食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『晴天に動かぬチェーンソー』

2014年01月24日 18時38分52秒 | 日記

昨日、天気が回復している間に楢の木を倒しておこうとチェーンソーの点検をしてみた。普

通の大きさのものと枝打ちに使う軽量小型の2台ある。秋口、薪を作った時以来だから3か月

ぶりくらいになる。この手のエンジンは暫くかけていないとエンジンがかかり難い。案の定、2

台ともエンジンのかかりが悪く四苦八苦しながら、やってみるが息切れがしそうになるほどし

ぶとい。ストーブの横に置いておき少し温めてから再始動、

小型はやっとかかり青い煙を吐きながら馬力を上げてきた。2~3度のオフオンをして試運転

終了。中型はキャブの清掃までしてみたが時折、プスッというだけで思わしくない。再度、点

検してみるとプライマリーポンプとキャブをつなぐゴムホースに亀裂が入り給油を妨げている

ことが判明し、今朝メーカーに行き部品を交換してみた。

残念ながら交換しても音沙汰なし。午後から小型を使って伐採しようとエンジンオン・・・とこ

ろが昨日の元気はどこへやら。

再び分解、調査の気力も能力もないからホームセンターに修理持ち込み。小型は少し高く

ても修理して使いたいと思っている。

中型はもう10年以上使っていて修理にも出したことがあるから、このまま使えない場合は新

しいものを買ってもいいと思いつつ、陳列されているチェーンソーを見に行った。

メーカー品で私が以前買ったものと同等のものが在庫1として、半額で売られていた。急き

ょ、ここで動かぬチェーンソーに見切りをつけて新しいものを購入した。山に戻り、目星をつ

けていた楢の木を4本、伐採。シイタケの原木にするつもりでいるのだが、晩秋に倒してお

くべきもところを横着者の仕事だから仕方がない。

新しいチェンソーでの作業だから、チューンと直ぐに終わる。

さて、動かないからストーブの横で温めていた古いチェーンソー、駄目元で再度エンジンを

かけてみる。ウソだろー・・・・ブブブーンとお見事。

そういえば、このチェーンソーはいつも裏切るのだ。3年前の大雪の朝、山小屋に行こうとし

たら木が倒れていて進めず、う回路からの侵入を試みたが、こちらも倒木で通行不可。仕

方がないから歩いて山小屋まで行きチェーンソーを持ち、倒木のところまで戻りエンジン始

動。答えは予想通り、ウンともスンとも言わず。こうした前科者だから今後も使おうと思った

時には危ないかもしれない


『回想旅行記、チャイナタウンのスーパー』

2014年01月23日 18時06分29秒 | 旅行

シンガポールは中国系が70%を占め、マレー系、インド系などが残りを占めるから言葉も英

語を主としながら中国語が混じる新語Singlish(Singapore English)シングリッシュと言われる

所以だ。庶民の胃袋を満たすスーパーは興味深い。魚や魚介の中には日本ではお目にか

かれない種類のものも多くあり、結構グロテスクなものもあった。相変わらず中国系住民の食

卓は私たちの度胆を抜く。ゲージが置かれてあり中には、小さい生きたカエルが犇(ひし)め

いている。

すぐ隣には大きな食用ガエルが紐に繋がれ、招き猫のように座っていた。違う店に行くと種

類の違うカエルが並べられている。

チャイナタウンの珍しいものを見てマーライオンへ、ガイドの説明

『世界の3大がっかりはマーライオン、コペンハーゲンの人魚、ブリュセルの小便小僧』とやり

だした。確かに訳の分からないライオンが水を吐いている、現地の人はライオンがゲロしてい

ると言っていた。私たちが行った時は建国記念日に合わせて清掃、お色直し中で足場を掛

けられていた。それでなくても、3大がっかりなのに、檻に入れられたライオンでは更にがっか

だ。私が興味を抱いていたのはホーカーでの食事だ。今では日本でもフードコートと呼ば

