食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『雑想考、どさくさ予算』

2013年08月31日 16時58分09秒 | その他

例年、この時期になると来年度予算の概算要求が出される。来年度は過去最大の

99.2兆円にも及ぶ。デフレからの脱却、災害復興と誰もが納得しそうな名目をつけ

ているが中味がそれと合致し、実際に効果を出せるのか、財政規律との整合性を

どうつけるのか。過去20年にも及ぶ失敗予算の教訓を活かして欲しいが、どうも先

祖返りの公共事業が『防災』という鎧をつけて真ん中に鎮座していそうな気配がす

る。東日本震大震災の復興のための予算をネコババした自治体が、幾らかの返金

をしたとニュースで言っていたが、このような生き馬の目を抜く輩に隙を与えない、実

の予算を編成して貰いたい。

解説によるとシーリングなしのため概算要求に対する抑制は困難とある。要求する各

省庁といえど日本国民のだから、日本全体の財政を考えてくれていると思いたいが、

どうも違うようでセクショナリズムの力だけが前面に出て、国財政問題は別の物として

捉えているようだ。

予算は大盤振る舞い、景気は一部で持ち直しの兆候が見られる程度で庶民におこぼ

れは未だ来ないのに、消費税は財政規律と外国との公約を盾にしてバッサリとやるの

か。確か消費税を上げるために無駄遣いを無くすとことも条件とされていたように思う

が、それは羽が生えて何処かに飛んで行ってしまったらしい。


『冬野菜の準備』

2013年08月31日 16時54分40秒 | 日記

暑い、酷暑、熱帯夜、熱中症などを纏めて流行り文句で言うと『過去に経験した事の

ない夏』も少し陰りが見えてきた。畑では夏野菜の終焉、キュウリ、トマト、ピーマンな

どおなじみの銘柄の大半は片つけられ、一段落の空状態にある。畑は束の間の休息

を取ったら冬野菜の準備に掛からなければならないが、その休息の隙をついて草が

生えるから要注意は続く。こうしてみると、畑仕事に従事している人は年中、することが

あり休む暇などないのではなかろうか。

育苗中は育苗で手間はかかる、収穫になると待ったなしの作業で人間様の都合なん

か何一つとして考慮して貰えない・・・・いい加減な素人でも畑仕事の大変さが身に沁

みると、偉そうに言っているが私の場合は、マイペースでの畑仕事だから本格的な人よ

り、随分と楽をしている。

昨日からの雨は激しさを増し、畑に出かけるような天気ではなくなり、ハウス内の片つけ

並びに、冬野菜の苗つくりを開始した。外は雨だから気温も下がり、ハウス内を耕しても

汗が噴き出るようなことはなく、このような天候が続けばと勝手なことを願ってしまう。ハウ

ス内に、葉レタス類、小松菜、べんり菜の種を蒔き、ポット苗用として白菜、水菜、高菜

の種蒔きをした。

時期的には多少早いと思われるが、人様の都合優先だから、今年はこのペースでやっ

てみようと思っているが、肝心の畑はナス、モロヘイヤ、オクラがもう少し居座る予定なの

で、苗の出来具合と畑の様子を見て最終的なことを決めることになる。

私の畑は大体、夏物と冬物の二種類だから、季節の変わり目が半年おきにくる。この前

やっとの思いで夏野菜を育てたと思ったら、もう冬の準備か・・・月日の流れが速いと思

わせる訳だ。


『汚染水漏れ、国際原子力事象評価尺度レベル3』

2013年08月30日 18時26分39秒 | その他

福島原発の汚染水は廃炉の入口にも到達できない最悪の状態に陥っている。原子

