食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『帰国』

2014年01月17日 17時56分06秒 | 旅行

いままでの海外旅行で高額な土産を買ったことはあるが、免税店だったのか手続きをし

たことはない。今回は2万円一寸の金額だったから税の還付を受けると言っても大したこ

とはないと思っていた。添乗員は少しでも税金が返ればと、手続きを勧めてくれ現地ガ

イドと妻が窓口に向かった。手続きは空港の税関係の部署で行い、受け取り方法を決め

る。現地でKnを貰う、関空で円で貰うが関空だと円替え手数料などを取られからKnにし

た。用紙を貰い別の窓口で還付して貰うと5000円ほどあり、大変驚いた。

来た時と逆のコースだからブダペスト経由のカタール乗り継ぎ。この空港に来るのはこれ

で4回目だから、免税店やカフェなど周知している。それでも時間があるから免税店を覗

いてみた。中東の特徴なのだろうか金製品のブースがありショーケースの中には大量の

貴金属が展示されている。本当にキンキラキン。

数万から天井知らずで、用もないのに羨ましそうに見ていると店員から声を掛けられると困

るので、立ち止まらないようにしていた。

カメラを入れて持ち歩く鞄が欲しくて、暇も手伝い探してみたが丁度いいものは見つからな

いもので、帯に短し襷(たすき)に長し、また準ブランド品だから値段は高め。ここでは見つか

らず関空に帰ってからお気に入りのものが見つかった。今まで使っていた鞄はA4サイズの

紙が入らなかったこと、一眼レフだけなら十分だがビデオカメラを入れると窮屈だったから、

旅行寸前にホームセンターから調達した。元々、いい品物ではなかったのを承知の上で買

ったもので一時凌ぎと承知してのことだった。帰国時の乗継のテンションはとても低く購買意

欲はないし、時間があれば兎に角、暇つぶしに苦労するばかり。

関空行の飛行機に乗りあとはビデオを観る、映画を観る以外にはワインを飲んで寝る。芸の

ないことをしている内に、日本時間夕方5時過ぎに関空に戻って来た。荷物を受け取り、税

関を通過にも問題はなく、久々の日本に安堵する。

帰国すれば、やはり和食を食べてみたい。

出発時に寿司を食べたから何か別の物を食べたいと店を歩いてみるが、これといって特別に

食べたいものが浮かばない。麺類では芸がないし日替わりの食堂も一つ心が動かない。やっ

と決心したのはかつ丼とミニうどんのセット。久々の日本と探し歩いて決めたものにしては可も

なく不可もなく、それより翌朝のホテルの朝食の方が格別だった

 

                              空港のカフェで寛ぐ

              ブダペスト上空


『1.17』

2014年01月17日 17時54分38秒 | 日記

自然災害や惨事はその日が訪れる度、教訓として追悼として或いは在りし日の肉親や友

人たちを偲ぶ機会となる。しかし、悲しいかなと気が過ぎると人の心にあるページも入れ替

えが起こり徐々に後ろの方に追いやられていく。阪神大震災から19年も歳月が流れてしま

った。

今朝の新聞は一面に小さな写真と記事で追悼行事の様子を報じていた。もう既に一面トッ

プではない。テレビのニュースにしても扱いは小さい。表面的には当時の傷跡を目にするこ

とは無くなったから、被害に遭われた多くの方々も立ち直られ、盤石と言えずとも震災前に

近い暮らしを取り戻されたものと思ってしまう。

しかし現実には残酷な試練になす術を持てない弱者もおられる。私も新聞で知った『契約期

限が迫り高齢者が転居を迫られている復興住宅』の問題もその一つの例だ。災害は弱者を

徹底的に叩きのめしながら、弱い力しかないのに自力で立ち上がれと圧(の)し掛かってくる。

こうした事で困っておられる人がどのくらいおられるのか判らないが、記憶の風化はそうした

人たちへの支援すらも風化させてしまう恐ろしさがある。

阪神大震災はこうした問題を残しながらも19年で今のような姿に復興できた。3.11で未曾有の

被害に遭った東北地方は地震、津波、原発被害と範囲、規模は比較できないほど深刻だ。

復興には日本人の英知と粘り強さなくしては到底成し得ない。19年後、福島原発周辺は復興

することなく正しいことを言って辞任させられた大臣が表現した『市の街』と、そこから離れれば

離れるほど復興していく図式になるのではなかろうか。残念ながら原発周辺の町は国の口先だ

けの復興対策で手のつけようがないのだと思う。

阪神大震災の後、がんばろう神戸で再起を誓い立ち上がった関西、東日本大震災は一企業と

国がある地域を破滅させてしまい再起の余地さえ奪ってしまった。震災で経験した事の風化は

原発の怖さも風化させてしまう。このことを肝に銘じなければ再び自分の頭上に天から火の粉

が舞い落ちてくる。


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