れる色々な店がファーストフードを提供するようになった。ホーカーはシンガポールのフード

コート、美味しいものが安いのが魅力だ。

シンガポールでは家庭で料理を作るよりホーカーで摂る食事の方が多いと言われている。住

宅は集合住宅が基本だからベッドタウンのような街にはホーカーが付き物になっている。

事前にリサーチしておいた『フッケンミー』なる麺料理を食べたかったが、似たようなものしか探

せなかった。ここでは中華、イタリアン、インド、和食とバラエティーに富んだメニューがあり、席

も数百近い大きなホーカーだった。食後のジュースは果物を直接絞って作る生ジュースだから、

新鮮でとても美味しい。マンゴー、パパイヤ、メロンなど様々な味が楽しめる。それにしても安い。

はたっぷりあるジュースは日本円で200円もしない。ホーカーに満足した後は免税店で解散と

なった。

大きな店でブランド品に目のない人や新しいファッションに興味のある人には、何時間居ても飽

き足らないほどの店がある。私たちには退屈至極な一時。午後からEさんとホテルで会うことにし

ていたので、私たちはタクシーを待っていたら急にスコールがやってきて、タクシーが来なくなっ

てしまい暫く待たされる結果になった。


『SCCの乱高下』

2014年01月23日 18時04分53秒 | 日記

3か月に1度通っている定期健診の日、昨日の日中に溶けた雪が夜中から朝にかけての

冷え込みで凍結してしまい、道路はバリバリと硬い雪、溶けて水になっていた部分はツル

ツルのアイスバーン。乾燥している所は普通の道路だから安心し切っていると酷い目をみ

る。少し早目に家を出た方が良さそうと車の所に行くと、フロントガラスに積もっていた雪は

貼りついて取ることはできないし、ドアも開ける時にはバリバリと音を立てる。勿論、ガラスは

真っ白だから、湯をかけないと運転できそうにもなく、乗用車は諦めて車庫にある軽トラで出

かけた。

皆、道路の具合を心配しながら慎重に運転しているから渋滞気味の道を病院に向かう。

予定より15分くらい遅れて到着すると、出足は悪いらしくいつもより駐車場はガラガラ状態、車

から降り歩こうとするとツルリ・・・血液採取の待ちは殆どなく8時40分には終えて、少し遅い朝

食としてコンビニでサンドイッチを買い一息ついてから消化器外科の受付をする。検体採取後

にこの病院内で検査することが出来るようになったので、検査結果待ちで1時間はかかるから、

待合室でのんびりとコールを待った。いつもの光景、呼ばれた人の多くは夫婦で診察室に入る

のを横見目に見ながら、先生から妻と一緒に来るようにと言われたことを思い出していた。外は

晴天だが随分と冷えていたから、急いですることもないし、ゆったりと待とうと思っていたら、こん

な場合は案外と待つことは少ないものだ。

昨年10月28日の検査でSCC=1.7だったものが2.1に上昇し、急きょ11月18日に造影剤CT検査

を受け異常なしの結果を受けて暫く様子を見た後の検査となった。腫瘍マーカーSCC=1.1と大

幅な低下に、先生の説明はいつもと同じで『長期レンジの傾向をみるもの、変動で一喜一憂す

る必要はない』昨年3月は1.0だったものが1.8-à1.7-à2.1と徐々に倍の数値まで上がったから、

余りいい気分ではなかったから、造影剤CTで異常なしでもPET検診を受けたら更に万全ではな

かろうかと考えたこともあった。脛に傷を持つ身だから弱気に転げるとどんどんと深みに落ちて行

くような気がして、そう感じたらググーッと強気の方に引っ張り上げるよう、自分自身を叱咤激励し

続けている。

何も処置していないのに勝手に上下する事から、私のSCC基準値は1.5と勝手に決めてしまって

いる。ネットでも癌でもない人が検診でSCC=2.0だったからと癌の心配していたり、SCC=2.0は正

常値と言う意見もあったり、僅かな重さしかない1.5ngはとても重い意味を持っているようだ。

