っても仕方のない事だが、今風に言えば関脇でもスターであり、大関、横綱に至

ってはスーパースターのような存在で、小さな子供たちからも羨望の眼差しを浴びていたもの

だ。大相撲の衰退は日本人力士の活躍が見られない所、一点に尽きると思う。若貴が活躍し

た、あのような活気が土俵に戻って欲しい。


『回想旅行記、マレーシアへ』

2014年01月28日 18時06分33秒 | 旅行

OPツアーでマレーシアのジョホーバルに行く時のことだ。市内から30分ほどのところにあ

る蘭園の見学に立ち寄ったが、国立蘭園を見たものにとって、この蘭園は見るべきものは

何一つとしてないほど比較にならない。国立蘭園は何も知らないで連れて行って貰い感激

したところ、この蘭園は期待をしていたのに大変がっかりだった。

もし、国立蘭園に行っていなかったらシンガポールの蘭園など行く所ではないと吹聴してい

ると思う。国境近くになると現地ガイドさんが検問所の内部では写真を撮ってはダメと注意し

ていた。私は検問所の前ならいいだろうと思いシャッターを切った。暗かったのかフラッシュ

が光った。すると私のカメラはバッテリーが上がってしまい電源が入らなくなり、カメラを覗い

ていると、国境警備の係員がバスにやってきて写真を撮ったことについて何か言っている。

私が写真を撮ったからと出て行き

事情を説明しようとした。ガイドさんは日本人で知らなかったからと情状酌量を訴えている。

係員はカメラのチェックを求めたから『バッテリーが無くなり動作できなくなった』と説明し、実

物で説明するが中々、納得してくれなかったが最終的には渋々と納得し無罪放免となった。

もし、電源が入り撮った写真が違法なら削除を求められ解放されたのか、それとも許されなか

ったのかは分からないが、紙一重で赦免されホッとした。私がいい加減な判断で、これと言っ

た意味のない場所の写真を撮ったから起きた騒動、これで少しだが足止めを喰って他のメン

バーに迷惑をかけてしまった。

以後の海外旅行では写真撮影の可否については事前に調査し、現地では慎重に撮影する

ようにしている。

気分を変えて国境に着くとバスを降りて、出国、入国の手続きをしてマレーシアに足を入れる。

ここで見た国境の風景、マレーシアからタンクローリーの列はガソリンではなく飲料水、野菜や

果物を満載のトラックの列が連なっている。シンガポールに一次産業は殆どといっていいほど

無く、水までマレーシアから輸入しているのが実情だ。それでもお金持ちの国だから何から何

まで輸入でも賄える国力を持っている。

ジョホーバルは別の国の街だが国境近くの街だから、シンガポールの延長のように感じる。昼

食で頂いた料理も区別することができない。マレーシアの特産品は錫、銀製の食器や装飾品

でカモの観光客は工房と販売所に連行される。

流石に手作業で一つ一つ作られているものだから精巧に出来ている代わり値段もいい。こうし

た所で相手にするのは観光客だからそれなりの値段で、国内向けには別の料金体系があるの

だと思われる。私が気に入ったのは錫製のタンブラー、熱伝導がすごくいいから冷たい氷を入

れるとタンブラーは直ぐに冷たくなり、氷は直ぐに解けないで長持ちする。重さもしっかりとした

重みがある。日本でなら絶対に買わない値段だったが、懐の温かいところ見せてペアで購入し

た。

 