炉建屋の何処かを損傷しているため、地下水が流れ込み溶け出した核燃料に汚染

され、再び建屋から出て海の方に流出していることが確認された。その量は推定で

300トン/日(一般的には400トンとの報道がある)とされているが、推定であること、東

電発表の数値だから当てずっぽうだから本当のことは誰にも分からない。こうした数

値で目くらまし、されてしまうのは300トンという汚染水が具体的にどの位のものなのか

丁寧に説明がなされないからで、分かり易くしてしまうと問題が更に大きくなるから、

意図的に分かり難い説明に心掛けているようだ。どうもドラム缶で1500本くらいになる

ようだ。地下水が建屋に入る手前なら汚染していないから、それは組み上げて海に流

出する案が出され、IAEAもこれにお墨付きを与えた。しかし、今日に至るまで、東電

の補償経過、度重なる不誠実な対応で肝心の地元との信頼関係を失ってしまった結

果、汚染されていないとは言え、これ以上のダメージを回避すべきと漁業関係者は反

対を表明した。

海に流れ出ては大問題になるから、海辺近くの土中に流出防止の壁を作ったが、そ

うこうしている内この壁を越えてしまう恐れが出てきた。

汚染水を溜めていた地下タンクは水漏れを起こし、急きょ地上タンクに移し替えれば、

以前から疑惑を否定し続けていた地上タンクでも水漏れが発覚。

子供が水遊びをしている姿とよく似ている。水をあちらの容器、こちらの容器に移し替

えて遊ぶあの姿だ。

汚染水は毎日、毎日、組み上げて原発敷地内の保管タンクで大切に溜め続けなけれ

ばならない。そして、はっきりしていることは、このままの状態が続けば敷地内に保管す

る場所はなくなり、何処か別の東電所有地に移動させなければならなくなる。

そうなれば、移動中に事故など起こせば、新たな核汚染を起こす可能性は否定できな

い。流石にこの問題を放置したままにできず原子力規制委員会は国際原子力事象評

価尺度(INES)で評価すればレベル1としていたものをレベル3に変更することにした。

自己当初の評価の時もレベル5だの6だのと騒ぎ、7に落ち着いたら、7は酷過ぎる云々

・・・でも、あれから2.5年以上経った今でも、これからも汚染水と闘い続けなければなら

ない状況からすれば、最初のレベル7と今回のレベル3を加えて

東京電力福島原発の国際原子力事象評価尺度はレベル10ではないか。


『久々の雨』

2013年08月30日 18時25分37秒 | 日記

台風の影響で大雨の予報と新しく『特別警報』の運用開始で気象予報士は慌ただ

しく説明をしていた。津波が来ると警報を出しても、逃げ遅れる人が多いから、過去

には聞かれなかったドギツイ文言が並べられている。些か平和ボケしている日本人

に『命を守る』とやって、どれくらい効果が上がるのか疑問だが、兎に角このように強

い口調で喚起する必要はあろう。色んな場面で注意喚起される。

それをきちんと受け止め行動する、しないは各自で決めることだ。自分の選択でしく

じった時は自分で責任を取るしかない。防災グッズで1万、2万円する救命胴衣があ

った。水被害に遭いそうな人にはとても役立つものだと思う。あるコメンテーターは

『まだ値段が高いようなので・・・』自分の命はそんなに安いものなのかと毒づく。安

い、高いも自分の選択だ。

今日は朝から雨あれほど、雨が欲しいと言っていたのに今度は、大雨は困るとお願

いする。何事も中ぐらいが一番いい。


『雑想考、がんサロン』

2013年08月29日 17時39分35秒 | その他

がんサロンはがん医療の地域格差是正を訴えた出雲市、松江市の方たちが上げた