基準値なるものがある以上は、その数値の中に納まっていてくれればそれが一番安心できる。

『あと9か月すれば丸5年が経過しますね』と先生の言葉。

『5年過ぎても癌との戦いは終わらないでしょうから・・』と珍しく殊勝な私の弁。


『回想旅行記、禁煙国』

2014年01月22日 17時36分31秒 | 日記

大韓航空のためインチョン経由でシンガポール、チャンギ空港まで約6時間ほどの旅だ。

午後一番、広島を出かけたのに乗り継ぎ時間の関係で到着は夜になってしまう。機内の

税関カードを記載の際、たばこは関税の対象になるような事が書かれていたのでCAに聞

いてみたら、それらしき回答がある。面倒なことは嫌なので持っていた吸いかけの煙草は

捨てて申請などしないことにした。この選択は嫌煙の国シンガポールでニコ中のような私

が選んではいけないものだと後に知る。初めてのチャンギ空港はインチョン以上に大きな

インパクトを与えたのである。国は松江市の1.2倍くらいの狭い面積しかないのに、ここの

飛行場ときたらやたらに大きく、しかも近代的な国際ハブ空港だった。

着陸ゲートからイミグレまで長い道のりを歩く、歩く歩道を使う、兎に角、あるく。イミグレは

特別なこともなくすんなりと終わり、荷物を受け取り出口に行くと旅行会社のカードを持っ

たガイドが待ち構えていた。次に来る便の客と合流するため暫く待たされ今宵から泊まる

ゴージャスなリッツ・カールトン・ミレニアムホテルには夜、遅くになってから到着。

翌朝、朝食後各ホテルの客を回収して市内観光に出かける。スリ・マリアマン寺院 ⇒ チ

ャイナタウン ⇒ 佛牙寺 ⇒ マーライオン公園 ⇒ ラッフルズ卿上陸地点 ⇒ フードコート

でランチ ⇒ DFSギャラリアこのコースは旅行会社が変わっても同じようなものではないか

と思われるほど定番になっている。煙草は昨日、空港に着いてゴミ箱に捨ててしまったか

ら、何があっても直ぐに調達しなければならない。

ガイドの説明でも歩行禁煙が原則で、喫煙場所以外での喫煙は厳しく罰せられるからく

れぐれも注意である。私の観察では歩行喫煙者も少しではあるがいるし、路上に吸い殻

も捨てられている。

しかし、路上だけではなく街中は清掃が行き届いており綺麗な都市である。煙草屋は直

ぐに見つかると思っていたのに中々、見付けることが出来ずガイドに聞いてみるとコンビ

ニにあり、余り前面には置いていないから見つけ難いということだった。

スリ・マリアマン寺院に到着、『すぐ先のコンビニにあるはず』と言われ、急いで煙草を頼

むと棚の上の方を指差しどれがいいかと聞いたので、何でもよかったから適当に指差し

た。値段は確か16SG$だった。外国通貨で払っていること、欲しくて仕方のなかった煙草

が手に入ったことで高いのか安いのか、其処には気が回らずゲッツの喜びに浸る。確か1

SG$は60円くらいだったから煙草1箱が960円もすると知ったのは後のことだった。私には

スリ・マリアマン寺院の由緒ある話や見学よりも、手に入れた煙草でニコチンの補給を一刻

も早く願っていたが、ここでの喫煙場所は見当たらなかった。

念願が叶ったのは佛牙寺で自由時間があった時、ほぼ一日ぶりの喫煙は馴染の銘柄で

はなかったが五臓六腑に沁み渡るような感覚だった。


『寒い日韓関係』

2014年01月22日 17時34分52秒 | 日記

昔から近くて遠い国はお隣の韓国。古くからの交流はありながら良き隣人よりも、日本は常

に統治、侵略者の立場にあったことは事実だ。歴史的な解釈は立場で異なってしまうことが

日常的で共通認識に至ることは少ない。

朝鮮半島への侵略は豊臣秀吉、日清、日露戦争当時は朝鮮半島の帰属を巡って諸外国

が触手を伸ばしていた。ここでも勝手な解釈として日本が朝鮮半島を守ったとする人もいる。

元々、朝鮮半島は朝鮮人の物なのに中国もロシアも日本海への出口として戦略的に大きな