『自作ブログ本のその後』

2014年01月28日 18時05分10秒 | 日記

Gooブログのダウンロード機能を利用して、掲載した記事の本を作ってみたことがある。これ

は以前に当ブログでも紹介した。この方法だとダウンロード後にオフラインで修正出来ないこ

と、ブログのテンプレートを変えると、そこから書式が変更されるので一貫性が保てないことな

どの欠点がある。私は毎日、下書きをしているのでそれを集積しA5サイズの本にしていた。3

か月でP150前後のボリュームになりPC上では現在No.8を編集中だ。実際の書籍作成はNo.4

まで

完成しているが、この調子でやっていると冊数ばかり増え作るのも大変だから、最初に試作した

B5サイズに戻してみた。これで作ってみると全体で650ページくらいになるから、実物は3冊くら

いに分割すると丁度いいボリュームになるので今までのことは別にして、B5で作り変えることにし

た。一度はA4サイズもテストしてみたが少し大きく読み難い感じだったので、これよりも小さいも

のに落ち着いていった。

拙い中身の羅列に過ぎないと酷評は覚悟で始めたものだが、ちりも積もれば山となるの如く、紙

にするとこんな大量なものになっている。ホームセンターなどでも売られている普通紙は500ペー

ジ単位だから、それ一つでは賄えない量と言えば一番分かり易い。本には少し厚手で250枚単

位の両面印刷用紙を使っている。こうして紙にしておくと寝る前などの眠り薬に丁度いいので重

宝する。


『回想旅行記、イーストコーストの魚介料理』

2014年01月27日 17時44分08秒 | 旅行

この日、Eさんは夕方まで仕事でオフ後に魚料理を一緒に食べることにしていた。昼間は

Eさんと一緒にホームステーした小学4年生のべリンダ一家と一緒にタンピニス近くの遊園

地で過ごす。べリンダ一家にはタイから短期ステーで同じような年頃の女の子が来ており

私たちと一緒に連れ立った。

Eさんの仕事が終わり合流後、向かったのはイーストコースト、つまり東岸通りとでも言おう

か、魚介レストランが沢山あるエリアで、特に週末は家族連れで賑わいをみせる。店に着く

と、既に来ていた沢山のお客さんが店の前に並んで待っていた。Eさんが予約をとってい

たのかどうか分からないが、私たちも暫く待っていたら順番がきたのか席に着くことができた。

店内には大きな水槽がありチリ・クラブ用のカニや見たこともない大きな貝類など種類は豊

富、大きさから流石に南の海の幸と思わせた。

特別に食べたいと思うものはなかったからEさんにお任せで、取り敢えず私に必要なものはビ

ールだけだった。ベリンダのお父さんもアルコールは抜きでの食事だから、少し遠慮気味でビ

ールを飲む。出された料理はチリ・クラブを始めとする中華系の魚介料理でとても美味しかっ

た。こうして舌鼓を打っているとタイから来た女の子の様子がおかしく、聞いてみると母のこと

でも思い出したのかホームシックだという。

べリンダの両親ともたどたどしい英語で話をするが、共通する話題がないので途切れ途切れ

の何とも締まらないものだった。この地区は街から少し外れているところだからタクシーは少な

いようで、捕まえるのに少々の時間を要した。

確か土曜日だったから余計に混雑しタクシーが捉まらなかったのだと思う。ホテルまで20分ほ

どの場所だが立派な郊外になり、街の喧騒から解放されるいいところだった。


『山仕事』

2014年01月27日 17時43分17秒 | 日記

朝から晴天、こんな日は霜が降らなくても寒い。張り切って山小屋に出かけてみるが寒い

からストーブの火入れから、こうなると少し温まるまで腰を落ち着かせ、少しばかりお湯を

湧かしてコーヒーを飲むことになる。

調子を取り戻したチェーンソーはあの駄々っ子ぶりが嘘のようにエンジン始動。先日倒し

た楢の木の枝を落とし春のシイタケ菌埋め込みに備えていく。落とした枝の片つけ、シイタ

ケ原木で使わない太めの枝は薪に使用する。単純作業だが量が多いから1日で片つける

ことは出来ない。ふと陽の差す方を見ると椎木や大きくなった杉の木が陽の光の大半を遮

蔽してしまっている。だから、そうした場所の地面は濡れ落ち葉がつもり常に湿った状態。

これはいかん。元気を出して陽の光が地面に届くようにしてやらなければ・・・・分かってい

るが、倒したばかりの楢の木が始末できていないのに次の木まで手が届かない。

あの木とこの木を倒せば明るさが・・・・なんて、想像しては非力さに落胆の繰り返し。

何とか元気を出して山を綺麗にしようぜ。


『回想旅行記、Eさん宅訪問』

2014年01月26日 17時22分05秒 | 旅行

シンガポールは国の面積が狭いから、一般の人は住宅供給公社のような所が建てた公

共集合住宅を借上げまたは買い取りして住む。繁華街のコンドミディアムや戸建て住宅