声がきっかけとなり、県内では平成5年に益田市に開設されたのをきっかけに、現在

では26ヶ所に拡大されてきたと、新聞にあった。

私が治療を受け今も通っている松江市立病院にもハートフルサロン松江が開設され

ており、体験談や癌告知後のケアなど幅広い活動がなされている。私も何かのお役

に立ててればと思いつつも、人様のお世話をしたり、話を聞いたりすることがとても苦

手で、参加することに躊躇してきた。

ここではこれから癌治療に向かう人、治療中または経過看視中の人など、色々な症状

の人と情報提供し合えるから、特にこれから治療の人には心強いと思う。

医者から癌と告げられたら『死』を告げられたかのように受け取り、治療を受けるぞと癌

に向き合うまでに時間がかかる人が多い。そうした悶々としたやりきれない時にがんサ

ロンで心の内を聞いて貰い、先人が身を以って得たことをこれからの自分に活かせる

ようにサポートしてくれる。

私はがんサロンに行ったことがないから、説明も感想も言えないが、もし私が自分の診

断で癌以外の病気と判断していたのに、医師から癌と告げられ、自分の中でクローズ

できなかったら、このサロンのお世話になっていたかもしれない。癌に対して結構、強

気そうに物云う私でも、もしや癌ではと恐れるあまりに検診に二の足を踏ませることは度

々あったし、検診結果の通知を祈りながら開封したものだ。他の病気の宣言や疑いと

たった一言『がん』と言われるのとでは、天地の差がある。

大きく分けて治療で生き延びる可能性のある人と、治療困難つまりターミナルケアの人

でがんサロンの果たす役割は違ってくると思う。がん患者が癌と闘うための気概からい

えば、その役割は同じだと思うが、厳密に言えばターミナルケアには経験者の知恵は

使えない、つまり経験者は亡くなっているから経験の伝承できないのである。だが亡く

なる前まで口伝えで心根を語ったことや、日頃から家族との暮らしの中で吐露していた

心情などもサロンに集積されるだろうから、ケースバイケースで大きな役割を果たすこ

とも考えられる。

このサロンに通い経験談やボランティアとして活動しておられる完解した元患者や、今

なお闘病中の方々の活躍には頭が下がる。私には、とても出来そうもないので私の分

まで、どうぞ宜しくとお願いするしかない。


『鳩に食われた蕎麦の種』

2013年08月29日 17時38分38秒 | 日記

お世話になっている叔母さんの畑、叔母さんは今リハビリ施設にいるから草が伸び

放題になっていた。一旦、草取りをしたものの雑草は直ぐに復活するから、耕運機

で畑を耕しておいた。それも長続きせず雑草の新芽が顔を覗かせ始めるから、それ

ならば蕎麦でも蒔いて草押さえにと蒔いたのが8月14日、それから2日置きくらいに

水撒きもしてみたが、一向に芽が出てこない。

毎日カンカン照り、散水しても直ぐに乾燥してしまうが、それでも水やりを続けるしか

ない。すると隣のおばさんが『鳩のつがいが来て蕎麦の実を食べている』

と嫌なレポートをもらう。暑い中、防鳥網を張り鳩が来ないようにして万全かと思いき

や、『鳩が網の下から毎日3時頃に入っている』とおばさんの追加レポート。

そのためだけではなさそうだが、2週間近く経っても芽はパラパラとしか出ていない。

権兵衛さんが種蒔きゃカラスが・・・・の歌のようになり、まるで鳩を養うために蕎麦の

種を播いたような結果になってしまった。

これでは拉致が空かないので新たに1kgの蕎麦を買い、今度はばら撒きではなく、

きちんと土中に埋めて起死回生の蕎麦畑といきたいものだ。

 

 