意味を持っていたから、喉から手が出るほど欲しがっていた。朝鮮半島はこうした中で翻弄

され続けてきた。

第二次世界大戦が終わったら新たな東西の戦いが始まり朝鮮半島は38度線で韓国と北朝

鮮に分断されてしまった。朝鮮半島に於ける日本は自国を守ってくれる守護神のような顔を

した侵略者でしかなかろう。それではかつてヨーロッパの国々が東南アジア、アフリカなどを

侵略し長らく自国領として統治してきた。これこそ有無を言わせない侵略そのものだった。

ベトナムとフランスにしても内戦を経て独立を果たした。ベトナムはアメリカと長らくの戦をし

てきた。

こうした国々の国交は双方の努力により正常化され日韓のような関係は見られない。

日本人は戦後、武力紛争を起こしたことはないし、他国を侵略したり武力で威圧する意志

など全く持ち合わせていない。これは戦後の歴史が証明している。こうした事は韓国の人

にも理解できるはずなのに、別の理由づけをしてしまう癖がついているようだと単純に片づ

ける事は出来ない複雑な背景を私は理解できないでいる。

友達でウマの合う人もいれば、何をしても全く駄目という友人がいるように、国の間でもそう

いうことはあるかもしれないと考えることもある。無駄な諍いをせずに適度な距離を持ちなが

らの友であってもいいのではなかろうか。

日本の総理は出来が悪いから、せめて国民は品格のある態度で接する努力を続けたい。


『寒い日韓関係』

2014年01月22日 17時34分52秒 | 日記

昔から近くて遠い国はお隣の韓国。古くからの交流はありながら良き隣人よりも、日本は常

に統治、侵略者の立場にあったことは事実だ。歴史的な解釈は立場で異なってしまうことが

日常的で共通認識に至ることは少ない。

朝鮮半島への侵略は豊臣秀吉、日清、日露戦争当時は朝鮮半島の帰属を巡って諸外国

が触手を伸ばしていた。ここでも勝手な解釈として日本が朝鮮半島を守ったとする人もいる。

元々、朝鮮半島は朝鮮人の物なのに中国もロシアも日本海への出口として戦略的に大きな

意味を持っていたから、喉から手が出るほど欲しがっていた。朝鮮半島はこうした中で翻弄

され続けてきた。

第二次世界大戦が終わったら新たな東西の戦いが始まり朝鮮半島は38度線で韓国と北朝

鮮に分断されてしまった。朝鮮半島に於ける日本は自国を守ってくれる守護神のような顔を

した侵略者でしかなかろう。それではかつてヨーロッパの国々が東南アジア、アフリカなどを

侵略し長らく自国領として統治してきた。これこそ有無を言わせない侵略そのものだった。

ベトナムとフランスにしても内戦を経て独立を果たした。ベトナムはアメリカと長らくの戦をし

てきた。

こうした国々の国交は双方の努力により正常化され日韓のような関係は見られない。

日本人は戦後、武力紛争を起こしたことはないし、他国を侵略したり武力で威圧する意志

など全く持ち合わせていない。これは戦後の歴史が証明している。こうした事は韓国の人

にも理解できるはずなのに、別の理由づけをしてしまう癖がついているようだと単純に片づ

ける事は出来ない複雑な背景を私は理解できないでいる。

友達でウマの合う人もいれば、何をしても全く駄目という友人がいるように、国の間でもそう

いうことはあるかもしれないと考えることもある。無駄な諍いをせずに適度な距離を持ちなが

らの友であってもいいのではなかろうか。

日本の総理は出来が悪いから、せめて国民は品格のある態度で接する努力を続けたい。


『回想旅行記、シンガポールとの出会い』

2014年01月21日 18時22分28秒 | 日記

3年に一度開催される八雲国際演劇祭は劇団あしぶえ主催、町民をはじめとするボラン

ティア約400人が支える一大イベントだ。過去3回開催されてきたが趣旨に賛同しながら

積極的な関わりをして来なかった。各国からの参加者や関係者は原則としてホームステ

ーすることになっており、私の家も協力することにした。この年はシンガポールからのEさ