はセレブ専用となり、庶民には手がでない。Eさんの家は父母が購入したもので郊外に建

てられている。

先述のように小さい国だから郊外と言ってもMRTで20分ほどのところ。こうした住宅は計画

的に作られているようで、MRT駅の近くに何棟も建てられており、日本で言う住宅団地の様

相と一緒。

私たちが連れて行かれた場所に一人で行けと言われても、同じような建物が並んでいるか

ら、簡単に行けそうにないが、よく見ると建屋の番号や番地などが表示されているから、そ

れを頼れば分かるようになっていた。建屋の前にジャックフルーツ木が植えられており、沢

山の実をつけていた。熟れたら誰が採ってもいいそうだ。

家に案内されると、玄関先に沢山の花や木の鉢が飾られており、手入れはお母さんの日課

になっている。中に入るとお母さんがにこやかな顔で迎えてくれるが挨拶は中国語の『ニイ

ハオ』と言う。Eさんの両親は中国から来た人でお母さん現在に至るまで中国語一筋に徹し

た人だから英語は全く喋れない。娘が日本で世話になったことから、菓子や果物を沢山用

意して、盛んに食べるように進めてくれる。ここに来る前、駅前のホーカーで昼食をしてきた

ばかりで満腹状態だから食べられない。

Eさんのような一般人でもインドネシアやフィリピンなどから出稼ぎに来る家政婦さんを雇って

いることが多く、Eさんの家にも同様の家政婦さんがおり、正月だけ帰国するそうだ。こうして

働くことの条件として、女性は妊娠したら帰国させられると言っていた。集合住宅の中身は居

間が10畳くらいあり他に8畳くらいの部屋が3つと広い間取りになっていた。

たわいもない話をEさんが中国語に訳して伝えてくれる、そもそも最初に話をする英語が怪し

いから伝言ゲームのように違う意味合いになっていても、誰も気づかない不思議な一時だっ

た。


『ゴースト・プリフェクチャー・島根』

2014年01月26日 17時12分55秒 | 日記

ゴースト・タウンはお化けの住む町、つまり人が住むことのできない町のことをいう。何度も

書いたが民主党の大臣が福島の原発で汚染された町のことを『ゴーストタウン』と表現した

ばかりに、辞任に追い込まれた。大臣は悪意や見下すつもりで言ったのではないことは明

らかだ。マスコミも野党だった政治家の阿呆どもには、こんな低俗なことしか話題提供する

能力がないのだ。

ゴーストタウンとは少し意味合いが違うのは、棲むのはゴーストではなくワイルドなイノシシ、

ネズミ、テンなどが主役だから今はアニマル・タウンまたは汚染タウンが正しい。春がやって

くると消費税増税と共に原発再稼働に向けた動きが加速しそうだ。

昨日の新聞は再稼働していないのに原発の過酷事故を想定し逃げる段取りのシミュレーシ

ョンが載せられていた。島根原発の事故で避難対象の人数は東海第2原発93万人、浜岡原

発74万人に次ぐ44万人。静岡県は370万人、茨城県290万人の人口でそれぞれ県人口の1/4が

避難することになる。それに対し島根原発は島根県のみならず米子市や境港市なども含むの

であろうが、島根県の44/71=62%の人がとんずらしなければならない。島根県の中核都市松江

、県庁も逃げたらこれこそ真のゴースト・タウンの誕生になるが、県の大半の機能がとんずらす

るからタウンではなく県=プリフェクチャーがゴースト化することになる。

県をもゴースト化にしかねないことを中国電力という一民間企業にその宿命をお任せするなん

て、こんな馬鹿な話があるのだろうか。県をゴースト化させても電気を作る価値を見い出そうとす

るが、私には何処にも見当たらない。平たく言えば島根県<電気という価値基準でしかない。

政府の阿呆どもはもう1つ2つの原発でシビア事故を起こし世界から非難ごうごうにならなければ

真剣に考えないだろうと確信している。そうなれば、ついでにその場所は核汚染物質の最終処

理地にすればいいと次の計画を練っているのかも。私も元技術者の端くれ、何でもかんでも原発

反対と言っているのではない。原発は危険性を回避すれば非常に効率のいいものであるのは確

か。安全性追求の技術開発は怠ってはならないと思っている。

新しい技術により安全性と効率性の両立させることは真の核の平和利用にも寄与する。仮にこうし

た分野から日本が撤退することになれば、不利なことが多々出てくることも考えられる。今は厳しい

状況だが研究を続ければ必ず次のステップに行くことが出来ると期待できるからだ。

然るに福島の本当の原因を追究出来もしていないのに安全と欺瞞に満ちた結論を出そうとする政

治家と禿鷹経済界の浅知恵に腹が立つのだ。所詮、その程度の頭の連中に原発技術云々の資

格はないと思っている。


『回想旅行記、植物園とオーキッドガーデン』

2014年01月25日 18時00分38秒 | 旅行

Eさんの案内で植物園に連れて行って貰った。冒頭に述べたようシンガポールの国土は