         簡易の水場                      来賓の沢がに

           昨日、電池切れで撮影不可だったものを掲載


『雑想考、悪ふざけ投稿』

2013年08月28日 18時42分42秒 | その他

『今頃の若い者は・・・・』昔から、若者が羽目を外して、年寄りと若者の時代感覚の

違いなどで嘆く言葉である。その程度に差があるとすれば時代と共に変わっていく

生活環境や社会環境ではないかと思う。いつの世にも死んでも治らない馬鹿は存在

する。何かこうした事があると世間から批判を浴びようが、模倣犯のようにそれに続け

と真似をするものが現れる。今の時代はネットに投稿という手段があるから、悪ふざけ

を友達に自慢するような感覚で、世間にお披露目してしまうから分かるのであって、

昔ならこんな大きな問題にはなり得なかった。例え今と同じことをしたとしても伝聞の

世界だから、一部の人から馬鹿げたことを『若気のいたり』として済ませてきた。私もこ

うした行為を快く思っているのではないが、同じような行為は昔からあると思えば、取

り立てて今の若者ばかりが責め立てられるのは可愛そうな気がしないでもない。

ただ、時代は進化しているから、人間も進化しなければならない。だから昔の若者と

今の若者では違うはずだ。時代の進化は万人にネット、携帯などのツールを手に入

れることを可能にした。進化した人間なら進化した使い方をしなければならないのに、

進化したツールをこんな悪ふざけ投稿などで使うのは、猿に携帯を持たしたのと同

じことで、魔が差したとか、悪気はなかったとか程度の言い訳しかできないのである。

被害に遭った店の対応にも、こうした事を再発させる一つの要因になっていると思う。

被害者でとんでもない迷惑を被っているのに、こんな言い方されるのは、とてもお気

の毒なことだが、毅然とした態度で臨んで頂きたいのだ。未成年を相手に大人気な

いとか、冷たい対応などと逆に非難されるのを恐れるあまり、寛大の度を越した対応

で済ませてしまおうとするのは感心しない。

不始末は自分で始末をしなければならないのが社会人だ。未成年と言えど、バイト

で働きお金を稼いでいるから立派な社会人の一人であることを忘れ、都合が悪くな

ると未成年と逃げるのは卑怯だと思う。

暫くは後に続く馬鹿が現れるのでは・・・・


沢ガニ

2013年08月28日 18時22分51秒 | 日記

山小屋は廃田の跡地に建てている。元は稲作が行われていた田があったから、当然

それに必要な水も確保されていた。しかし田は放置された結果、沼田となりかつての

水路は枯葉や枝で詰まり、そこに上流から流れて来る土砂が溜まり、水路は低い所を

探し出し新しい路を作り蛇行を繰り返し、田の中も水の路となる。

それと別に田の真ん中には、れっきとした水路があるものの、長年の放置は上流で水

路の役目を失わせ、ただの溝になり下流では途中から少量の水が流れていた。

真ん中の水路は木の束を埋め込み水が流れるようにして上から土をかけて埋め尽し、

別の水路を掘り直し1本化し現在のようになった。

谷は水確保に十分とは思えない長さなのに年中、真夏のカンカン照りでも少量ながら

枯れることはなく流れている。だから、こんな過酷な田でも水稲栽培が可能だったの

だ。この谷のように厳しい条件の田は町内に数えきれないほどあり、昔はそれほど稲

作をしても十分な食料が確保できなかったのだから、今の米余り現象は嘘のように思

える。谷の長さが十分ではない証拠に、雨直後には水路に鉄砲水の襲来がある。それ

は凄いもので小さな水路を溢れて小屋の下に流れることもしばしばある。

水路に雨樋を使って流し台よろしく、手洗い、魚の簡易調理台を作っている。上流に

人家や人は来ないから、自然そのものの水が流れて来る。時々、上流で蛇が水遊び

をしているかもしれないし、鳥たちが水浴びをしているかもしれないから、洗い物に使

うことはあっても水を直接、口にすることはしていない。

外仕事をしている時、水場は常時使えるから、山小屋の中にある地下水道よりも便利

で重宝している。ここで水を溜め流していると上流から沢ガニが流されてくる。

昔は沢山の沢ガニが見られたものだが、人が山から離れてしまった為、山が荒れ更に

人の足が遠のき、沢ガニも珍しいものになりつつある。

沢山いた頃、ガニを獲り炒めて塩味で食べたと話を聞いたが、近年は珍味で紹介さ

れるのだろうか。(沢ガニの写真を撮ろうとしたらバッテリー切れのため断念)

 


『やはり、寝返った松江市教育委員会』

2013年08月27日 18時22分33秒 | 日記

山陰の地方紙『山陰中央新報』の第1面は『はだしのゲンの閲覧制限を撤回』だった。

私が皮肉を込めてブログに載せたように、マスコミで取り上げられてしまった途端に

『私が悪うございました』とばかりに平身低頭になった。誰に向けてそうしているのか知

らないが、撤回の理由も子供だまし、トカゲの尻尾切りが見え見えの茶番劇だ。教育

委員会の事務局が暴走して閲覧禁止を決めてしまった『手続き上の不備』だと言い訳

をしている。経過を載せていたが、これを見れば事務局がヒソヒソと勝手に処理したに

しては動きが大きく、とても独断で始末したとは思えないが、そう説明しておられる。

ならば聞いてみたい。このことは新聞報道で発覚し騒ぎになったからバレタ訳だが、こ

の問題とは別の事でも事務局とやらが独断で始末した大事なことが沢山あるのではな

いか。ただ新聞沙汰にならないから明らかにならないだけで・・・・こんな疑問は自然に

出てくる。元来、教育委員会なんてものは他の例を含めて『さすが教育委員会』と言わ

れたことなど一度でもある組織なのだろうか。いじめの有無すらまともに判断できない

事勿れ主義の組織ばかりではないか。土地柄、場所が変われば教育委員会に違いが

あるかと思えば、報道で観る限りどこもかしこも、糞も味噌も腐った金太郎飴みたいで

はないか。教育委員会の人選を含め大改革をしなければ、学校教育のための組織で

あるべきが、弊害を生むだけの邪魔な組織であり続けることになる。

松江市教育委員会の唯一の功績は『はだしのゲン』を知らない人にも、戦争・原爆の

悲惨さの立派な教材になりうると教える反面教師としての役目を果たしたことだ。

                        