んと生徒が泊まることになり、朝送り出し夕方迎えに行くことが主なすべきことだった。1週

間ほどのホームステーはあっという間に終わり、彼女たちはシンガポールに帰ってしまっ

た。毎日、英語漬けの私の頭の中は、それから抜け切れず英語で喋ろうとする習性が暫

くの間残っていた。

今の世は便利なものでメールなるものがあるから、その後も近況報告をし合い、そして翌

年、私たちはシンガポールを訪れることにした。

この旅はツアーだったが最初の半日は市内観光があり、OPツアーとしてマレーシアのジョ

ホーバルに行く以外は自由時間だったから、

Eさんとゆっくり合う時間があった。

田舎から海外に行くには広島、岡山または関空まで足を延ばさないと都合よく行くことはで

きない。また、各空港へのアクセスにしても色々な経験をしていないから、一番安全な方法

をとりコスト高を避けられなかった。この時は電車で福山まで行き前泊して翌朝にバスで広

島空港まで行った。午後の出発でも2時間の集合だから、福山に泊まっても決してゆっくりと

した余裕のある移動ではなかった。空港に着いてから手続きを済ませ、空港の銀行でシンガ

ポール$に交換、軍資金も万全にする。今は高速も整備され自家用車で移動することも選択

肢としてあるから、泊まるにしても前回よりは安く済ませることが可能になった。


『寒い日々』

2014年01月21日 18時21分18秒 | 旅行

大寒は一番寒いとされるが、実際は過ぎたころから本格的な寒さがやってくる。今年もそ

の例に漏れず、特に明け方の冷え込みは厳しさを増している。布団の中には湯たんぽが

あるから温かいが私の場合、頭が寒いと感じるから布団をかぶり顔の一部を出して寝てい

る。若い人と私たちの年代ではライフスタイルが違うから、こうした所にも違いがあらわれる

のだろう。寒ければエアコンで暖房すれば済むことだが寝ている時までエアコンをかけな

くても・・・・と思ってしまう。寒いのだから暖房すればいい、これが真っ当な考え方であるに

は違いない。電気代を惜しんでいるのではないが、私と若い人のジェネレーション・ギャッ

プというやつかも。

昼間は山小屋に行きストーブで暖をとりながら木工細工に余念がない。今は欅材を使った

ミニ茶箪笥、大きさは縦横24~5cmくらいもの。扉の開閉もできるようにするつもりだ。柱に

なる部分を縦かまちと言うが、幅は7mm X 8mmの細いものでそれに3mmX 6mmのほぞ穴

を開けて組み立てるから、細工はとても面倒だ。

欅は硬くて加工するのに難しい反面、色合いや木目は、これに勝るものはないほど美しい。

ただ節目や木目が複雑な個所は素人細工では使いこなす事は出来ない。それ程、難儀

な相手だ。

細工に集中している時はいいが、手を休めホカホカ気分でいると眠気に誘われるから窓を

開けて換気タイムを作る。部屋中の窓を開けて空気の入れ替えをしても部屋全体が暖まっ

ているから、室温が下がることはない。里山保全の一環で伐採する木は冬の暖になり、燃

やした後の灰は木々の肥しに戻っていく。

寒い時にはこうした山のものを利用して快適に過ごせる、本当に山に感謝である。


『クロアチア旅行記のおわり』

2014年01月20日 17時55分30秒 | 旅行

旅先で見てきたものや出来事を雑駁なまとめで旅行記として掲載してきた。両国ともに

静かで清潔な国という印象が強い。戦乱から20年ほど経過して見た目の痕跡は見えな

かったが、当時の民族間の憎悪はどのような形で納まっているのか分からない。

兎角、こういう地域は生活や仕事が不安定になり治安の悪化を招くものだが、総じて安

定しているようだ。国を縦断してみて大きな都市や工業地帯のような所は殆どなく、現代

的なビルがチラホラ見えるのはザグレブとスプリットくらいしかなかった。

経済的にみてもGNPはクロアチアが73位(56.48US億$)、スロベニアは79位(45.43 US億$)