国と言うには小さすぎるほど小さいが、コンパクトに整備され清潔な環境が保たれている。

公共場所や植物園などは広い場所が確保されており、表面上国土が狭いと言う印象は余

りないが、1時間くらい北上するとマレーシアの国境に着くから、やはり狭いのである。

植物園も広大で南国特有の植物が植えられており、青々とした芝生とマッチして綺麗だ。

葉がとてつもなく大きい、根が異様に長いなど熱帯環境で生き抜くために適応してきた結

果の姿だろうが、細かく観察すると興味を引かれる。木々に交じり花も咲かせているが、年

間の温度は大きくは変わらないだろうから、日本の花のようにメリハリが余りなさそうだ。日本

は詫び寂び、淡い彩りが主体になるが、ここでは原色の華やかさが際立たせる。

派手な花の咲く植物園、南国だから温度も30℃くらいあり、日向を歩くと暑いが湿度は低い

から日本にいる時のように、汗ダラダラとは無縁。

植物園の奥に行くと国立の蘭園がある。一言で言い尽くせば絢爛豪華。

種類は多く大小、色合いもマチマチ、路地植え、吊るし鉢と飽きることなく楽しませてくれる。

一つ見終えると次にどんな花があるのか、楽しみになってくる。この園内も広く、ゆっくりと鑑

すれば半日は楽しめると思う。文字にすると味気ない紹介になるが、シンガポールに出か

けたら絶対に行くことをお勧めする。


『ザーサイ栽培のその後』

2014年01月25日 17時53分37秒 | 日記

今季もザーサイの種を買い秋口から苗作りを始めた。前回は大量の害虫が葉を食べ尽

すのではないかと思うほど被害を受け、農薬散布をした経緯がある。今回は害虫との遭

遇は殆どなく割と順調に育っている。雪に埋もれてしまっても、凍みるような時でも枯れる

ことなく元気である。

種の量は多いからご近所に裾分けしても30以上の苗が残り作っても食べられないから小

さい内に廃棄した。苗自体はそんかなに大きくなっていないが、茎はよく育ち時期を見て

ザーサイ漬けのリベンジだ。

漬物失敗の根本原因は塩分不足なのか、衛生的なことなのか判らない。今年は冷蔵庫に

も分散して作ってみようと思っている。昨年から作り始め私は未だ一口も口にしていないか

ら、浅漬けをして食べてみようとしている。去年、茎を細く切りサラダで食べることを妻に教え、

妻が食べてみたら青臭くて食べられなかったと言っていた。このレシピは私の間違いで生で

食べるものではなかった。その後、食べ方を調べてみたが漬物以外に興味が湧かずザーサ

イ漬け一本でいこうとしている。

           雪で折れた葉、次々と新しい芽が出てくる

 


『回想旅行記、ホテルのこと』

2014年01月24日 18時39分50秒 | 旅行

ホテルに着くとEさんは友人の可愛いお嬢さんIさんを連れて来ていた。Iさんは日本で働い

たことがあり日本語はペラペラだから通訳代わりにぴったりだった。夜の夜景も綺麗なクラ

ークキーの水辺を散歩した後、由緒あるゴージャスホテル、フラトンでアフタヌーン・ティー

を頂く。何やら有名な菓子だと説明してくれたが上の空で聞いていた。Eさんと私は英語、

Iさんとは日本語、EさんとIさんは中国語交じりの英語とややこしい会話だった。ここのお茶

タイムはOPツアーに利用されることもあるから、どんなに違うのかと思ったが、よく分からな

かった。

シンガポールは近代的なビルが林立し有名なホテルもたくさんある。流石に国際金融都

市として栄えているだけのことはある。このホテル近くはベイエリアでシンガポールフライ

ヤーや新しいエンターテイメントなどが続々と登場する活気のあるエリアになりつつある。

繁華街のオーチャードとは別の一面がある。私たちが泊まったリッツ・カールトンはそうし

たエリアの対岸でベイエリア開発前はこの辺りが開発ラッシュだったようだ。周辺は高級

ホテルのオンパレードだ。リッツの部屋は広い部屋、大きなベッド、ビジネス用のデスク、

シャワー室とバスタブ室がありテレビは当時大型の40インチくらいものが設置されていた。

小柄な2人の初老が泊まるには広すぎる部屋だった。こんなホテルの受付の横に日本

人デスクがあった。

何かの用で顔を出したら日本人の女性スタッフがいた。話をして私たちが島根県からと分

かると私は平田市と言うではないか。

まさか、こんな所で島根県の人と出会うなんて、と思ったらそれもそのはず、その女性も

島根の人がお客に来たのは初めて(彼女が対応した人の意)と言っていた。

シンガポールでは室内の喫煙は原則NGだから、このホテルも喫煙は玄関横の風が吹き

さらす所にある灰皿でしかできなかった。折角、豪華なホテルに泊まっているのに煙草

でもふかし寛ごうかと思えば、みすぼらしい喫煙場所では雰囲気は台無し。

それでもニコチン野郎はくじけず、ここで屯(たむろ)していた。


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