『雑想考、マナー』

2013年08月26日 18時56分46秒 | その他

日本人はマナーのいい国民だと諸外国から高い評価を貰っている。本当にそうだろ

うかと疑いたくなるようなことが日常的に起こっており、昔に比べると段々と酷い状態

になっているのではないかと思うが、具体的に比較できるデータなどないから、感覚

的な評価しかできない。

私はサラリーマン時代にも結構、運転する機会が多かったから、時代と共に運転手

のマナーについても見聞きしてきた。沢山ある中で顕著なものは信号無視だ。私は

真面目に黄色信号になりそうだったら、それに備えた運転をしているし、出来る限り

黄色での交差点侵入も避けたい方だ。信号ひとつを早く渡っても大勢に影響がある

訳ではないし、急ぐと危険が増すだけだと諌めている。

黄色で待ち赤に変わる。赤に変わっても未だ侵入する車が後を絶たない。こいつら、

目が悪いのでないかと思うほど。男も女も、若者も年寄りも、どれもこれも種類に区別

なしだ。だから信号のある交差点で赤から青になって、直ぐに発進すると信号無視の

車と衝突するかもしれないから、子供たちが守る『右を見て左を確認してから・・』を守

らないとえらいことになる。

これはマナーとは云えないかもしれないが、譲ってもらった時に会釈または軽く手を挙

げて感謝の意を示す行為も、かなり高い確率で減ってきている。狭い道で、わざわざ

待機して貰っているのに知らん顔して通り過ぎることはないと思う。狭い道で運転中に

会釈したら安全運転に反するなどとぬかすな、平気で信号無視をするような奴が言う

詞か? 携帯電話、道路を灰皿代わり、道路へのゴミ捨て、子供の置き去り、ペット、

どなど、車に関するマナー不良はまだまだ腐るほどあり、この例だけでも日本人のマ

ー云々は語り尽せないのでは・・・・。

この爺は時々、ボランティアで道端の草刈りをしている。経験から、道端の草が延びる

ポイ捨て被害に遭う確率が高くなる。それにしても、街中であろうと山道であろうが、

ペットボトル、缶、プラトレー、発泡スチロールのポイ捨ては止まらない。どうして、こん

なことを平気で出来る人種が増えたのか分からないが、公衆道徳とでも言うものが著し

く欠如した欠陥人間にも困り者だ。自分の家の中でもポイ捨てをしているのだろうか、

自分の家だけは綺麗にしていればいいのだろうか。やはり、心のどこかが壊れていると

思う。

以前、市の環境委員をしていた時に聞いた強者委員の行動、看板を立てても見張りを

しても一向に減らないポイ捨て対策として、捨てられる場所に長いしめ縄を飾ったところ

ポイ捨てが無くなったそうだ。

流石にしめ縄の場所を汚すことには躊躇させられたらしく、効果は覿面だった。

山小屋の直ぐ近いところにご神木の大きな椎木がある。毎日、山小屋の行き来の度に

通るから様子はよく知っている。一昨日、何か変なものがあるなーと思い、車を止めて見

ると扇風機が投げ捨てられていた。以前は、もう少し下の方に小型冷蔵庫が捨てられて

いたが、当時は草が覆っていたから外目には見えにくかったが、今回は、ある意味では

堂々と投げ捨てだから、開いた口が塞がらない。

サッカーの日本人サポーターは試合後のゴミを片つけることからフェアプレー賞を与えら

れるかと思えば、日本の片田舎ではこんな騒ぎではあまりにもギャップが大きく、嘆くにも

嘆き切れない複雑な思いがする。

以前訪れたサンフランシスコは新聞紙や何やらゴミが散乱しており、ガッカリさせられたし、

ロミオとジュリエットの館に行く道すがらガイドさんから『犬のウンチを踏まないように』と注

意があるほど、ローマでもブランド品ショップの裏側は犬のウンチだらけ、それと逆にドイ

ツやスイス、フランスなどは綺麗な街だったし、日本もそうした国に引けを取らないから目

くじらを立てるなと言われても、言を引っ込める気は全くない。


『造影剤CT検査』