で日本の3位(5960.27 US億$)と比べてみても如何に小さい国力かが分かる。しかし、人

々の暮らしぶりはゆったりとした風に見え、土産物売り場の人も何処かの国のようにガツ

ガツとした素振りは全く見られなかった。こうした所が経済指数などに表れない生活の質

というべきなのかもしれない。


『名護市の選択』

2014年01月20日 17時54分13秒 | 日記

自民党政権というのはいつまで札束で人心を買おうとする事を止めないのだろうか。これ

が常套手段となって党の伝統として確立され脈々と受け継げられてきている。

今回も政府が今までより多めの札束をちらつかせた途端、とち狂った知事がお金につられ

て辺野古移転を受け入れてしまった。そして自分が今まで主張して県民から支持されて知

事になったことすら忘れてしまい、公約違反ではないと賜(のたまわ)った。

これは沖縄の茶番劇ではない。沖縄の問題は日本国民が真剣に考えなければならない事

なのに沖縄以外の人は全く考えていないから、恐らく苦悩の末にベターを選択したのだろう

と好意的に思える節もある。私も沖縄の負担軽減を指示するが残念ながら地理的な事から

場所は沖縄にあるメリットは大きい。

軍事強化、海洋進出を狙い国際法無視の中国に対する影響力は無視できない。仮に米軍

基地が無くなった場合を想像してみれば答えは明らかだ。だが危険な基地の改善に米軍も

日本政府も真剣に取り組んでこなかった。米軍との小手先の協議、地元への助成金、補助

金で誤魔化し続けてきたから沖縄県民は日本政府を信頼していないとも言える。過去のよう

な小出しの対策ではなく沖縄県民がドラスティックと思えるような事を考え出さなければ解決

は程遠く、双方の苦慮が続くだけだ。名護市は反対派の市長が再選されたが、基地問題の

解決に近づいたのではなく停滞の道を歩くことになった。基地問題が長引くことによる影響は

避けられないし政府も対応に苦慮することになる。日本政府は沖縄県民の心を理解する気が

あるのか疑わしい。信頼の2文字が遙か彼方にあるようで何か空しい。

と、偉そうに言っているが私とて妙案があるのではないから私も空しい。


『スロベニア、クロアチアのお土産』

2014年01月19日 18時09分14秒 | 旅行

これらの国はユーゴからの分離独立に至る前から後進国に近い位置にいた。独立には内

戦を伴う国を荒廃させる負の力ばかりが働き、独立後は負から脱出に力を入れている。

GNPは70位辺りだから大きな産業に支えられている訳ではない。それでも、国内の治安は

いいし荒廃したような風景もなく、お金の豊かさは少ないかもしれないが平和で穏やかな暮

らしぶりが目に付いた。だから土産物も小さな民芸品などは自前だろうが、クッキー、チョコ

などは外国産が売られていた。そんなお土産だが買い漁ったものを紹介することにした。

   

        ブロヴニクのマグネット            スロベニアの岩塩とマリア教会みやげ

 

      干しイチジクとピスタチオ                ポルチーニ茸

 

       市場で買った干しイチジク                チョコ、スイス産

 

    塩チョコ(スロベニア)とスイス産チョコ             産地不明のチョコ菓子

    

        Tシャツ

 

    市場で買ったドライフルーツ          スロベニア産、果樹酒

  

        アンチョビ           蝋燭とクリスマスリース

                クロアタのネクタイ

          拾ってきた大きな松ぼっくり


『HP作成ソフト』

2014年01月19日 17時59分55秒 | 日記

未だIBMがPCを扱っていた頃、IBM Home Page Builderというホームページを作成するソ

フトを購入した。相当、古い話になる。時期や事情ははっきりしないがPC部門を

レノボに売却する関係だったのか準備なのか、HPBの管轄はジャストシステムに移された。

HP作成ソフトの機能が上がる度にバージョンアップする必要はないし、そのまま使い続け

てきた。Win7までは使えていたがWin8から使えなくなってしまった。

古いソフトだから仕方のないことだが常用のPCはWin8.1だから、ここでHPを扱うことはでき

なくなったので新たなソフトを探してみたら、最新のHPBは1.3万円する。

他にあったものは4,000円ほどのソフト、このソフトの内容は新しいWinが出るとそれに対応

できるようにするだけで機能は最初からあまり変わっていないと口コミがあった。使い勝手は

良いようだし値段が安いから騙されても腹は立たないのではないと買うことにした。通販で

送料無料だから家電販売店まで買いに行くガソリン代、時間を節約でき何とお得なことか。

これからセットアップし使ってみるつもり。

 


『我儘ツアー客』

2014年01月18日 17時59分33秒 | 旅行

12/12 に『中国を笑えない日本人』で一部紹介した我儘な行状の他にもあるので紹介す

る。毎日バスで移動することから座席は毎日、前後左右に変えて偏りが出ないようにして下

さいと、ツアー客よりずっと若い添乗員がお願いをしていた。これは何処のツアーコースで

も言われることで、ごく当たり前のことだと思う。ツアーは何処でも1室2人が原則のようにな

っており、1人参加者は特別料金を支払って1部屋を使う。今回の参加者は、どうしたことか

1/3くらいは1人で参加していた。1人で参加する人は旅慣れた人が多く、話を聞くと海外旅

行も豊富だから、バスに乗る時云々はよく承知のはずだ。

こうしたルールが守られれば誰もが違う場所から車窓旅行が楽しめるはずなのに、翌朝バス

に乗ろうとしたら妻と続きで座る場所がなく奥の方に行ったら、ようやく確保できた。私より後

からバスに乗った夫婦は席がなく別々に座ろうとしていたが、譲る人がおり無事におさまった。

翌日も同じことが起こった。人数からすれば楽勝のはずなのに1人参加の人は特別料金を支

払っているからという理由なのか、1人で2座席を使っていた。苦情を口にする人もいて添乗

員に座席表を作ってもらおうなんて言っていた。

これは最後まで同じような事の繰り返しとなり改善されることはなかったが、1人で2座席使って

いて、周りの様子も分かりながら平気で座っている人の心理は理解しかねた。人生の半ばを過

ぎて物の良し悪しを分別する器量はあると思いたいが、年寄りのピーターパンシンドローム?

就職も決まっていて卒業旅行に近い形の旅行ではないかと思われる、若い女性組の困ったち

ゃん。毎朝、バスの出発時間ぎりぎりになってから乗り込む。

早く来た人は座席の確保でアタフタしているが、お嬢様たちは最後にゆっくりとやってくる。来た

時に座席は空いていない。これ自体おかしいことなのだが・・・

一番前は保険が効かないから客には使わせないようにしてあるはずなのに、添乗員は仕方なく

一番前の席に座らせた。次の日も同じことが繰り返された。

お嬢様たちは当然のように座り続けた。流石に添乗員も言い難いのだろう。

遂に、私たちに前の席に座って欲しいと言ってきた。心情はよく理解できるから快く引き受けた。

年寄りが引き起こす子供じみた事、日本の最高学府で学んでいるはずの若い者が引き起こす子

供じみた事。場を見てどのような行動をとるべきか考える力、譲り合う、相手の気持ちを重んじるな

ど日本人の持つ良いところは何処で削られていっているのだろうか。

 