2013年08月26日 18時55分38秒 | 通院

前回の検診でSCC=1.8(基準1.5以下)だったから、通常のCTより詳しく診られる造

影剤CTを撮ることになった。いつもの通り、朝一で病院に出かけ血液検査を受けた

後に放射線科に出かける。予約は一番目だったらしく8時30分に名前を呼ばれ部

屋に入る。1回目は造影剤を使用しないでCT撮影を済ませる。造影剤の注意や過

去の症状を聞かれたが、造影剤によるアレルギーやショック反応はなかったので、

その旨を伝える。途中、気分が悪くなったり、造影剤、投入ヶ所が痛くなったりしたら

教えるように指示有り。

造影剤を入れると最初の内、腕からゴニョゴニョと液が入っていくのが分かる。身体

が熱くなると言われていたが、心臓カテーテルの時のようになるのかと思っていたら、

私には熱くなったような感覚はなかった。それから一寸だけ待って本番撮影が行わ

れ、撮影会は終了。消化器外科に行き本日の検査速報、肝心なことは何もないの

で雑談問診で次回の結果報告日を調整、私の都合で9/9になりSCCおよび造影CT

検査の結果報告がある。


『雑想考、ジニ係数』

2013年08月25日 17時53分14秒 | その他

世界どこの国でも貧富の差は存在する。閉鎖的な国、一党独裁、同族国家など一

部の人が権力を掌握し国家を成している所で貧富の差は顕著に表れる。権力者が

富を独占する傾向は、いずこの国でも同じとみられる。権力の放棄は富の放棄と同じ

だから、権力の維持が富の維持となるから、国民生活のことなど二の次になり負のス

パイラルに入っていく。ある意味から民主度合と貧富の差は反比例する。

民主度合の高い国では挑戦し富を得るチャンスは幾らでもあるのに対し、低い国で

は自分たち以外の者にチャンスを与えることは自分たちの立場を危うくする恐れを生

むから、スタートラインにさえ立てさせない。

共産主義や社会主義国家は国が生産するものを国民が等しく分配されるはずだか

ら、貧富の差なんて現れることはない。もし貧富の差があるとしたら『共産主義』はもは

や体を成していないことであるのに、中国政府はそれを認めている。

貧富の差を表す数値としてジニ係数というものがあり、1を最悪とし0.4を超えると貧富

の差がある危険水域、因みに日本、アメリカは0.3X。

中国政府の思惑としては貧富の差はあるが、無茶苦茶に悪いものではないから改善

する余地があり、それを政府が取り組むとガス抜きに使い批判を避けるよう仕向けて

いるのではないか。小泉首相の頃、国会でジニ係数論議がなされ、日本が格差社会

に突入したか否かの検証だったと思う。勿論、国会でワイワイやってどうなるものでは

なかったが、その時初めてジニ係数の存在を知った。

元々、データが怪しい中国政府の発表によるジニ係数0.44は信ぴょう性が低いとする、

中国の他機関の数値だと0.6~0.7が真実に近いとしている。また、政府の発表では近

年、格差は減少していると言うから、国民、マスコミ報道、SNSなどの情報と逆になって

おり、肝心な中国国民から信用されていない。

ある報道によるとあと数年で中国の億万長者はアメリカを超えて世界一になるとされて

いる。他国に誕生する億万長者を羨ましいとは思わないが、日本でも顕著に見えるよ

うになった格差社会、正規社員と非正規社員にしても生涯負い続ける荷物の量は比

較にならないほど違う。

日本と中国では状況が違うから一概に比較はできないが、日本の国土は全く平等とま

ではいかないにしても、国民が許容できる範囲差の開発がなされてきたから、生活イン

フラの優劣などは比較対象になり得ない。だが中国ではそうした格差も大きいから、世

界第2位の経済大国でありながら、国民への利益配分が不十分と言われる所以であろ

う。日本のジニ係数0.33をどのように感じ、どのように改善していくのか、国民の意見は

如何にあるのか?