『自己完結』

2014年01月18日 17時57分51秒 | 日記

災害復旧の時、よく自衛隊を例にして現場で衣食住を自分たちの手で賄えることを自己

完結型と例える。別の言い方をすれば自給自足でもあり私の最も憧れとする暮らし方、や

り方である。昨日のようなニュースに接すると私の頭の中には自己完結の言葉が浮かんで

くる。時代が現代に近づく度に便利さが増しいく。それは自分がすべきことに対価を支払っ

て他人にして貰う分業のお蔭でもある。昔は何から何まで自分でやっていたのに分業の幅

は段々ときめ細かくなり、会社の仕事でも一気通貫で一つのことを達成することなどなくな

ってしまった。食の世界でもそうだ。

外食にしても一部の所を除き食材のプレ加工または半加工品を使って料理を提供している。

否、家庭の食材にしてもそうだ。

例えば災害などでこうした加工が出来なくなった場合や、ガス・水道・電気などのインフラの

一部が機能しなくなった時、それに対応できる能力の有無は生きる力のバロメータになる。私

のような昔人間、田舎で適当な不便さの中で生活している者には、そうした能力は十分とは言

えなくても生活できないほど苦労することはない。例えば住宅にしても被害に遭えば取り敢え

ず雨露を凌ぐものは直ぐに作ることが出来る。水は山水、川にあるから何とかなる。食べ物は

畑に何かはあるからそれで凌ぐ。寒ければ焚火をすれば暖はとれる・・・・こんな具合である程

度の自己完結はできる。そこには普段から何でも自分でする癖がついているから、下手でもそ

れなりのことができるのだ。普段から対価を払って人にお願いすることが当然の時代だから自

己完結との距離は広がる一方になる。

私の心配することではないが、都会で暮らす人ほどこうした能力は要求されるのだと思う。

シンガポールを始めとする東南アジアの国々はホーカーや屋台で食事を摂る習慣がある。日

本の外食とは全く異なり恒常的なもので換言すれば自宅で料理をしない。

こうした極端な例もあるが、災害などの異常時に求められる自己完結とは程遠い姿になればな

るほど、苦労をより多く背負い込むことの証でもある。便利さと相反する位置にある自己完結を

少しでも自分の手の内にキープするのか、昨日のような節目の日に考えることも必要である。


『帰国』

2014年01月17日 17時56分06秒 | 旅行

いままでの海外旅行で高額な土産を買ったことはあるが、免税店だったのか手続きをし

たことはない。今回は2万円一寸の金額だったから税の還付を受けると言っても大したこ

とはないと思っていた。添乗員は少しでも税金が返ればと、手続きを勧めてくれ現地ガ

イドと妻が窓口に向かった。手続きは空港の税関係の部署で行い、受け取り方法を決め

る。現地でKnを貰う、関空で円で貰うが関空だと円替え手数料などを取られからKnにし

た。用紙を貰い別の窓口で還付して貰うと5000円ほどあり、大変驚いた。

来た時と逆のコースだからブダペスト経由のカタール乗り継ぎ。この空港に来るのはこれ

で4回目だから、免税店やカフェなど周知している。それでも時間があるから免税店を覗

いてみた。中東の特徴なのだろうか金製品のブースがありショーケースの中には大量の

貴金属が展示されている。本当にキンキラキン。

数万から天井知らずで、用もないのに羨ましそうに見ていると店員から声を掛けられると困

るので、立ち止まらないようにしていた。

カメラを入れて持ち歩く鞄が欲しくて、暇も手伝い探してみたが丁度いいものは見つからな

いもので、帯に短し襷(たすき)に長し、また準ブランド品だから値段は高め。ここでは見つか

らず関空に帰ってからお気に入りのものが見つかった。今まで使っていた鞄はA4サイズの

紙が入らなかったこと、一眼レフだけなら十分だがビデオカメラを入れると窮屈だったから、

旅行寸前にホームセンターから調達した。元々、いい品物ではなかったのを承知の上で買

ったもので一時凌ぎと承知してのことだった。帰国時の乗継のテンションはとても低く購買意

欲はないし、時間があれば兎に角、暇つぶしに苦労するばかり。

関空行の飛行機に乗りあとはビデオを観る、映画を観る以外にはワインを飲んで寝る。芸の

ないことをしている内に、日本時間夕方5時過ぎに関空に戻って来た。荷物を受け取り、税

関を通過にも問題はなく、久々の日本に安堵する。

帰国すれば、やはり和食を食べてみたい。

出発時に寿司を食べたから何か別の物を食べたいと店を歩いてみるが、これといって特別に

食べたいものが浮かばない。麺類では芸がないし日替わりの食堂も一つ心が動かない。やっ

と決心したのはかつ丼とミニうどんのセット。久々の日本と探し歩いて決めたものにしては可も

なく不可もなく、それより翌朝のホテルの朝食の方が格別だった

 

                              空港のカフェで寛ぐ

              ブダペスト上空


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