『多少の涼風』

2013年08月25日 17時50分19秒 | 日記

処暑は23日だった。暑さが収まるということらしいが台風一過ならぬ豪雨一過、今日

の暑さは一段落。直射日光の下で川土手の草刈り、暑いことは暑いが先日のように

焦げるような暑さではなく、風が吹いてくると、それを和らげてくれる。今回は堰堤より

下側で昨年は刈らなかった場所だが、ここにも沢山の彼岸花らしきものが見えていた

から、期待できそうだ。

時々の涼風、その冷却効果にも限界があり、段々と汗が出て来て、やがてはビッショ

リと濡れた時点で、第1クールを終了する。日陰で少しクールダウンすると、この前まで

の暑さが嘘のように感じる。休憩後、日照り具合を見ながらまた続きをやる。計3回の

突撃で予定していた大半を刈り終え、残すところは明日以降の涼しい時に回すことに

した。二十四節季は旧暦を元に決められたものだと思うが、地球温暖化の今でも大ま

かながら適合している。いくら温暖化が進んでも春分、秋分の日などは変わらないか

ら、温暖化版の処暑だったのかもしれない。


『雑想考、コンパクトシティー』

2013年08月24日 17時24分26秒 | その他

 日本は少子高齢化、大都市集中型国家に変貌してしまった。世界の国からみれば

国土62位/201カ国、人口10位/185カ国1.27億人、GDP総額3位/187カ国となってお

り、面積は狭く人口は多い、GDPは上位だから何の問題もないようにみえるが、年齢

構成に大きな問題を含んでいるのは周知の通り。

戦後、国民はなりふり構わず生きることで精一杯の苦しいスタート、耐えに耐え凌い

でやっと国家再建を果たし、発展途上国に援助できる国家になった。こうした国家再

建を目指してきた過程で、どのような国家づくりを目指そうとしていたのだろうか。戦後

の混乱は余りにも大きく、最初のグランドデザインは大雑把なもので取り敢えず、国民

が空腹から解放される極、日常的なことの安定だった。

衣食足りて礼節を知る、やがて将来の日本はこのような姿にと、理想形を夢見ながら

政治が動き、経済が後押しをする、国民は勤勉に働いた。

古くは所得倍増計画、高度経済成長、バブル経済、バブル崩壊といい夢、悪い夢を

見ながら日本は世界トップクラスの国家に上り詰め、今は20年にも及ぶ不況とデフレ

の真っただ中にいる。人は生まれてから、貧富の差なく平等に歳をとる。こんな当たり

前の事を厚労省の役人は知らなかったらしい。毎年の人口推移にしろ年齢構成にし

ろ、基礎データーがしっかりとした形であるのだから、小さな変化でも必ず分かる仕組

みなっているはずだ。こうした基礎分析ができないと、例えば将来の学校建設などが

無計画になったり、必要な施設の不足を招いたりと、社会生活に大きな影響を与えて

しまうからだ。にも関わらず日本国は或る日突然に『少子高齢化』宣言をし、国民も吊ら

れ、最近判明したホットニュースのように語りだした。政治家や官僚たちが司る国家の

怠慢の結果だと指摘する人は少ない。経済成長と共に地方と都会の役割にも大きな

変化が生じ、都会で欲しい労働力を地方が賄う形になり、やがては農村部の稼ぎ頭ま

で出稼ぎをする時代になった。こうした時代では農家や地方の家では祖母、父母だけ

が実家に住み子供たちは都市部で独立する核家族化となり、その後は誰でも想像で

る今の時代だ。田舎だけが少子高齢化の波を被っているのかと思えば、形態は違

うが街中ではシャッター通りに象徴されるような商業環境の変化も加わり、街中の空洞

化も問題を大きくしている。

どのような国づくりをするか、恐らく少子高齢化と騒ぎ立てる前までは、全国幅広く多

色彩の違いはあるにしても、均衡のとれたものにと考えられていたと思う。

どんな場所でも、どんな不便な場所であっても自分の生まれ育った所は誰でも大切に

たい。しかし、過疎が過疎を呼び限界集落になると分かっている場所に積極的な投

資は避けられていくのが現実であろう。こうしたケースで、過疎の地域に住む人をその集

落の中心地近くに集まってもらい、そこで生活をする。そのために生活に必要な公共施

設や商業施設も集積させたコンパクトな街づくりをしていくという考え方がある。ニュアン

スは多少違うかもしれないが、街中に於いても空洞化し老齢化していくことの対策として、

今ある街の形を変えていくことも有効な対策になるかもしれない。昨年、訪れた父の生家

は山の上にある過疎地、厳冬期の大雪の間、老夫婦は下界にある施設で暮らし春にな

ると山に戻る生活をしておられた。身体が動く内はこれも一つの方法だ。

便利そうな施設をあの町に、この町にとばら撒いてつくる時代は終わった。広く大きな町

や市でなくてもコンパクトで便利な街について知恵を出していかなければ、限界集落が

限界市になんてことにもなるかもしれない。


『雑想考、屠殺と肉』

2013年08月23日 17時29分40秒 | その他

はだしのゲンのことで教育委員会の姿勢に罵詈雑言を浴びせた。最近の日本人

の平和ボケ、なんでもボケシンドロームと共通するところがあったからだ。

食の大切さを唱えながら魚の調理さえできない日本人、魚の骨は食べる時に外せ

ばいいのに、貧しい国の労働者を使って骨を除去させている。魚を1匹買って来て

自分で調理して食べることが出来なくなりつつある日本人、こうした事ができるのも

過去に培ってきた経済力を食いつぶしながら生きているからできることであり、食い

つぶしたら日本の将来はどうなるのだろうか。

肉にしてもそうだ。肉は部位ごとに分けられトレーで売られている。元は生きている牛

や豚をし、皮を剥ぎ取り、腹を開け内臓を取り出す。頭、手足を外し胴体は背骨

の周りにある背身を取り、あばら骨の部分を外す。後は細かく各部位ごとに分ける。生

物の生身を切り刻むのだから当然の事、大量の血が流れる。

こうした工程をきちんと知っておくべきなのに、大半の人は殆ど知らないだろうし、知ろ

うともしない。ホルモンはコラーゲンがあるからと若い女性に大人気で、一時品薄なん

てニュースがあった。ホルモンと外来語で言っているがご存知の通り内臓である。先

の内臓を取り出すと、独特に臭いがする。胃袋には未消化の食物が残っている。食

たものがそのままの形でのこっているのは食べてから時間が経っていないものや、消

液で溶けたものがグチャグチャになっている。臭いはとても臭く手に付くといくら洗っ

ても長時間臭う強烈なものだ。パイプと呼ばれる腸は胃で消化したものの栄養分を吸収

する機能を持っているのは当たり前に知られているが、残ったものは大便となるから腸内

は大便の臭いそのものがすることは余り知られていない。だから小腸、大腸に残されてい

るものはウンチの素なのだ。ホルモン、特に腸はそんな理由や猪の解体で事情をよく知

っているから、臭いはしないからといっても、大便と同居していたお方だから、私には苦手

識がある。

腸ホルモンについてもう少し詳しく述べると・・・・

洗うと言っても、いくら洗っても臭いは取れないし、ウンチの素は腸の内側の襞(ひだ)にも

入り込んでおり、素人は洗濯機で回転させたりして長時間の洗濯をしないと綺麗にはなら

い。業者はきちんとした設備で衛生的に処理しているから臭いについても全く問題は

ない。私が笑ってしまうのは、ホルモンの元の姿はそんな風であっても、それを美味しいと

言って食べるのだから、この世に汚いなんてものは大してないと思うが、場面が変わると除

菌と大騒ぎをしている。ホルモンを食べた後に胃の中を除菌でもしたら?

ドイツはソーセージが有名ドイツでは豚を自宅でし、血は捨てずにソーセージに入れ

し、膀胱はソーセージの皮として利用され、捨てるところは殆どないくらいだと、TVで観

ことある。一大イベントだから家族総動員で解体処理をしていた、もちろん子供もお

手伝い。日本では食品衛生法かなんかで、一般家庭ではこうした行為は出来ないだろう

が、食を知る意味でこうした教育も必要であると思う。

酪農家が手塩にかけて育てた牛や豚を殺して人間が食べる、このような事実を教えると

たちに害があるという、一部の教育関係者の意見もある。しかし日本人は大人も子供

も、もっと食について知らなければならないと思う。


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